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09 吟味

 私はあのデートの日から太刀川を避けようとしているのに、あの男ときたら変わらず私を見つけてやってくる。講義終わりに教室の外で待っていて昼飯食べようと引きずられたり、本部に行けばあいつが任務やその他の雑務等をしている時以外は、しつこく私を見つけてきた。
 なにも避けようと思ったのは今回が初めてではない。何度だってそうしようと思っていたのに、毎度毎度太刀川のほうから歩み寄ってくる。

 視線を上げた先にはコンビニで買った中華丼を頬張る男の口元。顔を見るたびキスされたことを思いだし悲鳴を上げたい思いを堪え、勢いよく顔を逸らした。
 逸らした視線の先、ここは太刀川の部屋であることを思い知らされる。避けようと思っているのにのこのこ敵陣地にいるなんて、私本当に頭狂っている。しかし、太刀川に今日中に課題をさせなければ単位が取れなくなると忍田さんに懇願されては断りようもない。今日の夜には風間先輩たちと飲み会に行く予定だってある。なんとしてもこの男に課題を――させられるだろうか。不安しかないのだが。

「どうかしたか?」

「べつに」

「そうか。いらないならその唐揚げくれ」

 この男にとってキスなんて些細なことだし、甘い言葉を吐くのだって呼吸と同じくらい簡単なことなのかもしれない。だから私がこんなふうに動揺しているとも思っていないのだろうから、それを悟られてもいけない。そもそも私もなんとも思ってないし。あれ、私なんで動揺してるんだ。キスぐらい、キスぐらい、キスぐらい……。
 いいとも言ってない唐揚げを一個勝手に持っていかれたが怒る気も起きない。

「……なんで、友達じゃダメなの?」

「友達だとキスもセックスもできないだろ」

「そんなのは自分の彼女とすればいいでしょ!」

「俺はなまえとしたい。なまえは俺とそういうことしたくないのか?」

「ば、っな、なにいってんの!?」

 自分が思っていたよりも斜め上の返答。好きだったって話ならまだ情状酌量の余地もあったが、セックスしたいって。
 それでも、一瞬そんな自分たちを想像してしまった自分を殴りたい。私と太刀川が裸で? うそうそうそ。そんなことありえない。こんなタイミングでこの間一緒に寝てしまったベッドが視界に入る。今さらだけど私、酔っていたとはいえ、なんであんな大胆なことしちゃったんだろう。
 ダメだ。この男やっぱり近界民だ。そうじゃなきゃこんなにも会話にならないはずない。私を惑わす悪いSE搭載しているんだ。

「ていうか、それ、ただのヤリ目男の台詞だからね! なびくわけないし! 人生出直して来い」

 息巻いて言いきった言葉に対して言い返してくれればいいのに「そうだな」と神妙な顔した後、今度は嬉しそうに表情を綻ばせた。それにどきんと胸が鳴ってしまうから、頼むから、らしくないことはしないでよと叫びたい。

「あとそれ! 私の唐揚げだから!!」

 たった六個しか入っていない唐揚げをひょいひょい奪われて、気付けば残りは三個になっていた。この男なにも反省してないしなにも響いてないでしょ!
 ご飯食べたら課題するとか言っているけど、本当かどうかも怪しい。……から私が見張らされているのだけど。こんな見張り役、二宮くんははなから期待してなかったけど、望ちゃんぐらい一緒に来てくれても良かったのに!



 急かすように昼ご飯を食べさせ「早く課題やって!」と促した。文句を垂れながらも危機が迫っていると一応は理解しているのか、パソコンと向き合っていた。目を開けたまま寝るなんて高度な技術はできないだろうから、たぶん、不真面目ながらもやっているのだと思う。
 出されたのは英語の翻訳課題だし、提出はメールで良く、とても優遇された対応。唸ったり「わからん」と不服を漏らしたりしながらもなんとか画面は文字で埋まっていた。

 実際は見張りなんて暇なだけで、多少は課題を手伝ったり、携帯をかまっていたり、ちょっとだけソファーで昼寝をしていたらあっという間に日が暮れていた。
 自分が眠ってしまっている感覚があるのに目覚めることはできない。こういう時はだいたいあの夢を見る。

