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コナン君の正体を探るのに、最初に本人に確認するなんて愚は犯さない。まずは外堀を埋めて行って、言い逃れできない状況に追い詰めなければならない。……我ながら、もっと他に表現はないのかと突っ込みたくなる状況だ。けれど綺麗事を一切抜きにするならば、それが紛うことなき本音である。

そのために私が最初に探りを入れたのは、阿笠博士の家にあるギルバートの端末だった。実家のデスクトップパソコンからネットワークを構築し、痕跡を残さないように侵入する。

「工藤新一が姿を消してから、博士が発明した物をリストにしてちょうだい。どんな小さなものでもいいから、一つも残さずにね」
「解りました」

ギルバートが博士のパソコンを調べている間、私は哀ちゃんのパソコンを調査していた。彼女の研究をこれまでじっくり見てこなかったことを、これほど後悔する日が来るとは思わなかった。この薬の他にも興味深い案件が多くて、つい流し見をしてしまっていたのだ。
けれど、情報を集めて理解するのは今からでも遅くはない。
私が猛スピードで哀ちゃんの論文やレポート、実験結果に目を通していると、ギルバートから声が掛かった。

「博士の発明品リストが揃いました。詳細を表示いたします」

この間に掛かった時間はわずか13分である。この人工知能の処理能力は以前よりもまた飛躍的に伸びているようだと、私は密かに手ごたえを感じていた。
一旦哀ちゃんのレポートから目を離し、ギルバートが送ってきたリストに目を向ける。

「犯人追跡眼鏡、蝶ネクタイ型変声器、腕時計型麻酔銃、キック力増強シューズ……」

どれもこれも、彼が日常的に使っているものだった。キック力増強シューズに関しては、つい先日、それを使って惑星探査機“はくちょう”から切り離されたカプセルの軌道を強引に変えていたのは記憶に新しい。他にもサッカーボールを射出できるベルトだとか、伸縮自在のサスペンダーなど、どこかで見たことのあるものばかりが写真付きで載っていた。
いずれにしても、大人よりも回る頭脳に子供の体が追いつかなくて、そのギャップを埋めるために発明されたものばかりである。

(これ、特許申請でもしたらそこそこ儲かるんじゃないかしら)

と、うっかり考える必要のないことに思いを馳せたくなるほど、これらの資料は江戸川コナン=工藤新一である、という仮説を事実たらしめんとしていた。

「さくらが確認した、哀さんの研究結果はいかがですか?」
「そうね……」

ギルバートの冷静な声に、私は再び視線を哀ちゃんのレポートに向けた。

「あの薬を生成できたのはほんの偶然だったみたい。理論上は生成できるけれど再現性がそれなりに低いAPTX4869という薬について、過去の臨床実験を踏まえた彼女の考察が綴られてるわ。今哀ちゃんが携わっているのは、このAPTX4869の解毒剤を作る研究みたいね」

再現性が低い研究という物は扱いが難しい。研究に取り掛かるためには、先立つもの―――つまりは研究費用が必要となるが、学会に費用を出してもらう以上、成果が確実に求められる。それを誰もが認める形で再現できなければ、それは研究としては“失敗”扱いされるのだ。
哀ちゃんが頭を悩ませているのはここだろう、と私は納得した。これまでも、一時的に元の体に戻れる解毒薬は開発できたものの、時間が経てば子供の姿に戻ってしまうものばかりだった。つまり根本的な解決には至っていないということだ。

これ以上詳しく知ろうと思ったら、こうして書類と睨めっこしているだけでは不可能だろう。実際に薬を使った実験に参加させてもらうか、もしくは。

黒の組織の人間に近付いて、情報を得る。

という、とても危険な賭けに出なければならない。

「さくら。妙なことを考えてはいませんね?」
「……。妙なことって、例えば?」
「半年前の事件の時、あの組織に恐ろしさは身を持って理解してもらったと思っていたのですが」

