Once upon a time





※テセウス22歳、ニュート14歳の学年末のお話。



僕の通うホグワーツ魔法魔術学校には、この学校を創設した4人の魔法使いの名を冠した4つの寮がある。その中の1つ、ハッフルパフ寮の4人部屋の1つで、僕は重いため息を零した。

今日は1年ぶりに実家へ帰る日である。クリスマス休暇やイースター休暇の際には、怪我をした魔法動物の世話だの何だのと理由をつけて帰省をしなかったのだが、今回ばかりはそうもいかない。
僕は数日前に兄のテセウスから受け取った手紙を開き、手習いのお手本のような文字列を目で追った。

『親愛なる弟へ。元気に過ごしているだろうか?クリスマスはお前の顔が見られなくて残念だった』

そんな言葉から始まる少しのお小言と、そしてこちらの身を案じる気持ちに溢れた文面は、最後はこんなセンテンスで締めくくられていた。

『9月からは、我らがお姫様もホグワーツへ入学することになる。お前もホグワーツの先輩として、準備を手伝ってやってくれ』

我らがお姫様―――言い得て妙なその表現に、僕は肩を竦めて苦笑した。テセウスの言うお姫様の顔を思い浮かべて、そっとその文字を指で辿る。
お姫様の名前はアリアドネという。アリアドネ・スキャマンダー、もうじき11歳になる僕らの妹だ。僕にとっては3つ年下、兄にとっては11歳も年の離れた妹のことを、僕らは目の中に入れても痛くないほど可愛がってきた。その妹が9月から、僕の通うホグワーツに入学してくると言う。それを思うと、妹に会えると浮足立っていた気持ちが徐々に萎んでいった。

(嫌な訳じゃない、決して)

妹の事は愛しているし、近くで見守ることが許されるのであれば、色々な意味で安心出来る。でもそれは同時に、決して順調とは言えない僕の学校生活も、妹に知られてしまうということでもある。
なけなしのプライドと、思春期特有の家族に対する反抗心が綯交ぜになり、僕の口から重いため息となって零れ落ちた。しかしこうしてうじうじと悩んでいる間にも、ホグズミード駅から特急が出発する時間は刻一刻と迫っている。帰る日が遅れればテセウスがうるさいだろうし、何よりも。

(アリアドネは泣いてしまうかも知れないな……)

妹を泣かせるのは本意じゃない。僕はもう1つ息を零すと、トランクを抱えて部屋を出た。



キングズ・クロス駅の9と4分の3番線のプラットホームに降り立つと、そこには人だかりが出来ていた。人が多い所は苦手だ、と思ってしれっとその脇を通り過ぎようとすると、人だかりの輪の中心から声を掛けられて足を止めてしまった。

「ニュート!」

―――止めなきゃよかった。すぐにそう後悔したが、時すでに遅し。輪の中心にいた上背のある好青年は、満面の笑みを湛えて僕に向かって歩いて来ていた。僕と同じハッフルパフの寮生が、ご丁寧に身を避けてその人物が進む先を開けてくれた。そんなことしなくていいのに。
僕のうんざりした表情に気付いているのかいないのか、好青年は僕の前に立つと、徐に両腕を広げた。

「ニュート、お帰り。待ちわびたぞ」
「テセウス……」

別に待っていてくれなんて頼んでない、という憎まれ口は、伸びてきた腕に押し潰されて霧散した。ぎゅうぎゅうと力強くハグされて、薄い胸が圧迫される。
ああ、こんなことをしたら浴びたくもない注目を浴びてしまう。それでなくともテセウスは見目がいいし、人好きのするオーラがあって目立つ人間なのだ。ましてや彼は僕と同じハッフルパフの出身で、彼が在学中の頃を知っている人間はまだ大勢いる。“あの”テセウス・スキャマンダーの弟か、という目で見られるのはもう慣れていたけれど、不必要に目立つ真似はしたくなかった。

「兄さん、テセウス、苦しいよ」
「ああ、すまない。お前と会うのも久しぶりだからな」

随分背が伸びたんじゃないのか、と言いながら体を離し、テセウスは僕の肩や腕に遠慮なく触れてきた。相変わらずスキンシップ過多な兄である。

「それより、テセウス。アリアドネは?」

無駄に注目を浴びてしまい、僕は慌てて話の矛先を変えようと妹の名前を出した。
去年帰省した時は、母と一緒に迎えに来てくれていたのに。逆に去年はテセウスの方が忙しくて、わざわざ迎えに来るようなことはなかったのに。
妹の姿を探してきょろきょろと辺りを見回すと、テセウスはふと相好を崩した。

「アリアドネは家で寝てるよ」
「え?」
「昨日、お前が帰ってくるのが楽しみでしょうがなくて、なかなか寝付けなかったらしい」

それで迎えに来られなくなるんだから本末転倒だけどな、と兄は肩を揺らして笑った。眠っている妹を家で1人置いてくる訳にもいかず、母さんはそこで急遽兄に僕の迎えを依頼したらしい。

