13





さくらさんと分かれたあと、私は子供たちのゴンドラを捜して暗闇の中を走り回っていた。
やがて凄まじい轟音と共に一つのゴンドラが落下して、組織がキュラソーの奪還に失敗したことを悟る。

(あのゴンドラに誰も乗っていなければいいけど……!)

私は竦む両足に力を込めて、隣の足場に飛び移ろうと手すりをよじ登った。なんとかバランスを保とうと両足を踏ん張って上を見上げると、そこに立っていたのは組織が迎えに来たはずのキュラソーだった。

「!?まさか……」

彼女はこちらを視認して、私目掛けて足場を蹴った。その動きに驚いて、私はうっかりバランスを崩してしまった。

「しまっ……」

このままでは、背中から真っ逆さまに落ちてしまう。襲い来るであろう痛みに私が強く瞼を閉じたとき、空を掻くはずだった右手が誰かの手に捕まれた。
恐る恐る目を開けてみれば、私の手を掴んで助けてくれたのは、他でもないキュラソーその人だった。

まさか彼女が私を助けてくれるなんて思わなくて、私は真意を探ろうと質問を投げかけた。

「……何?私を彼らの元へ連れ戻すつもり?」
「彼らって……組織のこと?」

キュラソーはしっかりした口調でそう言った。やっぱり彼女は、記憶がもう戻っている。
彼女は私の顔をまじまじと見つめ、やがて記憶を手繰り寄せるように問い掛けてきた。

「もしかしてあなた、組織を裏切ったシェリー?」
「!」

私の正体に気付かれた。彼女がこのまま私を連れていくつもりでなければ、この手は離されてしまうだろう。
しかし恐れていた展開にはならなかった。彼女は何を思ったか、私の手をしっかりと握りなおし、逃げるわよと言ったのだ。

「逃げるって、どういうつもり?悪い冗談ならやめてくれる?」

咄嗟に反駁する私に対し、彼女は冷静だった。

「ここにはジンが来ているの。あなたなら、この意味が解るわよね?」
「ジンが……!」

ジンが来ているということは、キュラソーの奪還に失敗した今、どんな非道な手段に出るか解らないということだ。組織の人間は容赦なんてしないけれど、ジンの非道さは群を抜いている。

「で、でも、あなたはどうして私を助けるの?」
「解らない。どうしてあなたを助けたのか、私にも解らないわ」

でも、と言って彼女は微笑んだ。

「私は、どんな色にでもなれるキュラソー。前の自分より、今の自分の方が気分がいい」

組織にいた時は真っ黒だった。それが今は、違う色に変わろうとしている。
その言葉に偽りはないようだった。そして彼女は、ぶら下がったままだった私の体を引っ張り上げる。

「さあ行くよ、シェリーちゃん」
「待って!」

今にも踵を返しそうな彼女の足に縋り付き、私は自分がここに来た目的を説明した。
そう、私はここにかくれんぼをしに来たわけではないのだ。

「まだ子供たちがゴンドラに残ってるの!早く助け出さないと!」

その言葉を聴いて、彼女は初めて余裕が無さそうに顔を歪めた。

*****

「さくら、よく見ろ。奴らが乗っているオスプレイの画面だ」

ギルバートが操作する端末を覗き込むと、彼の言葉どおり、そこにはオスプレイのコックピットと同じ画面が広がっていた。停電の影響を受けて画面は真っ暗かと思いきや、熱感知でも行っているのか、暗い空間に人影がくっきりと浮かび上がっていた。
ゴンドラの中ではなくて、観覧車の内部にいる人間を探っているようだ。

「ハッキングに成功したの?それじゃ、今すぐ画面を差し替えて!」

私がそう叫んだのは、ある人影に目が吸い寄せられたからだ。真っ暗な中で一つだけ光源が漏れているその人影は、カメラに背を向けているから辛うじて顔は見えずに済んでいるが、この背格好は間違いなく降谷さんだ。組織の人間がそのことに気付いたら、折角誤魔化せたはずのNOCの疑いが再燃してしまう。

彼は消火栓の前に座り込んで、細々とした作業を行っていた。確かギルバートが、彼は今爆弾の起爆装置を解体していると話していたはずだ。

「早く!組織の人間に、この人影が降谷さんだって気付かれる前に……!」

私がギルバートの腕に縋り付くと、彼は私の目を覗き込んできた。

「それをするためには、取引だ。さくら、降谷零と生きる道か、俺の元に戻る道か選べ」

この期に及んで何を言い出すのだろう。私は信じられない思いで彼を見上げた。
文句を言おうとした口は彼の指に封じられた。

「君が俺を選ぶなら、すぐにあのAIに命令して、画像を差し替えて降谷零を助けてやるさ。でも、お前があの男を選ぶなら、あのAIに指示は出せない。君にも出させない」
「あなた……!気でも違ったの!?」

