03






“彼女”との再会は、忘れた頃にやって来た。

警察学校の初任科の同期で、同じ釜の飯を食った仲間である萩原が死んだ。
警視庁警備部機動隊の爆発物処理班は、若手エリート警察官の登竜門として知られている。そこに所属していた同期の訃報を僕が受け取ったのは、僕らが一人前の警察官になって間もなくの事だった。享年22歳。将来を嘱望された若者の、あまりにも早すぎる死だった。

同期の死を知っても、死に目に会うどころか表立ってお悔やみを言いに行くことも出来ない自分の立場を呪いながら、僕は鉛色の空を仰いだ。死んだ萩原と最後に会話をしたのは、同じく警察学校の同期であった松田だったと言う。彼の見つめるその先で、萩原は最期まで同僚を気遣い、逃げろと叫びながらその命を散らしたのだ。
大事な仲間がこんなに呆気なく死んでしまう。警察という組織に所属している以上、それは避けて通れない運命だった。

だが、まだ警察官として働き始めて間もない僕らには、それを“よくある話”として受け止めるだけの覚悟が出来ていなかった。萩原の死は僕らにとって、あまりに重すぎる最初の楔となったのだった。



萩原の死を知った夜、僕は夢の中で“彼女”と再会した。十数年ぶりに見た彼女は、やはりエレーナ先生と同じ姿をしていた。それでも、友の死と同時に僕の心に去来した美しい女性の幻影が“優しいエレーナ先生”ではなく“彼女”だと解るほど、彼女の纏う気配は独特の禍々しさを放っていた。

「随分と久しぶりに見る顔ね。私のことを覚えていて?」
「……出来ることなら、ずっと忘れていたかったさ」
「つれないことを言うのね。だけど、いくら私のことを無視しようとしても、あなたは私を拒絶することはできないわ」

私は誰の心の中にも等しく存在するものなのだから―――と、彼女は僕の心臓の上に人差し指を置いた。
瞬間、身の毛がよだつほどの冷気が全身を駆け巡った。
直接肌が触れあった訳でもないのに、彼女の指先が、彼女の存在すべてが氷のように冷たい空気を放っているのが解った。透き通るような白い肌は、その奥に青い血でも通っているのではないかと思えるほどの生気のない色をしていた。

「あなたのご友人も、気の毒なことね。まだこんな若さで死ななければならないなんて」

気付けば、彼女の背後にはぴくりとも動かない体が、見えない壁に背中を預けるように蹲っていた。最初は足元しか見えていなかったその体の持ち主の輪郭が、段々と黒いベールが取り払われていくように暗闇の中にその姿を現していく。
僕が相手の顔を認識し、その名前を呼ぼうとすると、彼女の碧の冷たい眼差しが僕を射抜いた。

「その名前を呼べば、あなたも戻れなくなるわよ」
「―――」
「あなたはまだ、こちらの住人になってはいけない人間なの。だからまだ、その名前を呼んではだめ」

彼女はそう言って背後に転がる萩原の遺体の前に跪いた。その手を取って恭しく口付けると、鮮血に濡れた頬に手を添えて仰向かせる。

「待て、……何を、?」

彼女が萩原の唇に自分のそれを近付けようとしているのに気付いて、僕は戸惑いの声を上げた。彼女は僕の無様に歪む表情を見て、吐息をこぼすように笑った。

「私は“死”を司るもの。この世に生きとし生ける者はすべて、私のキスによって命を絶たれる運命にあるのよ」
「…………っ、やめろ!」

僕は彼女の動きを止めさせるため、その体を羽交い締めしようと腕を伸ばした。伸ばそうと、した。
しかし僕の体は重い訛りの枷でも嵌められたかのように、これっぽっちも動かなかった。

「クソっ、何だ、これ……!」

無駄な抵抗をする僕を、彼女は分厚い眼鏡の向こうの冷たい瞳で愉しそうに眺めていた。薄い艶やかな唇が、酷薄な笑みを湛えて僕の心を抉る言葉を吐く。

「そこで指を咥えて見ていなさい。大切な仲間が今まさに死にゆく、その時を」

彼女は手入れのされた指先で分厚い眼鏡を取り払った。その手で愛おしそうに血の気の失せた萩原の肌を撫でて、徐に身を屈めていく。

「やめろ……、やめてくれ」

絶望に打ちひしがれる僕の声を聴きながら、彼女はゆっくりと萩原の顔に自分の顔を近付けて、

「やめろ!」

やがて、長い金髪が2人の横顔を包んだ。

魂を切るような悲痛な叫びが、天井も壁もない暗闇の中に力なく反響した。



そしてそんな萩原の後を追うように、同じ爆弾魔によって松田もまた、その命を奪われることになった。萩原の死から丸4年後の11月7日。観覧車に仕掛けられた爆弾は、あいつの技量をもってすれば難なく解体できたはずだった。だが、あいつはそうしなかった。自分の命を守ることよりも仲間の敵を討つことよりも、次に爆破されるであろう目標とそこにいるはずの市民の命を守ることを優先したためだ。

警察官としての本分を全うして死んでいった仲間のことを、誇りに思いこそすれ、詰ることなど僕には到底できなかった。本当は、いくら叫んでも叫び足りないくらいに悔しい気持ちでいっぱいだったが、それを表に出すことは許されない。この時の僕は既に“バーボン”として組織に潜入する身の上だったのだ。僕が友の死を知ったのも、彼が命を散らせてから既に数か月が過ぎた後だった。


その日は夢を見なかったが、僕にその報せを齎した幼馴染の背後にもまた、あの焦がれてやまない容姿をした、忌まわしい女の影が付き纏っていた。



To Be Continued...


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