 あーあ、太刀川が泣いてる。

 気分のいい夢ではない。私の指先を申し訳程度につまんでいるくせにやたらと力は強いの。苦情を言っても離してくれないし、かといって私から掴み返すこともできない。太刀川の涙で私の手はビショビショ。何かを呟いているけど、声は聞こえない。何度も何度も「太刀川」って呼びかけても泣き止まないし離してくれないのに、「慶」って呼ぶとトリオンが放出されるみたいに消えていく。その間際は、見たことないほど優しく微笑んでいた。なのに、それがすごく切なくて胸が痛い。
 これは幻。夢。私が作り出した幻想。太刀川の泣いたところなんてみたこともないし、あんなふうに微笑むことを知ったのもここ最近だ。
 背景はどんなだっただろうか。真っ白い部屋だったような気もするし、赤かったような気もする。なぜか高校の体育館らへんだったような気もする。はっきり思い出せないのは、太刀川が泣いているせいだ。
 
 ソファーの端っこに伏せるようにもさもさした頭が見える。パソコンの画面はブラックアウトしているから課題が終わったのかどうかはわからない。
 起こさなければと動かした体の末端。夢と現実の区別が曖昧になる。

「たち、かわ」

 お腹に掛けられた布団。静かな夕暮れ。絡められた指先が温かくて不安でどうしようもなくて、震えた。

「たちかわ、たち…………け、い」

「――なまえ?」

 見開いた目がこちらを見ている。私も驚いているから、そんなおろおろとした顔でみないでよ。
 太刀川が悪いよ。夢の中で泣いてるから、私までもらい泣きしちゃったんだ。たまに映画とかでうるっとくることはあるけど、こぼれるほど泣くなんて本当に久しぶりだった。

「どうした!? どっか痛いのか?」

「ちが、おきない、から……課題が」

「課題なら終わった。腹か? 背中か? 傷跡が痛いのか?」

 違う。わからない。泣いている理由はわからない。けれどさっきの夢とは逆に、離れようとした指先を離さないように強く掴んだ。

「太刀川が、泣くから」

「なにいって……」

「夢で、太刀川が泣くから。いつも慶って呼ばないと泣き止んでくれなくて。泣き止んだら、消えて、いなくなるから」

「安心しろそれは夢だ。俺はここにいるし、今泣いてんのはなまえだろ」

 太刀川らしくない優しい声。慣れないのに、不安は薄らぐ。
 私の強い力なんて、やっぱり男の太刀川には敵わない。指先は掴み返されるどころかもう一度絡め取られて、握られる。女の子と付き合ったことあるくせに、扱い方はわからないの? 握り方強すぎ。痛いよ。
 ソファーのスプリングを軋ませて、覆いかぶさる太刀川の表情は夢の中の消える間際のそれと重なる。
 どうしてその表情で私を見るの? いつから? いつから私は太刀川を拒めないの?
 合わさる唇が柔らかくて、さっきまでの不安感が怖いほどあっさり消えていく。いっそ離れていくほうが怖い。
 ねぇ、太刀川。私たちはいつからこんな関係?
 何度も重なって、舌が私の奥深くへ来ようとも容易く飲み込んでしまいそう。引っ込んでいた涙がまた溢れそうなほど満たされる理由はなに?

「た、たちかわっ……」

 これ以上はもうはっきりしない関係ではいられない。ここへ至るまで私には色々あった。花柄の子とかユキちゃんとか、昔呼び出してきた先輩とか。それらをひっくるめて腹を括らなければならないでしょう? 考えただけでげっそりするけど。
 繋いだ指先に力が籠る。

「なんで、こんな、急に」

「俺の中では急じゃない」

 なに言ってんだ? みたいな顔して首を傾げて。急だよ。だってこの前まで花柄の子と付き合ってたしその前はユキちゃんが好きだったんでしょう? 一ヶ月や二ヶ月で変わる心ならそれは急じゃん。
 それらをどう解りやすくこの男に説明するか、冷静でない頭で必死に考えるが、ふいに名前を呼ばれて意識はそちらへ向く。


「なまえ。友達、もうやめてもいいよな?」


 すぐにダメって言えなかった。まっすぐに真剣な顔で見下ろされる表情には切羽詰まったようなものさえ垣間見えたから。

 もし私が太刀川の前で死に際を曝すようなことになったら、泣きながら指先を掴むんじゃなくて、今みたいに、体の奥深くへ取り込まれそうなほど深く、抱き締めて欲しいなんてことを太刀川の手に絆されながら考えていた。






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