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カプセルが爆風によって軌道を変え、落下地点がずれたところまでは計画通りだった。
しかし、その変わった落下地点が蘭も避難しているエッジ・オブ・オーシャンだなんて、さすがに予想できなかった。

急いでそこから避難しろ、と連絡を入れようにも、何度電話を掛けても繋がらない。多分混雑に巻き込まれているのだろうが、そのことが余計に俺を焦らせた。

「どうする!?時間が無いぞ!」

安室さんと俺は全速力で、警視庁の屋上から駆け下りていた。俺はそこであることを思い付き、有無を言わせない口調で迫った。

「安室さん。今度は、僕の協力者になってもらうよ!」

こちらの力を散々利用してくれたのだから、今度は俺のために動いてくれ。そう言って彼を踊り場から見下ろすと、彼は目を細めて頷いた。



エッジ・オブ・オーシャンに向かう道は、車の影でいっぱいだった。どうやら避難情報が錯綜して、埋め立て地に向かっている人が大勢道を塞いでいるらしい。
安室さんはそんな混雑など何のその、悠々と割り込んだかと思えば並走する車の間を通り抜け、中央分離帯の上を走行した。今更ながら、警察が堂々と道交法違反を犯している点については突っ込んでもいいのだろうか。

俺がスマホで確認したところ、この先は渋滞になっているようだった。避難誘導がうまくいかなかったのかも知れない。

「降谷さん、何をなさるおつもりですか?」

ギルバートさんの冷静な声が車内に響いた。それが聞こえている間も、安室さんはカーブを利用して片輪を跳ね上げ、壁を伝って狭い空間を抜けていく。フロントガラスが割られているから風圧がものすごくて、俺は思わず目を眇めた。

「ギルバート、至急計算してくれないか。カプセルの落下予測地点と、それを迎撃するためにどこで力を加えたらいいのかを」
「―――それは」
「頼む。出来ないという答えは期待してないからな」

それは頼みではなく脅迫だ。だけど無茶振りをされた相手はと言えば、静かに了承の意を伝えて少しの間沈黙した。

車体はスピードを一切緩めず、キャリアカーをジャンプ台のように利用してモノレールの線路に着地した。衝撃に体が跳ねて、シートベルトに締め付けられる。
小さく呻いたその時、灯台のように光を放つカジノタワーの姿が見えた。

今、あそこに向かって、4メートルを超えるカプセルが真っ逆さまに落下している。

*****

「ギルバート、あの人は何をしようとしているの!?」

私はスマートウォッチの音声と位置情報を自分のパソコンで追跡しながら、自分の予想が外れてくれていることを願った。
けれど人工知能は冷静だった。感情の読めない声で、淡々と事実を告げた。

「降谷さんとコナン君は、エッジ・オブ・オーシャンのカジノタワーに向かっています。落下してくるカプセルを、彼らだけで迎撃するつもりのようです」

悲鳴ともうめき声ともつかない声が喉を震わせた。やめて、と叫びそうになったところを必死に堪える。
彼らが守ろうとしているものが何なのかを知っているから、止めることなんて出来なかった。

「それで、サポートできることはある!?」

私は感情を押し殺して尋ねた。こうなったら全力で、彼らのアシストをするしかない。
泣くのは全てが終わってからでいい。

「さくらは迎撃のために必要な初速度と角度の計算をお願いします。哀さん、さくらの計算が終わり次第、時間の調整をお願いします」
「了解!」
「解ったわ!」

役目を与えられている方が、余計なことを考えずに済む。ギルバートは私という人間のことをよく解っている。
私と哀ちゃんは脇目も振らずにパソコンと睨めっこを始めた。やがて零さんのスマートウォッチから、コナン君の切羽詰まった声が聴こえてくる。