私は優秀すぎる相棒の言葉に肩を竦めながら、半年前の事件のことを思い返していた。
あの時負った心の傷は、時折思い出したかのように胸を締め付けることがある。

「そうね、確かに恐ろしかったわ。私も危うく死にかけたし、零さんだってNOCだと疑われて殺されかけたし、……実際に死んでしまった人間もいたものね」

私の生涯の師だったあの男が二度も死ぬことになった直接的な原因は、紛れもなくこの組織にある。一度目の死―――天才的な頭脳と絶大な影響力を持ったあの男でさえ、組織の追及を逃れるには死を偽装するしかなかったのだ。私のようなひよっこが、一人で太刀打ち出来る相手ではないことは解っていた。

けれど現実問題として、組織の魔の手は私を脅かそうとしている。

「零さん、私を殺すのかしら」

ぽつりと漏らした呟きを、人工知能は聞き逃してはくれなかった。

「やはり聴いていたのですね。今朝、ジンという男から降谷さんに下された命令を」
「ええ。零さんってば、たまにうっかりしてるでしょう。彼のスマートウォッチがベッドヘッドに置きっぱなしだったから、ちょっと借りて2人の会話を盗聴させてもらったの」

そして知ったのだ。あの男を組織に引き込もうとしたのと同じように、私にも白羽の矢が立ったのだということを。もしも私が組織の一員になることを拒否すれば、殺せと言われていたことを。

私が組織に与することなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。だったら残された選択肢は後者だけだ。

「あなたは以前、哀さんにこう言っていましたね。“例えば降谷さんに自分を殺せと命令が下った場合、躊躇いなく殺せる存在でなければならないと思っている”と」
「ええ。確かに言ったわ」
「ならばさくらは、死ぬのですか?降谷さんの手によって」

感情のこもらない、実に機械らしい声音に、私は目を閉じて微笑んだ。

「それが零さんのためになるならね。私を守るために、あの人の立場や命が脅かされることがあってはならないもの」

髪に指を梳き入れて、毛先を弄びながら私は小さく息を吐いた。

そう言っていただろう。以前までの私ならば。
そう続けようとした私を遮って、ギルバートは強い口調で窘めた。

「そんなことは許しません。あなたと降谷さんの命、どちらかを選べと言われたら、私は迷いなくあなたを優先します」
「……ギルバート」
「覚えていてください。あなたの命に万が一のことがあれば、私が降谷零を殺します」

この人工知能は零さんを確かに信頼している。あの人の指示に従い、あの人を献身的にサポートしてきたはずだ。
それでも彼が何より優先するのは、私の命だと言う。

「頼もしいナイトね。だけど過激な発言は慎んだ方がいいわよ。零さんに危害を加えようとするなら、あなたのプログラムを書き換えるかも知れないわ」
「さくらが命を粗末にしなければいいだけの話です」

しれっと答えて、人工知能は僅かに沈黙した。不貞腐れた子供のような態度に、私は眉を下げた。この子が心配性なのを解っていて、少し意地悪を言いすぎたかも知れない。

「そんなに怒らないで、ギルバート。以前までの私なら確かにそう言っていたかもしれないけれど、今はむしろ、絶対死んでやるもんかと思ってるんだから」

だって、零さんと約束したのだ。あなたの傍から離れないと。決して置いて行かないと。
それを聴いたあの人の、震えた吐息を感じてしまえば、簡単に死ぬなんて言えなかった。

「でしたら最初からそう言ってください。冗談でも、誰かのために自分の命を擲つなどと言わないでください」

人工知能の声は震えてはいなかったものの、笑って流す余裕がないのだと如実に物語っていた。

「ええ、肝に銘じるわ。だからあなたも、私が死なずに済む方法を一緒に考えてちょうだいね?」
「勿論です。そのためなら、私はどんなに無茶な要求でも完璧にこなしてみせます」

健気なナイトに感謝しつつ、私は零さんの裸の背を思い出していた。

零さんが今回の任務について何を考えているのか、私はまだ知らされていなかった。数時間前、彼がポアロに出勤する時は思いつめたような表情を見せるだけで、具体的な話は何もなかったのである。

けれどきっとあの人は、私を見捨てたりはしないだろう。だって彼は誰より強欲で、誰より諦めが悪い男なのだから。


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