目の前で危険に晒されている命があるというのに、何故彼はこんなに意固地になって降谷さんを助けようとしないのだろう。

「真面目な話だ。冗談で言ってる訳じゃないぞ」
「冗談にしても性質が悪いわ。あなたと彼を天秤にかけるなんて、そんなこと私には出来ない!」

私は我慢出来ずに泣き出した。協力してくれると言ったから私は彼と一緒にここに居るのに、これも結局彼の罠でしかなかったのだろうか。彼はそんなにしてまで、私の心を試したいと言うのだろうか。

「お願いよギルバート。あの人を助けて……!」
「なら、言ってしまえばいいじゃないか。俺を愛していると。そうすれば、俺は今すぐ彼を助けるためにありとあらゆる手を尽くすぞ?」

私は確かに彼を愛していた。誰よりも尊敬していたし、彼に愛していると言われることを夢見てもいた。
けれど、こんな風に誰かの命と引き換えに愛を囁かれることを夢見ていた訳じゃない。

「こんな形で愛しているなんて言われて、あなたはそれで満足なの?」
「満足さ。あの男が俺から君を奪おうとしているのを黙って見過ごすほど、俺はお人好しじゃないんでね」

彼は蒼い瞳を細めながら、酷薄に笑った。そこで初めて私は気付いた。彼と降谷さんは、髪の色も瞳の色も似通っているのだということに。

けれど、2人はあまりにも違っていた。

「君も嘘が吐けないままだな。この場だけでも俺を愛していると言えないほど、彼に心を奪われてしまったのか?」
「…………!」
「俺は嘘でもいいと言っているのに、君はそうしない。泣いて懇願するくらい彼が大切なら、俺に愛を囁くくらい簡単なことだろうに」

そんなことを言ってる場合じゃない、と怒鳴ってやりたかったのに、言葉にならなかった。
彼の言っていることが事実だと、気付いたからだ。

この場限りの嘘であっても、他の人に愛していると告げたくないと思うほど、私は降谷さんを本気で好きになってしまったのだ。

「……あなたは、酷いわ。私のことなんて、全てお見通しのくせに……!」

ぼろぼろと涙を零して彼を詰る私を、ギルバートは抱き締めた。大きな手が私の後頭部を撫でて、その温かさに冷えた体が震える。

「悪かった、俺が悪かったよ。さくらがあんまりにも可愛くていじらしくて、ちょっと意地悪してやりたかったんだ」

見ろ、と言って彼は端末の画面を指さした。私がその言葉に従って顔を向けると、そこには未だに起爆装置と奮闘している降谷さんの後ろ姿があった。

「あれはフェイクの画像だ。彼はとっくに、起爆装置を解除し終えている」
「ほ―――本当に!?」
「本当ですよ、さくら。降谷さんは現在消火栓の前を離れ、移動を開始しています」

ヘッドホンから滑らかな日本語が聞こえ、私は漸く安堵の溜息をついた。

「あなたって人が悪いわ。とっくに彼を助ける手立てを考えてくれていたんじゃない!」

未だに私を離さないギルバートの胸元を引っ張ると、彼はこの上ないドヤ顔で茶目っ気たっぷりにウインクした。

「ドキドキしただろう?俺への恋心だと勘違いしてくれてもいいんだぞ?」
「……ばか」

私がぐい、と彼の体を押しやると、彼は真面目な顔を作って私に忠告した。

「いいか、AIを使って奴らに干渉するのは諸刃の剣だ。いくらアクセスするアドレスを変えたところで、攻撃してくるサーバーやソフトが同じなら奴らだって学習するさ。そしていつかは、このソフトを開発した人間にまで手を出してくるぞ」
「あなた―――それ、体験談?」

やけに実感の籠った口調に、私は確信をもって問いかけた。彼が死を偽装しなければならなくなったきっかけは、組織にその技術力を狙われたからだと聴いている。FBIが彼の死を偽装するのに手を貸したのなら、恐らく彼は個人的にFBIに協力し、組織に攻撃を加えたために存在がばれたのだろう。

ギルバートは肩を竦め、どうだろうね、と嘯いた。

「まあ、そう受け取ってくれて構わないさ。だからここぞという時に君のAIを利用するために、一昨日の夜、降谷零との通信を遮断した。そう言ったら、君は信じてくれるかい?」

問い掛けるような口調なのに、彼の口調はとてもそうは聞こえなかった。
今日だけでも沢山の嘘を吐いてきた彼が、初めて私に本音を覗かせた瞬間だった。


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