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エッジ・オブ・オーシャンの国際会議場の爆発事件から1時間後、僕は協力者の一人である本田さくらに連絡を取っていた。

まさしく今日、半年ぶりに日本に帰国するという話を彼女から聴いた時、僕は素直に心が弾んだ。この半年間、事件に協力してもらうことは多々あったものの、直接会うのは本当に久しぶりである。だから僕もなるべく時間を作り、彼女とゆっくり過ごそうと思っていた。

それがどうだ。ゴールデンウィークを目の前にして、こんな事態に巻き込まれてしまうなんて。間の悪さに舌打ちをしたくなるが、文句を言っている余裕さえない。彼女は突然の電話にも関わらず、3コール目で出てくれた。

「はい、本田です」
「さくら。降谷です」
「……、ええ、どうかしたの?」

ホテルで眠っていたのだろうか、最初は眠そうな声だったのに、僕が本名を名乗ったことで一気に覚醒したらしい。相変わらず頭の回転が速くて助かる。

「君の力を借りたい。頼めるか?」
「解りました。何を探るの?それとも何か作るの?」

あっさりと了承してくれるフットワークの軽さも非常に助かる。それは彼女自身が必ず僕の期待に応えられると自負しているからであり、応えたいと思ってくれていることの証明でもあった。

「ありがとう。実は、遠隔操作のアプリを君に作ってもらいたいんだ」
「遠隔操作のアプリ?」
「ああ。至急用意してもらえないか?」

努力はするけど、至急と言っても限度があるわ、と彼女は釘を刺した。

「どんな端末でシェアする予定なの?」
「スマホだな。相手のスマホを盗聴したり、遠隔操作したりできるようにしてほしいんだ」

容量の関係もあるのだろう、使用する端末と使用目的を訊かれたので素直に告げると、スピーカーの向こうからパソコンを立ち上げる音がした。

「あと、相手にそうと悟られないように、アイコンが残らないタイプにして欲しい」
「ケルベロスアプリみたいなものってことよね。浮気調査でもするつもり?」

かつて数多くの人間がパートナーの浮気調査で使用した、というアプリケーションの名前を挙げて軽口を叩く彼女に、僕はこの事態に陥って初めて笑みを浮かべることが出来た。

「君に使ってもいいなら、そういう用途もありかもな」
「冗談を言う余裕があるならよかったわ。で、実際は何に使う予定なの?」
「エッジ・オブ・オーシャンであった爆発事件を知ってるか?」

僕がそう切り出すと、彼女はすぐさま検索し始めた。横から落ち着いた男の声もするから、ギルバートが補足してくれているのだろう。

「これって、ついさっきの事件じゃない。あなたも現場にいたのね……」

無事だったの、と固い口調で問われ、僕は悪運だけは強いからな、と答えた。

「顔と腕に少々傷を負った程度だ。死んだ人間も居ることを考えれば、なんてことはない」
「…………」
「この事件を解決させるために、さっき言った遠隔操作アプリが必要なんだ。今回の捜査である人物に仕込んで、情報を集めてもらうつもりだ」

だから力を貸してくれ、と念押しすると、彼女は束の間押し黙った。

「……今回の爆発を、あなたは事件だと確信しているのよね」
「ああ」
「事件であれば、東京サミットの当日にも何かを仕掛けてくる可能性がある」
「そうだな」
「ということは、サミット当日までにある程度カタを付けておきたいと思ってるんでしょう?」
「その通りだ」

阿吽の呼吸とはまさにこのことだろう。それを踏まえて、彼女は僕の依頼がどれだけ無茶振りであるかを悟ったらしい。

「もしかしなくても、アプリを作る期限って……」

質問する体を取っているものの、彼女は僕の答えが解っているようだった。長旅で疲れている彼女に酷いことをお願いしている自覚はあるが、それを承知でゴリ押しする。

「2時間後までで頼む」
「本気なの?いつもは1日はくれるじゃない」
「今日の夕方には部下に手渡さなくてはならないんだ」

風見に偽の容疑者の家宅捜索を指示しているのは、今日これから行う捜査会議の後である。
兎に角時間がない。サミットまであと3日しか残されていないのだ。

彼女は高速でタイピングをしながら大きくため息を吐いた。

「解ったわ、1時間後に直接渡します。ネットワークを経由して渡すと、あなたの端末に感染する恐れがあるから」
「1時間?」
「ええ。急ぎなんでしょ?」

確かに急ぎではあるが、期待以上に早すぎる仕上がりである。さすがに驚いて僕が戸惑いの声を上げると、彼女は以前似たようなアプリを見たことがあるから大丈夫だ、と言った。

「……すまない。いつもいつも、君には甘えてばかりいる」
「気にしないで。流れてしまった予定は、きちんと埋め合わせしてくれるのよね?」
「ああ、約束するよ。それじゃ、1時間後に君のホテルに向かう」

