08





ドイツから来る友人を迎えに行く、というさくらの後を付けて、僕は羽田空港を訪れていた。

目深に被った帽子の向こう、瞳の色を隠すために掛けていたサングラスの向こう側で、彼女はゲートの前で柱に寄りかかりながらヘッドホンを嵌めていた。ノースリーブのストライプのワンピースと白いカーディガンを上品に着こなしたその姿に、道行く男どもがちらちらと視線を投げかける。

目を奪われる気持ちは解る。細身のシルエットで仕立てられたワンピースは、彼女の日本人離れした体型を際立たせる役割しか果たしていないし、膝より上のスカート丈が脚の長さを強調していた。その上にあの人形のような顔である。見るなという方が無茶振りだろう。

そうと解っていても、敢えて言いたい。僕の恋人にそんな不躾な視線を向けるな、と。

カモフラージュで持っていた新聞は1ミリも読み進められることなく、僕の手の中で次第に皺が寄り始めた。ヴヴヴッと鳴ったスマートウォッチに、ようやく我に返って咳払いをする。
せめて字を追っている振りでもしようと視線を落とすと、さっきまで見つめていた先で弾んだ声が聴こえた。

「さくら!ごめん、待たせたわね!」
「チャオチャオー、さくら!少し会わない間に、また綺麗になったんじゃないか?」
「お前は二言目にはそれだよな。さくら、今日はよろしくな」
「ナターシャ、エディ、ルカス!」

顔を上げると、彼女の周りには2人の男と1人の女が立っていた。あれが彼女のドイツでの学友か、と内心一人ごちる。全員癖のある英語を話しているということは、彼らの母国語は英語ではないようだ。

「ようこそ、日本へ。フライトは窮屈だったでしょう」
「ううん、平気よ。でもエディがフランクフルトを発つ時に、急にお腹が痛くなっちゃってね」
「わーっ、それは内緒だって言っただろ!」
「隠したってどうせ自分から喋っていただろう。お前の口は羽より軽いからな」
「もう、みんな相変わらずね」

わいわいと再会を喜び合う4人組は、酷く人目を引いていた。それでも僕の目が吸い寄せられるのはただ1人だけだった。
あんな風に屈託なく笑う彼女の顔を見たのは、随分久しぶりのような気がした。

「今日はどうする?どこか行きたい場所はある?」
「そうねー、特に目星を付けている訳じゃないんだけど、午後からこのカフェに行ってみたいわ!」
「カフェ?」

彼女が首を傾げて、ナターシャと呼ばれた女性の手許を覗き込む。次の瞬間、ぶんぶんとその頭が横に振られた。

「こ、ここはやめましょうよ。他にも美味しいカフェはいっぱいあるわよ?」
「でも、ここに行けばあなたの恋人に会えるかも知れないじゃない!」
「えっ、さくら、恋人がいたのかい!?いつの間に!?」
「高嶺の花だと思われていた君にも、ついに決まった恋人ができたなんて……」

その会話を聴いて察した。恐らくあの女性が行きたいというカフェとは、喫茶ポアロのことだろう。恋人というのは、自惚れでなければ僕のことだ。

「こ、恋人じゃないわよ。私の片思いなの!」

必死に訂正しようとする彼女は、恐らくベルモットがどこかで聞き耳を立てていることを警戒しているのだ。これだけ人が多い空港なら、どこに組織の目が潜んでいるとも限らない。今の僕がまさにその立場にある。
しかし、彼女の学友たちはますます興味深そうに彼女に詰め寄った。

「片思い!?いいじゃないか、一番胸がときめく時期だよ!刺激的だよ!」
「エディは常に刺激を求めすぎだけどな」
「その人、今日はバイトのシフト入ってるの?」
「さあ?入ってないかも知れないわ」
「じゃあ、問題の彼がシフトに入ってればこのカフェに行く、入ってなければここに呼んじゃおうよ!」
「えええええ!?」

困惑する彼女をよそに、テンションの上がった外国人たちは勢いこんで畳みかけた。

「いいわね、それ!あなたがそれだけ好きになった男を、私も見てみたいわ」
「俺よりハンサムなのか!?そうじゃなきゃ認めないぞ!」
「お前が認める認めないはどうでもいいだろ。でも、俺も興味はあるかな」

難攻不落のレディ・アンを射止めた奴がどんな男なのか、ね。そう言って、ルカスと呼ばれた男はさくらの顎に指を掛け、細い頤を持ち上げた。ぐしゃりと僕の手の中で新聞紙が潰れた。

「……解ったわ。時間があるかどうか訊いてみるから、だから少し離れてちょうだい」

彼女は呆れた様子でルカスの顔を押しやったが、その落ち着いた態度に、普段から他の男にあんな距離を許しているのかと、言いがかりのような怒りが湧いた。事態が落ち着いたら、じっくりお説教してやらなければ。

ヴヴッとスマートウォッチが鳴る。ギルバートからの牽制かと思ったが、どうやら着信のようだった。
スマホを取り出し、相手の名前を確認する。本田さくら。目の前の彼女からの着信である。
僕はぐしゃぐしゃになった新聞紙を畳んで立ち上がり、さくら達から距離を取った。

「はい、もしもし。安室です」
「安室さん、急にごめんなさい。今、お電話大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。どうかなさったんですか?」
「実は、私の友人が日本に遊びに来てて。……あなたに会いたいって言ってるんですけど、今日はお時間空いてますか?」

(あ、)

今、ほんの一瞬だけ彼女の声が震えたのが解った。

「ええ、今日は1日空いてますよ。ご友人を紹介してくださるんですか?」
「あの、ご迷惑だったらそう言ってくださいね。そうしたら彼らも納得すると思うので」
「いいえ、迷惑なんかじゃありませんよ。僕もあなたに会いたいと思っていましたから」
「……明日、会えるのに?」
「ええ。明日会えるのに、です」

これくらい言っても、“バーボン”のキャラクター的に許容範囲内だろう。彼女は一瞬で声の震えを押しこんで、それじゃあ2時間後に東都水族館で、と切り出した。

「東都水族館?」
「ええ。さすがにトロピカルランドを回る体力は残っていないみたいなので」
「解りました。2時間後に向かいますね」

そう答えて、僕は静かに通話を終えた。

全く思いがけない形ではあるが、彼女とデートができるのだ。名目上はターゲットを見張るため、という味も素っ気もない目的だが。
気安く彼女に触れやがって、絶対1発殴ってやろうと思っていたが、こんな機会を与えてくれたことには素直に感謝しよう。

背後できゃあきゃあと騒ぐ4人組を一度だけ振り返り、僕はそっと空港を後にした。


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