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さくらの顔をしたベルモットを助手席に乗せ、僕は適当な通りを走っていた。彼女の実家はもちろん知っているが、そちらとはてんで見当違いの方角である。

「あら?実家の方向とは違うみたいですけど……」

一瞬どきりとしたが、これも鎌を掛けているのだろう。ここで僕がうっかりと、本当の彼女の実家の方向へ向かうことを期待しているのかも知れないが、そんな手には騙されない。僕は口端を緩めて飄々と嘯いた。

「折角一緒に居られるんですから、少し遠回りをしてもいいでしょう?」

あなたにお話ししたいこともありますし、と含みを持たせて微笑めば、ベルモットは胡乱げに目を眇めた。我慢比べはもうお仕舞いのようだ。

「……あなた、気付いてるんならそう言いなさいよ」
「何をですか?」
「惚けないで。私が本田さくらじゃないってことに、とっくに気付いていたんでしょう」
「そう思うのなら、さっさとそのマスクを捨ててくださいよ。ターゲットのドッペルゲンガーを見ているようで気味が悪い」

僕の言葉に、彼女はそっぽを向きながら顎の下に指を掛けた。剥ぎ取られたマスクの下から、見慣れたベルモットの顔が現れる。

「いつから気付いていたの?」
「あなたがこの車に乗った時ですかね。さくらさんはいつも、一度は助手席に座るのを断るんです。後部座席で十分ですって」
「あら……、あなたと彼女は、てっきり深い仲なのかと思っていたのに」
「違いますよ。彼女はああ見えて警戒心の強い人ですからね」

口から出まかせもいいところだ。だがとにかく今は、“ターゲット”の品定めをする“バーボン”の役に徹しなければならない。

「僕に好意を抱いてくれていることは確実でしょうが、手を握っただけで顔を真っ赤にする女性に、さすがにそれ以上の無体は強いられませんよ」
「あなたって、意外と紳士だったのねぇ」

現実と乖離しすぎたその形容に、僕は内心自嘲していた。紳士は恋人が眠っている隙に手を出すような真似はしない。

「まあいいわ。私がわざわざ会いに来た理由は、勿論解ってるのよね?」
「ええ。ジンから聴いた命令では、今回は特にあなたと組めという指示は含まれていませんでしたが」
「私はバックアップよ。あなたが彼女を取り逃がすようなことがあったら、私が動くってわけ」
「それは、僕が失敗するだろうと上に見做されているということですか?」

白々しいことは承知の上で、僕はプライドが傷付いたと言いたげに眉を顰めた。
ベルモットは駄々をこねる子供を見るような目で、呆れたように片眉を上げた。

「そう思われたくないんなら、さっさと半年間の仕上げをしてちょうだい。あの女を組織に引き入れるなら引き入れる、殺すなら殺す。ああ、あなたが殺せないって言うんなら、私がやってあげてもいいわよ」
「ご冗談を。僕に任された仕事なら、完璧にやり遂げてみせますよ」

彼女に死なれるのは惜しいのでね、と他人事のように呟けば、ベルモットはふぅん、と納得したのかしていないのかよく解らない声を上げた。

「それじゃ、期限を決めましょ。あなたがその日までに決着をつけられなければ、私がその女に会いに行くわ」
「いいでしょう。3日でいかがです?」
「随分強気ね。後悔しても知らないわよ」
「後悔なんてしませんよ。絶対にね」

ひとまず期限を区切ったことで、うすぼんやりと描いていた青写真が急速に具体性を帯び始めた。とんでもなく危険な賭けだが、組織の人間を納得させるにはこれ以上の方法はないだろう。
僕はベルモットにばれないように、彼女の整った横顔に視線を走らせた。よりにもよってこの僕に、弱みを知られたことが運の尽きだ。

3日後までの算段を頭の中で組み立てながら、僕はアクセルを踏む足に力を籠めた。

*****

「ギルバート。私、ホテルを取ってくれってお願いしたような気がするんだけど?」
「ホテルよりも安全な場所を思い出しましたので、そちらに手配をしたまでです」

私はギルバートの案内に従って辿り着いた場所で待ち構えていた男を見て、胡乱げに目を眇めた。対するギルバートは私の言葉を予測していたように、冷静な口調を崩さない。

確かにさっき、うっかりこの人の名前を出してしまったのは私の方だけど。

「だからって、何でよりにもよってこの人に頼るのよ……」

頭を抱えた私を見降ろして、相手は感情の読めない細い目を僅かに開いた。
沖矢昴。またの名を赤井秀一というこの男は、零さんが最も頼りにしたくない人間の筆頭だろう。事態が解決した時に一体どうやって弁明しようかと、私は早くも頭が痛くなる思いだった。

彼を頼るということは、彼が今身を寄せている工藤邸で匿ってもらうということだ。確かに下手な高級マンションよりもセキュリティはしっかりしているだろうが、零さん以外の男の人と一つ屋根の下で過ごすというのも何となく気が引けた。

「背に腹は代えられません。さくら、聞き分けてください」
「家主の許可は取っていますので、あなたが何日居座ろうと平気ですよ」

にこにこと笑って沖矢昴が言う。無駄に根回しがいいのが憎らしい。私は力なく笑って、大人しく荷物をトランクに詰め込んだ。

「さあどうぞ、助手席へ」
「後部座席で十分です……」

私が後部座席へ回ろうとすると、有無を言わせない笑顔で沖矢昴は助手席に私を押しこんだ。無言の威圧感に負けてシートベルトを締める。
彼が運転席に乗り込むと、赤いスバルは西日を浴びながら静かに発車した。

「……すみません、ご迷惑おかけして。ギルバートが無理を言ったんじゃないですか?」
「いや。俺も死んだギルバートから、君のことはよろしく頼むと言われていたからな」

死んでしまった師匠の名前を出されて、鼻がつんと痛んだ。そうだ、彼は生前、赤井さんとは友人同士だったのだ。

「あの男が狙われた時、俺は何も助けてやれなかった。俺のせいで組織に狙われることになったにも関わらず、だ。その罪滅ぼしじゃないが、せめて君を守らせてほしい」
「…………」
「一人で立ち向かおうとした勇気は立派だが、奴らへの対処のノウハウなら俺の方が知っている。だから頼れ。君は一人で奴らと向き合わなくていい」
「……、今、そういうこと言うの、反則です」

意味が解らない、と私は悪態をついた。
頼りになりすぎて、恰好よすぎて意味が解らない。

巻き込んでしまうことが怖くて、誰にも頼ることが出来なかった。零さんには厳しい監視の目がついていて、私の傍に居てはお互いの身に危険が及ぶ。
けれど、こうして頼ってもいいのだと手を差し伸べてくれる人がいるなんて思いもしなかった。触れてしまえば、その温かさに涙が出るほど安堵した。

彼の車が工藤邸に到着するまで、私は自分のハンカチに埋めたまま顔を上げることが出来なかった。


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