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「ここぞという時に君のAIを利用するために、降谷零との通信を遮断した。そう言ったら、君は信じてくれるかい?」

ギルバートが発した初めての弱音。いつだって自身に満ち溢れていた彼の、聴いたことも無いような怯えた口調に、私ははっきりと頷いた。

「私はいつだってあなたを信じてきたわ。だから今回も、あなたを信じる」

言ったでしょう、と私は彼の胸に指を突き付けた。

「赤井秀一を喪うことが公安にとっても痛手であるように、降谷さんを喪うことはFBIにとっても避けたい事態であるはずだ、って」

だから他に理由があると信じていた。いくら彼が憎まれ口を叩こうと、彼が悪意をもって人工知能と降谷さんの接続を切ったんじゃないと信じていた。
そう信じていたから、今私はこうして彼と肩を並べていられるのだ。

「さくら、君は賢い。君の師であれたことを、今ほど誇りに思うことはないよ」
「あの子を引き合いに出された時は、引っぱたいてやろうかと思ったけどね」

あの子とは、人工知能のギルバートのことである。降谷さんにつくなら人工知能も手放せと言われたも同然だった。……どうしてこんな、子供の親権をめぐって離婚調停をする冷戦夫婦のようなやり取りを、彼としなくてはならないのか。冷静に考えたら、今の自分たちの状況はかなり間抜けである。

「だが実際、俺がそう切り出していたら君はどうしたんだ?俺と降谷零とで選ぶのではなく、AIと降谷零のどちらかを選べと迫っていたら」

彼の素朴な疑問に、私は一瞬言い淀んで口を開いた。

「それでもきっと、私は降谷さんを選ぶわ」
「あのAIを捨てるのか?俺の名前を付けてまで、研究を続けてきた作品を?」
「元からそのつもりだったもの。発案者であるあなたはもういない。博士はあの研究を公表するつもりがない。だったらいつかは私の手で、あの子を消さなくちゃいけないって」

あなたへの未練の結晶を、いつまでも一人で抱えていくつもりはない。そう言い切ると、彼はそれは違うな、と言って人差し指を立てた。

「君はもう、俺とあのAIを混同なんかしていない。俺への感情とは別物として、彼に愛情を抱き始めている」
「…………」
「さくら、俺が言えた台詞じゃないかも知れないが、聴いてくれ。俺がいなくなった時、君の心を埋めてくれたのは誰だ?君をもう一度前向きな気持ちにさせてくれたのは、生まれたばかりのAIだったんじゃないのか?」

彼は子供に言い聞かせるように、優しく私に語り掛けた。

「俺や博士に気兼ねなんかする必要はないさ。彼をあそこまで成長させたのは、君の努力あってのことだ。その誇りを、決して失っちゃいけない」

彼が更に言葉を続けようとした時、激しい振動がゴンドラを襲った。
耳をつんざく銃撃音が響き、弾丸が当たったところからスポンジのように穴が開いていく。

「何!?」
「仕掛けてきたか……!」

私達の居るゴンドラにも、一発の銃弾が飛んできた。彼が私を床に引き倒してくれたお陰で無傷だったが、ガラスにはくっきりと弾丸が貫通した痕が残された。

「敵さんらも、起爆装置を解体されたことに気付いたようだな。今は狙いなんてつけずに、手当たり次第に撃ちまくってるんだろう」
「まったく横暴ね―――見て!」

オスプレイの画面をハックしたままになっていた端末を覗き込むと、画面はさっきギルバートが奴らの目を欺くために差し替えた画像のままだった。恐らく奴らも画面が切り替わらないことに気付き、ハッキングを受けていることに思い至ったらしい。

だとすると、狙いは私達である可能性が高い。

「さくら、電波妨害装置をオンにしろ!このゴンドラを狙わせるな!」
「解ったわ!」

彼は私に指示を出しつつ、高速でタイピングを始めた。見る間にオスプレイの画面が切り替わり、観覧車の内部で動いている人影がいくつあるのか視認できるようになった。
動いている大人の影が3つ、動かない大人の影が1つ、そして子供の影が2つ。

「哀ちゃん―――コナン君!」

私は目を疑った。こんな銃撃の嵐の中で、子供が命からがら逃げまどっているなんて。
それを無差別に攻撃する黒の組織とやらの非情さに、私は背筋を震わせた。

やがて攻撃は、画面に映る影を中心に激しくなっていく。

「動くものを目標に攻撃しているようだな。奴ら、ついさっきまでこの画面がハッキングされていたことを忘れてるんじゃないだろうな?」

ギルバートはニヤリと笑った。彼は全員の身長や体型を数秒間見ただけで、その3Dモデルを作成し、熱感知画面に埋め込んでしまったらしい。

「さくら、君は俺のスマホから実際の画面を見てろ。俺は奴らを攪乱するために、3Dモデルを好き勝手に動かすことにする」

彼は私に向かって特大のスマホを放り投げた。ギルバートのパソコンとはてんでバラバラの方向に、実際の彼らは動き出そうとしている。
そこで私はあることに気付き、声を上げた。

