09





ナターリヤ、エドゥアルド、ルカスと紹介された3人は、遠慮という言葉を知らないかのように僕の全身をじろじろと見やった。

「ふーん。お前がさくらの片思いの相手、ねえ」
「そのスマートウォッチ、クールだな。どこのメーカーのだ?」
「やだ、こんなイケメンどこで捕まえたの?さくら、頑張って落としなさいよ!」
「ちょ、ちょっと3人とも!安室さん困ってるから……!」

慌てて取り成すようにさくらが僕の前に出る。その時鼻腔を擽ったのはファンデーションの香りで、首筋をカバーするようにという僕の忠告が聞き入れられたことを知った。

半年前に半壊してしまった東都水族館も、今はすっかり元の姿を取り戻している。組織によって爆破させられた観覧車も、土台が崩壊しなかった1輪だけが残って稼働していた。
ここで起こった事件が、僕達の関係を大きく変えた。

「ごめんなさい、安室さん。急にお呼びしたのに、失礼なことばっかり言って」
「いえいえ、気にしないでください。愉快な方たちで楽しいですよ」

僕はさくらに笑顔を向けると、その表情のまま彼女の友人たちに向き直った。

「初めまして、さくらさんの友人の安室透と言います。みなさんは日本は初めてですか?」
「英語も上手なのね。一体どこに欠点があるのかしら?」
「こらこら、ナターシャ。人の欠点を探すよりも、いいところを探した方が楽しいぞ」
「ああ、初めてさ。日本の女の子は皆魅力的だね!ヤマトナデシコって奴かい?」

勿論、さくらが一番可愛いけどな!と言ってエドゥアルドは彼女の肩を抱き寄せた。後で覚えてろ、このナンパなイタリア男が。
僕の怒りのオーラを感じ取ったのか、彼女はびし、とエドゥアルドの胸に指を突き付けた。

「エディ、あんまり悪戯がすぎたらユリアに言いつけちゃうわよ。あなたのロミオは日本で他の女に鼻の下を伸ばしてたって」
「ゲッ、それは勘弁してくれ!ユールヒェンの拳は痛いんだよ!」

ユールヒェンというのはこのエドゥアルドの恋人だろうか。ユールヒェンをイタリア読みにしたらジュリエットになる。ロミオと言ったのはそういうことか。

「それじゃ、さっそく回りましょ!メインのイルカのショーは何時から?」
「2時半からのと、4時半からのがありますね。どちらを観に行かれますか?」
「4時半からのにしようか。それまでにジンベエザメの水槽も見てみたいし、あの観覧車にも乗りたいしな」

ルカスの提案に従って、僕達は最初にジンベエザメの巨大な水槽に向かった。

外国人の3人は、アートのような生き物の展示に子供の用にはしゃいでいた。その後ろをさくらと並んで歩きながら、僕は辺りに神経を張り巡らせる。
さっきから、言いようのない不快感が喉元に纏わりついていた。空港では感じなかったこの空気は、どこかで僕以外の組織の人間が彼女を見張っているのだと悟らせるには十分だった。十中八九ベルモットだろうが。

(見張られているのは、僕も同じか)

こうして隣を歩いている間も、“バーボン”と“ターゲット”の距離感を崩すことは出来ない。思っていたよりも気の抜けないデートになりそうだな、と思った時、彼女の目が僕に向けられた。

「安室さん、本当に来ていただいて大丈夫だったんですか?せっかくバイトもお休みだったのに」
「ええ、大丈夫ですよ。どうしてですか?」
「だって、お休みの日に友人を紹介するから出てこいなんて、少し考えたらすっごく厚かましいお願いだったなって……。ごめんなさい、もっと前に気付くべきでした」
「今日のさくらさんは、謝ってばかりですね」

しおらしく肩を落とす様子に苦笑して、僕は片目を瞑ってみせた。

「嫌だったら、きちんと断ります。でもあなたに会いたいと思ったから、休日でものこのこと出てきたんです。だから謝らないでください」
「安室さん」
「それともあなたは、こうして僕に会うのは嫌ですか?」

わざとらしく落ち込んだ振りをしてみれば、彼女はぶんぶんと顔を振った。

「だったら、そんな顔をしないでください。あなたには明るい顔の方が似合う」

にっこりと微笑みかけると、彼女はほんのりと頬を染めて俯いた。その顔をじっくり見られないことが残念だ。監視さえされていなければ、その顔を強引に上げさせていたものを。