しみじみと彼女のありがたみを実感しながら1時間後の約束を取り付けると、彼女は不思議そうに訊いてきた。

「私がどこに泊まっているか知ってるの?」
「ギルバートに訊くから大丈夫だ」

僕がそっと左手首を見やると、承知した、と言いたげに画面が点滅した。すぐに彼女が滞在しているホテルの名前が表示される。

「Ja, ja. 待ってるわね」

軽い口調で返事を寄越して、彼女は通話を切った。

*****

きっちり1時間後、零さんは私が滞在するホテルへやって来た。そこで告げられた今回の捜査の概要に、私は思わず大きな声を上げてしまった。

「毛利さんを犯人に仕立て上げる!?」

公安警察が違法行為に手を出すこともあるとは知っていたけれど、無実の人間を罪人に仕立て上げることまでするとは思わなかった。
零さんは真新しい手当の痕が残る顔に、しかめ面を作って言った。

「そうでもしなければ、このまま事故として処理されてしまうかも知れない。そうしたら令状一つ取れなくなって、捜査に手出しできなくなる。テロの可能性がある以上、それは絶対に避けなければならないんだ」
「…………」
「だから君には、その為の工作をしてもらいたい。彼のパソコンから、現場のガス栓にアクセスしたという痕跡を残してくれ」
「それはお安い御用だけど。……蘭ちゃん、泣くわよ」

理屈は解るが、無関係の人間を巻き込むことに抵抗が無い訳ではない。まして毛利さんや娘の蘭ちゃんは、私にとっても彼にとっても馴染みのある人間だ。
あの純真な子が、父親が無実の罪で逮捕されるということになったりしたらどれほど傷付くことだろうかと、私は想像して身震いした。

「解っている。だがあの少年を確実に動かすためには、やむを得ない」

その言葉に私は片眉を上げた。毛利さんと近しい人間で少年と言うと、該当者は一人しかいない。

「このアプリ、ひょっとしてコナン君に使うつもり?」
「ああそうだ。彼ならもしかしたら、我々より早く真実に辿り着くかも知れない」

零さんにここまで言わせるなんて、彼は一体何者だろう。仕事柄、彼のような年代の子が天才的な頭脳を持っていたとしても、そう違和感は持たずに接してきたが、ここまで信頼されているとなると異常だ。子供に対する扱いとは思えない。

ちょっと本腰入れて調べてみるか、と私は内心一人ごちた。

「……これが依頼された物よ。足が付かないようにしてね」

私がアプリを入れたハードディスクを渡そうと立ち上がると、彼は私の手首を掴んだ。そのまま強く引かれ、私の体は椅子に腰掛けていた零さんの膝に乗り上げる。

「きゃ、……ちょっと、苦しい……」
「うるさい。半年ぶりの再会なんだ、少しは充電させろ」

ぎゅうぎゅうと私の腰を締め付けながら不貞腐れたように言う彼に、私は抵抗するのをやめた。

「時間がないんじゃなかったの?」
「誰かさんが想像以上に優秀で、あっという間に僕の依頼を終えてしまったからな。5分くらいの猶予はある」

それは最早猶予とは呼ばない。けれど彼なりに私との再会を喜んでくれているのは伝わった。私だって、こんなことさえなければもっと再会の感動に浸りたかったのだ。

「あら。だったら、その誰かさんにご褒美をくれてもいいのよ?」

胸元に埋まった頭を撫でると、彼はご褒美?と言って顔を浮かせた。私は笑って彼の目の淵をそっとなぞる。

「5分間、あなたを私の好きにさせて」
「……何をされるのか見当もつかないんだが」
「目を瞑って。……そう」

大人しく瞼を下ろした彼の頬を両手で撫でて、私は彼の傷の残る額に唇を落とした。続いて瞼に、高い鼻に、頬に。最初はされるがままだった零さんも、徐々に緊張を解いて私を抱き寄せる腕に力を込めた。

そして最後に唇を触れ合わせると、彼は私の後頭部を掴んで逃げられないように固定した。

「んぅ、……っ」
「さくら……」
「ん、……ふふ、これ以上はだぁめ。時間切れね」

笑って大きな甘えん坊の頭を撫でると、彼は脱力して私の胸に頭を沈めた。

「事件が解決したら覚悟しとけ……」

何だか前にも同じようなことを言われた気がする。あの時も、何度ももうだめだと言っても離してもらえなくて、酷い目に遭わされたのだ。
けれどそれで彼のモチベーションを上向かせることが出来るなら、私は何だって受け入れてしまうのだろう。

「ええ。だからあなたも、あんまり無茶しないでね」

それから彼は部下に指示を出し、毛利さん達の様子見のためにポアロに出向くと言った。私としても毛利さんや蘭ちゃんのことが気にかかるので、毛利さんのパソコンに細工をし終えたら、時間差でポアロに向かうことにした。


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