「ギルバート、待って!キュラソーが囮になろうとしてるみたい」
「何だって?」
「彼女の動きをトレースして。ただしタイムラグは2から2.5秒でお願い」

私は特大のスマホを彼の鼻先に見せつけた。彼は即座に対応し、キュラソーの動きをそのままロトスコープで模写していく。
彼女が通った後を、銃弾の雨が襲った。勿論タイムラグのせいで当たるはずがない。

その間に、大人の男の影と子供の影が動きを活発にし始めた。一体何をしようとしているのか解らなくて、私はじっと彼らの動きを見守った。

「そろそろキュラソーの反応を消すぞ!奴らの狙いが彼女だけなら、これで一旦銃撃は終わるはずだ」

ギルバートの手が止まり、画面の中のキュラソーが観覧車の台座の下にあった濁ったプールに沈んでいく。それと同時に銃撃音もやみ、ゴンドラを包んでいた不愉快な振動も止まった。

けれど頭上のローター音は消えなかった。彼らは、まだ何かを仕掛けようとしている。
一体どう動いて来るのか読めずに、私と彼は息を潜めて端末の画面を見つめていた。

*****

キュラソーが囮となって私の傍を離れてから数十秒後、あれだけしつこかった銃弾の嵐がやんだ。キュラソーの通った後には、まるで小動物の足跡のように細かな弾痕が残っているが、彼女自身に当たったものは多くないだろう。まるでわざと彼女の後ろを狙うように彼らは弾丸を浴びせていて、奇妙なタイムラグさえ感じさせるほどだった。

キュラソーは台座の下のプールに身を潜め、また彼らが仕掛けてくるのを待っている。
銃撃がやんだ今のうちに、と私は必死に足を動かした。そして漸く見つけた。子供たちが取り残されているゴンドラを。

「灰原さん!」

天蓋を開けて中を覗き込むと、円谷君が驚いたように私を呼んだ。その声が思っていたよりは冷静そうで、私はほっと息を吐く。

「みんな、怪我はない?」
「お、おう……」

私は全員の顔をざっと見渡した。このゴンドラは降り場に到着する直前の所で停まっていて、最下部に近い場所にあったお陰で、銃撃の影響はあまり受けなかったらしい。

「哀ちゃん、これって何があったの?」
「後でちゃんと説明するから、今は大人しくしてて」

不安げな顔でこちらを窺うみんなに、私は自分が動揺を見せる訳にはいかないと顔を引き締めた。こういう時に、自分が大人の姿だったら。そうしたら彼らの不安を少しでも拭ってやれたのかも知れないと、歯噛みしたい気持ちだった。

そこで私は、さくらさんは無事だろうか、と一緒に観覧車に入ってきた彼女のことを思い出した。

階段から落ちて足をくじいたと言っていたから、あの銃撃を満足に躱せたかどうかも怪しい。銃弾は私達の体を傷つけることはなかったけれど、頑丈な鉄骨を見る間に瓦解させていった。
そんな威力を持つものが、彼女の華奢な体に当たったりしたら。自分の想像に自分で怖くなって、私はポケットからスマホを取り出そうとした。

(―――ない……!きっと逃げているうちに、どこかで落としてしまったんだわ)

これでは無事を確かめることも出来ない。私は胸の前で自分の手を握りしめた。
子供たちがいる。私が不安な顔を見せてはいけない。

さくらさんはきっと無事だ。ひょっとしたらもう少しで、このゴンドラに顔を見せてくれるかも知れない。
私が震える息を吐き出したところで、子供たちから声が掛けられた。

「哀ちゃん……、大丈夫?」
「顔色悪いですよ、灰原さん」
「腹でも減ったのかあ?」

本気で私を心配してくれるその言葉に、私は無理矢理笑顔を作った。
私は大丈夫だ。だってあなたたちがいてくれるもの。

「平気よ。揺れが激しくて、少し酔ってしまっただけだから」

でももうおさまったわ、ありがとうと返事をすると、彼らはみるみる表情を明るくした。
もう、私には信じて待つことしか出来ない。
子供たちと一緒に待っているから、必ず無事でいて。

さくらさんもキュラソーも、―――そして工藤君、あなたも。


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