「さくら!安室さん!ほらほら、早く見て!」

大きな口を開けたジンベエザメに驚いたナターリヤが、興奮した様子で僕達を呼ぶ。その声にぱっと顔を上げ、さくらは水槽に足を向けた。

「どうしたの?ナターシャ」

彼女の立っていた場所に、ふわりとファンデーションの香りが残る。それは決して不快なものではなかったが、真っ昼間の人混みの中で嗅ぐには、やや濃厚な香りだった。

*****

イルカショーの前に観覧車に乗ろう、ということで、私達は水族館を出て隣の敷地へ向かった。人生で最大級と言ってもいいトラウマの現場だが、意外と平気なものなんだな、と1人で納得しながら人数分のチケットを買う。

「お待たせ。はい、1人1枚ずつね」
「ありがとう、さくら。上から見た景色はとっても綺麗でしょうね」
「ええ、下から当たるスポットライトにも注目してね」

平日だからさほど待つことも無く、私達の番はやってきた。
8人掛けのゴンドラに、零さんに続いて私が乗り込む。けれどいつまで経ってもあとの3人は動こうとしなかった。

「ちょっとナターシャ、もう行っちゃうわよ」
「ええ、お先に行ってらっしゃい!」
「お先にって……」
「私達は次のゴンドラに乗るから、あなた達は2人でどうぞー!」

ナターリヤはそう言って、ぶんぶんと手を振った。後ろでエドゥアルドとルカスが、英語でスタッフさんに説明している。
気を遣われたのだ、とすぐに気付いた。“私が安室さんに片思いをしている”という設定を彼女達は覚えていて、2人きりにしてやろうと親切心を働かせてくれたのだろう。

「あははは、どうやら僕達は気を遣われたようですね」
「もう、他にも待ってるお客さんいるのに……」
「1台くらい平気ですよ。しばらく2人きりですが、よろしくお願いしますね」

この観覧車が一周するのに掛かる時間はおよそ18分である。たったそれだけの時間でも周囲から隔離された空間に居られることが嬉しくて、私は正面から零さんと向き合った。
零さんはトントン、と私の胸元を見つめながら自分の胸元を指さした。

「そのペンダント、素敵ですね。どなたかの贈り物ですか?」
「ああ、これですか?」

私は胸元のペンダントトップに目を落とした。名前のイニシャルをモチーフにしたアルファベットに、小粒のパールが一粒付いたものだ。

「大学を卒業した時に、祖母からもらったんです」
「へえ、おばあ様から。とてもお似合いですよ。よく見させてもらっても?」
「ええ、どうぞ……、痛っ」
「どうしました?さくらさん」
「あ、髪が絡まっちゃったみたいで……」

ペンダントトップを見せるためにチェーンを持ち上げた時に、襟足の髪の毛を巻き込んでしまったようだ。手探りで髪をのけようと思っても、背中側だから全く見えず、中々思うようにいかない。
私が1人で奮闘していると、見かねた零さんが向かいの席からこちらの席に移動してきた。

「貸してください」
「あ、」

私の背中側に腰を下ろし、彼は私の首筋に手を伸ばした。彼の指が細いチェーンに触れて、髪に触れる。

そしてその長い指が、擽るように生え際の皮膚をなぞった。

「……ひゃ、ぅ」

弱り切ったような声が漏れて、私はぎゅうと目を瞑った。
ほんの一瞬。風に吹かれるようなタッチで一瞬触れられただけのそこが、火傷をしたように熱を持つ。
ばくばくと心臓が鳴って、私は膝の上で両手を握りしめた。彼の指はその間も、丁寧な手つきで私の髪をゆっくり解き、背中に撫でつける。

私達の関係を悟られる訳にはいかないのに、彼の手が触れているのだと思うだけで、勝手に体が過敏になっていくのが解った。

「……あ、むろ、さん」
「はい」
「あの、まだですか……?」

これ以上は心臓がもたない。そんな思いを籠めて視線だけを背後に向けると、彼は薄い唇に笑みを刷いた。

「まだです。だからじっとして」

その言葉に、じんわりと涙が浮かびそうになった。もう終わりだと言って欲しかったのに、まだだと言われてホッとしているのも事実だった。

まだ足りない。本当はこんな程度の触れ方じゃ、この渇きは癒せない。
そんな凶暴な熱をその瞳に見て、私はぱっと目を逸らした。

18分という時間をこれほど長く感じたのは、人生で初めてのことだった。


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