職員室へ





英語の週末課題を集めて提出、とジョディ先生に言われた通り、私はクラス全員分のノートを抱えて職員室へと向かっていた。40人分のノートを1人で抱えるのは、文化部にはそこそこ辛いものがある。おチビなせいでまともに前が見えていないことも手伝って、まっすぐに歩けているかも怪しかった。
何度も抱えなおしながら階段をよたよたと降りていると、踊り場で急に視界が開けた。

「わっ」
「お困りですか、お嬢さん」
「黒羽君!」

私の手からノートを3分の2ほど取り上げてくれたその人は、去年同じクラスだった黒羽快斗君だった。同じく去年クラスメイトだった工藤新一君とは顔も声もそっくりどいうことで、双子のように扱われていた人物である。

「ありがとう、助かる!今度何か奢るね!」
「おう、んじゃ遠慮なく。これ、どこまで運ぶんだ?」
「職員室の、ジョディ先生のとこまでだよ。そうだ黒羽君、お得意のマジックでこのノート瞬間移動させてよ」

私が冗談めかしてそう言うと、彼はやなこった、と唇をへの字に曲げた。

「マジシャンってのはな、便利屋じゃねえんだよ。ここぞって場面であっと驚く演出をするのが楽しいんだ」
「その割に、去年は毎日のようにびっくりさせられてた記憶があるんだけど?」
「藤原は反応が面白えからな!例えば、ほら」

促す声に従って視線を彼の顔に向けると、彼は器用に片手でノートを抱え上げて右手にハンカチを持っていた。何の変哲もない、男物のハンカチだ。

「よーく見とけよ、っと!」
「へ?何これ?……カフスボタン?」

彼がハンカチの下でぐっと手を握ると、さっきまでは何もなかった掌に、一つのカフスボタンが載っていた。私がまじまじとそれを見つめていると、彼はにしし、と悪戯っぽく笑った。

「これ、お前の大好きな安室先生のカフスだぜ」
「えっ!?あ、安室先生の!?マジで!?」
「おう、マジマジ。今日俺らのクラスの0時間目が古文だったんだけどよ、ぽろっと落としてったみたいでさ」
「へえー、いいなあ朝から安室先生の授業受けられるなんて」
「お前んとこ朝講習何だったんだ?」
「数学。赤井先生」
「あー、ご愁傷さん」

黒羽君は去年から私と赤井先生のバトルを見ているので、私がいかに数学が嫌いなのか、そして赤井先生を苦手としているのかよく知っていた。

「んで、お前、このカフスどうする?」
「どうするって?」
「お前から渡すか?ってことだよ」
「いいの!?」

私は勢い込んで尋ねた。勢いよすぎてノートが落ちそうになったくらいだ。
黒羽君は私の食い付きように、お前は相変わらずだな、と破顔した。

「いいぜ。俺から渡すのも何か恥ずかしいしな」
「ありがとう!恩に着るね!」
「おう、今度課題見せてくれよー?」

交渉成立。私は黒羽君の手から安室先生のカフスボタンを受け取り、大切に握りしめた。
職員室のドアが見えてくると、私は黒羽君からノートを全部貰い受けた。お礼を言って別れると、再びよたよたしながら職員室のドアを開く。
ジョディ先生は席を外していたので、私は持ってきたメモに自分のクラスの分です、と伝言を残して机の上に置いた。

「さて、課題はこれでいいとして……」

きょろ、と視線を巡らせて、安室先生の姿を捜す。目立つ金髪はすぐには見つからず、遠くを見渡そうと私は小さく背伸びをした。

その時、背後から来た人影に背中がぶつかった。慌てて振り返り、頭を下げる。

「す、すみません!よそ見してました」
「おー、藤原ちゃん。久しぶりだな!」

快活な声に顔を上げると、そこに立っていたのは物理の萩原先生だった。文系の私達はもう授業を受け持ってもらう機会がなくなったけど、去年1年お世話になった先生である。

「萩原先生、こんにちは!あの、安室先生がどこにいらっしゃるか知りませんか?」
「あー、あむろせんせい、な。ははっ」
「?」

何故か萩原先生は、私が安室先生と呼んだことが笑いのツボに嵌ったらしい。わざわざ反対側の机に座っていた松田先生を呼びつけて、“あむろせんせい”という呼称についてお腹を抱えて笑い始めた。
松田先生はそんな萩原先生の頭にチョップを食らわせ、私に向き直った。

「あー、藤原、この馬鹿のことは放っといていいぞ。で、あいつに何の用だ?」
「あ、その、落とし物を届けに来たんです。このカフスボタンなんですけど」
「カフス?」

松田先生はまじまじと私の手許を見つめてきた。私がそれを差し出すと、先生は確かにあいつのだな、と頷いた。

「でも間が悪いな。あいつ、2分前まで自分の席にいたのによ」
「景光と一緒にどっか行っちまったなー」
「そうなんですか……」

タイミングの神様は、そう簡単に微笑んではくれないようだ。せっかく授業以外の時間も会えると思って来たのにな。黒羽君の気遣いも無駄になってしまった。

「じゃあ、松田先生」

私の代わりに渡してもらってもいいですか、と言おうとしたその時、予鈴が鳴った。慌てて時計を見上げると、次の授業まで確かにあと5分しか残されていなかった。

「松田先生、このさい萩原先生でもいいです、このカフス安室先生にお渡ししてもらえませんか?」
「なんか俺の扱い雑じゃね?」
「日頃の行いの報いだろ」
「いや俺藤原ちゃんに嫌われるようなこと何もしてないよ!?」
「そういう騒がしいところが舐められてんだよ。それはさておき」

藤原、と松田先生はカフスボタンを差し出そうとする私の手を押し返した。

「そいつはお前が持ってろ。そんで直接渡してやれよ」
「え?私が、ですか?」
「おう。ほら、早く戻んねーと次の授業間に合わねえぞ」
「うわ、ヤバいあと3分しかない!」

どうやら迷っている暇はなさそうだ。私は松田先生の言葉通り、安室先生のカフスボタンをもう一度握りなおして頭を下げた。

「すみません、お忙しいのにお手間取らせて。一旦これで失礼します!」
「おー、サボんなよ!」
「こけんなよー」
「はーい!気を付けますー!」

2人の声を背中で聴きながら、私は教室へ戻る道を急いだ。


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