「そ、そうなんだ。じゃあ、こんな所で油を売ってないで早く帰ろう。僕もアリアドネに会いたいな」
「兄との感動の再会を、油を売るなんて言い方で済ませるなんて酷いな。だが、早く妹に会いたいという気持ちは僕も同感だ」

テセウスはそう言うと、片手を僕に向けて差し出した。僕が渋々ながらもその手を取ったのを確認すると、彼は未だに周囲でこちらの様子を窺っていたハッフルパフ生達に手を振った。途端、女子生徒を中心に声が上がる。兄の求心力を目の前でまざまざと見せつけられたような気がして、僕は握った手に力を籠めた。

「どうした?ニュート」
「……何でもない。いいから、早く行こう」

怪訝そうな顔をしながらも、兄は僕の望み通り、姿くらましでプラットホームから一瞬で移動した。



(こんなに長距離を一瞬で移動できるなんて、やっぱりテセウスはすごい魔法使いなんだな……)

まだまだ魔法を学び始めて3年の自分では、到底太刀打ちできない。埋めようのない実力差を痛感しながら、僕は実家の門扉を開けた。すると、その音が聴こえたのか、玄関のドアが勢いよく開き、中から小柄な影が飛び出してきた。

「ニュート!」

鈴が鳴るような可愛らしい声で僕を呼んだのは、3つ年下の妹だった。軽い足取りで僕らの元に駆け寄り、ぼくのローブに飛び込んでくる。

「ニュート、お帰りなさい。会いたかった!」
「おっと、……ただいま、アリアドネ」

しっかりとその体を抱き止めて、アリアドネの顔を覗き込む。去年よりも髪が伸びて、幾分か大人っぽくなったように見える。けれどそう思いはしても、上手く言葉に表すことができなくて、僕は曖昧に微笑んだ。
すると、抱き合ったままの僕達の背後から、ごほんとわざとらしい空咳の音がした。

「アリアドネ、僕にはお帰りと言ってくれないのか?」
「あっ、ごめんなさい、わざとじゃないの。テセウス、お帰りなさい!」

妹は僕の腕の中をすり抜け、今度はテセウスの胸に飛び込んだ。危なげなくそれを受け止め、テセウスは顔を綻ばせながら小さな体に腕を回した。

「目が醒めたんだな。よく眠れたか?」
「うん、お蔭でぐっすり。だから今晩は、少しくらい夜更かししても平気よ」
「こら、夜はきちんと睡眠を摂らないと、お肌に悪いぞ。可愛い顔にニキビが出来たら嫌だろう?」
「テセウスと違って、まだそんなこと心配いらない歳だもん。ねえニュート、今日はたくさん魔法生物のお話を聴かせて?」

ホグワーツの周りには素敵な魔法生物達がいっぱい居るんでしょう、とアリアドネは僕を振り返った。まだ見ぬホグワーツへの期待に満ちたその瞳を見返すと、無碍に断ることも出来なくて、僕はテセウスの腕に抱えられた妹の小さな頭をそっと撫でた。

「解った、お風呂が済んだら僕の部屋においで。絵を描いて説明してあげるよ」
「本当?うれしい!ありがとう、ニュートお兄ちゃん」
「まったく、都合のいいときだけ妹面するんだから……」

呆れたようなことを口にしつつ、僕は内心とても喜んでいた。魔法生物飼育学を学び始めたのは今年度からだけど、ボウトラックルやニフラーなど、とても魅力的で不思議な生き物達がホグワーツの周りにはたくさん居た。それを手紙に書いていたのを、妹は覚えていてくれたのだ。

「よし、それじゃニュートは荷物を置いておいで。その後は僕の部屋に来てくれ」
「え……、どうして?」
「2人にお土産があるんだ。魔法生物の勉強をするにはちょうどいいお土産がね。こないだ仕事でビルマの役人と会うことがあってな」

魔法省に勤めるテセウスは、世界各国の魔法省の役人と関わり合いになることが多い。それはテセウスの交渉術や男女問わず魅了してしまう容姿を、国際的な魔法議会などの場で、彼の上司が利用しているためだ。けれど文句も言わずにそのやり方に従っているということは、テセウスも自分の話術や見た目が十分武器になるということを知っているのだろう。

アリアドネはテセウスの言葉にぱっと目を輝かせた。

「お土産?お菓子?それとも本?」
「さあ。それは見てのお楽しみだな」
「見たい見たい!ニュート、早く荷物を屋敷しもべ妖精に預けてきて!」

楽しみでしょうがない、と言いたげな妹の様子に、僕は肩の力を抜いて微笑んだ。兄に対しても妹に対しても思う所はあるものの、それは今考えても仕方のないことだ。ひとまずは我らがお姫様の気嫌を損ねる前に、テセウスのお土産とやらを見せてもらおう。
そう決めて、僕はトランクを抱えなおして1年振りの実家へと足を踏み入れた。


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