22.5





「えっ、さくらさん、明日もうドイツに行っちゃうんですか!?」

蘭ちゃんは私の作ったケーキを食べながらそう言った。私はそうなの、と言って洗い終わった食器を拭いていく。

今日はポアロのシフトに入る最後の日だ。日本企業との合同開発会議は昨日をもって無事に終了し、私が日本にいる必要がなくなったため、明日ドイツに戻ることにしたのである。

「元々こんなに長く滞在する予定じゃなかったし、そろそろ研究室にも顔を出さなきゃいけないかなって。でも、どうせ春になったらまた戻ってくるわよ」
「春まで帰って来ないの?」

素朴な質問をよこしたのはコナン君だ。少し寂しそうに見えるのは買い被りだろうか。

「そうね。冬の間はきっとドイツで過ごすでしょうし、しばらく会えなくなっちゃうね」
「そっかー……」
「あ、安室さんも寂しいんじゃないですか?」

蘭ちゃんの関心はやはりそこにあるようで、一緒にシフトに入っていた零さんに同意を求めるような視線を向けた。その質問はある程度予想出来ていたから、私も彼も顔を見合わせて笑ってしまった。

「寂しいですよ。でも、僕があんまり寂しがっていては、さくらさんがドイツに帰り辛くなるでしょうからね」

だからあまり口に出して寂しいとは言わないのだと、彼は答えた。

「ありがとうございます、安室さん。寂しいと言ってくれる方がいるのは嬉しいです」

そつなく答えて私はこの話題を切り上げた。実際、里心がついて感傷的になるのはごめんである。

「次に帰って来るときは、蘭ちゃんやコナン君にもお土産買ってくるわね」
「いいんですか?ありがとうございます!」
「僕にまでいいの?」
「勿論よ。何がいいかしら?」
「ドイツだったら、ゲームとか面白そう!人狼ゲームってドイツ発祥なんでしょ?」
「ああ、コナン君は人狼ゲーム得意そうよね。……そうだわ」

ゲームといえば、と言って私は鞄からあるボードゲームを取り出した。アメリカ生まれの “そして二人は手を取り合って”というゲームである。

「コナン君、あなたにあげる」
「僕に?……なあに?これ」
「2人で協力しながらクリアを目指すボードゲームよ。中々難しいゲームなんだけど、コナン君ならこういうのも好きそうだと思って」

メインボードに2つのトークンを置いて、両プレイヤーの手持ちの感情カードをやりくりしながらトークンを動かし、中央のマスに連続して入ることが出来ればクリアという、やや難解なルールである。感情カードは怒り、悲しみ、喜び、安らぎの4種類であり、目標のマスに行くために互いのカードを使うことが出来るため、互いのプレーについてアドバイスを送ることも可能である。

「詳しいルールは調べて貰えたらいいかと思うんだけど、是非蘭ちゃんと一緒にやってみて。ルールはより難しく変更することも出来るから、飽きることはないと思うわ」

私が差し出したボードゲームを、コナン君は多少の戸惑いと共に受け取った。青空に白い鳥が飛び立つパッケージをとくと見つめ、裏面を見てルールを簡単に読み込むと、中々奥深いゲームであることが伝わったらしい。

「ありがとう、さくらさん。蘭姉ちゃんやみんなと一緒にやってみるね!」

ゲームから顔を上げた時にはすっかり興味津々になってくれたようで、私はにっこりと微笑み返した。
ギルバートの秘密を明かさないことへの、ほんの少しの贖罪のつもりだった。



やがてコナン君達がお店を出ていくと、お客さんの姿はもうなかった。

「明日、本当に一人で日本を発つんですか」
「はい。前回もそうでしたから」
「待っています」

思いのほか真剣な声が聞こえてきて、私は零さんの方に顔を向けた。

「待っています。あなたが帰国して、僕の元へ戻ってくるのを、どこにいても待っています」
「……ええ。あなたの待つ場所へ、私はきっと帰ってきます」

春になるまで彼がここでバイトをしているという保証はない。今行っている潜入任務が終われば彼はまたどこかへ行ってしまうかも知れないし、そうでなくても危険な立場にあることには変わりないのだ。

だからこそ、私達は恋人同士にはならない。
どれだけお互いを恋しく思っても、愛しく思っても。彼が任務に臨む時に弱みとなる存在はあってはならないし、足を引っ張る存在にはなりたくない。

それでも、私の帰る場所は彼の所だ。

言葉にできない思いを彼はしっかりと受け止めてくれた。冷蔵庫の扉の影に隠れて触れるだけのキスを交わすと、あとは何事もなかったように仕事をこなし、そのまま家路についた。



こうして、私にとって人生最大のピンチとなる東都水族館の事件は幕を下ろした。大きな別れと新たな想いを生むきっかけになったこの事件を、私は一生忘れることはないだろう。
中継地のフィンランドへ向かうフライトの途中、ふと仰ぎ見た空の色は、零さんの瞳の色と同じ澄み切った色をしていた。

この日から数か月間、私は漸く束の間の安寧の日々を手に入れた。それが“束の間”であったと知るのは、やはり面倒事に巻き込まれた後だったのだけれど。


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