「安室さん、モノレールが!」
「ッ!?」

モノレールが何だと言うのか。横目で位置情報を確認すると、彼らの車の前方から大きな鉄の塊が向かってきているのが解った。

「さくら!画面を見てはいけません!」

ギルバートの声と共にウィンドウが消えた。私は脈拍が早くなるのを自覚して、聴こえてくる音声に集中する。

「しっかり掴まってるんだ!!」

余裕のない零さんの叫び声がして、モノレールのクラクションの音が迫ってくる。
いや。やめて。

(零さん)

頭の中が真っ白になって、馬鹿みたいに彼の名前を呼んだ時、

固いものが破壊される音が響いて、何かが空気を裂いて飛び散った。



一瞬の静寂の後、スピーカーからは再び車のエンジン音が聞こえ始めた。それを耳にして漸く、私は強張っていた全身から力を抜く。

「さくら、気持ちは解りますが今はこちらに集中してください」
「あ―――そうね、そうだわ。ギルバート、ありがとう」

すかさず私を現実に引き戻した人工知能にお礼を言って、私はもう一度パソコンに向き合った。

*****

ギルバートさんが計算したという発車位置は、カジノタワーの向かいにある建設中のビルだった。安室さんは広いエレベーターに車ごと乗り入れた。明るい所で確認すると、車体のボロボロ具合が際立つ。

俺は灰原から送られてきた発車時刻に合わせるため、スマホをいじってタイマーの設定を変更した。あと1分後にここから加速しなければ、カプセルの軌道を変えることは出来ない。イチかバチか、賭けてみるしかなかった。

(頼む、間に合ってくれ。―――蘭!)

カジノタワーに取り残されているであろう、誰より守りたい奴の顔を思い浮かべる。自然とスマホをいじる手に力が籠っていたのか、視線を感じて顔を上げれば、安室さんがまじまじと俺を見つめていた。

「え、な、何?」
「いや……」

ここで彼は嫌味を感じさせない笑顔を浮かべた。そしてしみじみとした声で言う。

「愛の力は偉大だな」
「え……」

この状況で愛の力ときたか。ついさっきあんな獣じみた顔を見せておいて、意外とこの人は余裕があるんじゃないだろうか。
しかし、おかげで少し緊張が解れたのは事実だ。彼の言葉尻に乗っかって、逆に俺からも質問させてもらおう。
車は目的の階に到着し、発車位置まで来て彼はブレーキを踏んだ。その横顔に問い掛ける。

「前から訊きたかったんだけど……」
「ん?」
「安室さんって、彼女とかいるの?―――例えばさくらさんとかさ」

一応質問の形を取ってはいるが、それはもう確信に近かった。さくらさんには相変わらずのらりくらりと躱されているが、そう言えばこの人からさくらさんの話を聴いたことは無かったな、と思い返す。
彼は呆れたように肩を竦めた。

「解ってて訊いてるだろう……」
「まあね。だけどさくらさんがいつまで経っても、尻尾を出してくれないから。結局2人は付き合ってるの?」

俺が悪びれずに頷くと、安室さんは少し考えてから他人事のように言った。

「言われてみれば、どうなんだろうな。……僕もさくらに訊いてみよう」

その答えは意外だった。てっきりはぐらかされるか、あっさり肯定されるかと思っていたのだ。

「え?まさか、お互いに気持ちを伝えてないの!?」
「そんな訳ないだろう、子供じゃないんだから。ただ、子供じゃないから、色々と考えてしまうこともあるんだよ」

だけどもっとシンプルに、好きだから一緒に居たいと伝えてみようかな。

発車の位置に付けながら、彼はこの場には居ない彼女のことを脳裏に思い浮かべていた。
見たこともないほど穏やかな色を湛えていたその瞳が、不意に獰猛な色を帯びる。

「だからその為にも―――生きて戻らないといけないな!」

FDのエンジン音が辺りに反響し、いよいよカウントダウンが始まる。

「5、4、3、2、1……」

―――ゼロ。

俺達の声が揃った瞬間、彼の愛車は火を噴きながら急発進した。





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