02






「お前の顔を見せてくれ」
「私の顔なんて見て、どうするつもり?」
「顔を見れば、お前が誰か解るかも知れないだろ?」

突然、私の領域に飛び込んできた少年の返事はあまりにも思いがけないもので、私は喉の奥を鳴らして嗤った。
その時、私の胸に沸き起こったのは純然たる好奇心だった。

(この子の目に、私はどんな風に映るのかしら)

これまで私の姿を見て、人間が見せた反応は様々だった。泣き叫ぶ者、恐怖に失神する者、有り難いと伏し拝む者。見る者によって姿を変える“私”は、自分の本当の姿を永遠に知ることはない。

けれどこの少年はどうだろう。この少年もまた、私の姿を見たら泣くのだろうか。それとも、全く別の人間の面影を私に見て、安らぎを覚えるのだろうか。

見てみたい、と思った。大の大人が泣き叫んで許しを請う、自分の姿を見たいと思った。
彼ならば、私を見てもきっと逃げ出したりはしないだろうと、根拠もなく信じていた。

「いいわ、少しの間目を瞑っていて。あなたの望み通り、姿を見せてあげる」

少年は私の言葉に従って大人しく瞼を下ろした。一陣の風が吹き抜けて、その風に促されるように少年は目を開けた。垂れた大きな蒼い瞳が、その目に私を映して丸く開かれる。

「エレーナ先生……?」

聴こえてきた言葉に、私はおや、と目を瞬かせた。どうやら私の予想は半分当たったようだが、まさか“先生”と呼ばれる立場の人間を彼が思い浮かべるとは思わなかった。

「エレーナ先生、なんでここに!?……っ遠い所に行ったんじゃなかったのか!?」
「ふぅん。あなたにとっての私のイメージは、その“エレーナ先生”っていう人なのね」

私は少年を宥めるように優しい声音を作って言った。

「……どういう意味だ?お前のその顔は、お前の本当の顔じゃないってことか?」
「ええ、そうよ。私はあなたの心を映す鏡のような存在なの。私はあなたにとって1番魅力的に見える姿で、あなたの前に現れる」
「ボクにとっての、1番魅力的な姿……」

少年は小さく呟いて、確かめるように私の手に触れてきた。けれど私の手は、生きている人間のような温もりを少年の手に伝えることはなかった。

「……また、ここに来れば会えるのか?」

思い掛けない言葉を受けて、私は目を丸くした。これまで散々忌み嫌われ、恐れられてきた身としては、再会を期待されるようなことを言われたことがなかったからだ。

「私はあなたの求める人間とは違うわ。それでも私にまた会いたいの?」
「だって、その人にはもう二度と会えないんだ。先生はもう、ボクを置いて遠くに行っちゃったから……」

じわ、と少年の大きな瞳に涙が滲む。それを見て、私は少年がなぜ自分の存在を認識できたのかを知った。
少年は理解しているのだ。自分が恋い焦がれ、求めていた人間が、今はもうこの世に居ないことを。だからこそ、少年は私にその面影を求めたのである。

「解ってるよ。お前はエレーナ先生じゃない。エレーナ先生は事故で死んだんだ。だからお前は、エレーナ先生の姿をした“死”そのものだ」

あっさりと正体を当てられて、私は感動のあまり自然と口角を上げていた。
そう、私は“死”―――ありとあらゆる生き物を、あの世へ送る役割を仰せつかった見えざる力の化身だ。

「“死”っていうのはもっと、怖いものだと思ってた。だけどお前はちっとも怖くないんだな」

エレーナ先生の姿をしてるんなら、このままずっと傍に居て欲しいくらいだ。少年はそう言って、馬鹿げた願いを口にした自分に対して苦笑した。

私は自分の胸がこれまで感じたこともないほど激しく高鳴っているのを自覚した。
私は今まで、ただ淡々と人を殺し、その魂をあの世へと送ってきた。そこに何かの疑問を差し挟む余地もなく、躊躇いを抱くこともなく。
けれど、少年の眼差しが私を見つけ、1人の人間として認識した。その瞬間、私は初めて自分が“生きている”ことを実感したのだ。

だから私は決心した。今すぐこの少年をあの世へ連れていくことは簡単だ。けれど、それでは自分の人生はまた退屈なものに戻ってしまう。
ならば私が満足するまで、彼の生き様を見守ってみることにしよう。

「戻りなさい、降谷零。わざわざこちらへ来なくても、私はあなたが望んだ時に、あなたに会いに行ってあげる」

私は少年の温かい手を握り返してそう答えた。この世にこんなに温かい手が存在していたということを、私はこの時初めて知った。

「お前は、ずっとここに1人で居るつもりなのか?」
「私は生きている者の心の中に、常に存在しているの。あなたの心の中にもね」

それは紛れもない呪いだった。人から疎まれ、恐れられ、そして安寧へと誘う“死”は、この幼い少年の心に自らの名前を刻みこんだ。

「あなたが私を心から求めた時、初めて私はあなたを得る。それまで待つわ―――あなたがこの掌に堕ちてくるのをね」

こちらから強引に奪うことはしない。そんなことをしなくても、彼自らがこの私のものになることを選ぶときが、必ず来る。


「これから先、あなたが誰を愛したとしても、最後に選ぶ相手はこの私よ」


少年は私の呪いの言葉を聞きながら、闇の中で再び目を閉じた。次に目を醒ました時には、きっと彼は私と出会った事を忘れてしまっているはずだ。
けれど、それで構わなかった。彼の心に抜けない楔を刺すことは出来たのだから、折に触れて自分の事を思い出してくれればいいと思った。

私は満ち足りた気持ちで瞼を閉じた。誰の心の中にも等しく潜む“死”は、これから先、降谷零の人生に色濃く影を落とし続けることになる。



To Be Continued...



※元ネタはミュージカル「エリザベート」の『Rond-schwarzer Prinz』。「彼女」=「Tot(死という概念の擬人化)」。人を誘惑し死に誘うために、その人にとって最も魅力的に見える姿をしていると言われている。



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