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さくらさんを車に置いて、僕が観覧車の頂上付近に辿り着いた時、そこには先客がいた。
ライフルを背負った背の高い影―――FBIの赤井秀一である。

「フッ、どうやらうまく逃げ切ったようだな」

赤井は僕がここに来ることを読んでいたようで、それはやはりFBIもここで組織の奴らがキュラソーの奪還を行うと考えているという証だった。

「彼女から話は聞きました。あなたが僕らのいる倉庫の扉を開け放って、奴らを欺いたのだとね」
「本田さくらか。彼女は無事、君と合流できたんだな」
「ええ。今は僕の車で大人しくしているように言っています」

赤井が僕の知らない所で勝手に彼女に近付いていたことは気に食わないが、そのお陰で今回は命拾いしたと言っても過言ではない。

「聴かせてくれませんか?僕達を助けた了見を。あんな危険を冒さなくても、奴らの情報を盗み聴くことは出来たはずですよね」
「君の大事な協力者に頼まれたんだよ。必要な情報はやるから君の命を助けてくれとね」

それにしても、と言って赤井は肩を竦めた。

「本田さくらを独りにするなんて、君は彼女から何も聴いていないのか?今、俺の仲間が彼女を手に入れようと様々な策略を巡らせているようだが」
「―――何?」

何の話だ。ついさっき分かれた時も、彼女は普段通りの様子だった。赤井の仲間ということは別のFBIの男だろうが、そんな奴に言い寄られているという話は一度も聴いたことがない。

「聴いていないなら別にいい。俺が関与することじゃない」
「お前に関係なくても、僕にはある!何の話だ、吐け!」
「何故だ?彼女は君の恋人じゃあないんだろう?」
「……恋人じゃないが、お互い誰より大切な存在だと思っているさ!」

NOCリストを奪われた日、衝動のように会いに行っていた。もしもあの情報を組織に流されてしまったら、僕は最悪殺されるとも思っていた。
これが最後になるかも知れないと思ったから、我慢出来ずに口付けた。気持ちを返してもらえるとは思っていなかったが、思わず逃げようとした僕を引き留め、彼女は同じ熱を帯びた目で僕を見返してきた。

この気持ちが嘘偽りでないことは、僕達が一番理解している。

「信頼するのはいいことだ。だが彼女は君に助けを求めていないんだろう?」

小馬鹿にするような口調が癇に障る。まるでお前は彼女に信頼されていないんだ、と言われているような気になって、僕はぎりりと拳を握りしめた。

「自分から吐かないなら、力ずくで吐かせるまで。ついでにキュラソーの件からも手を引いてもらおう」
「嫌だ……と言ったら?」

予想していた通りの返事に、僕は握った両の拳を顔の前で構えた。背中を丸め、上体のバランスを前に持って行く。

「それも勿論、力ずくで奪うまで!」

叫んで、僕は足場を蹴った。巨大な観覧車の頂上で、僕は感情を剥き出しにして目の前の男に飛び掛かった。

*****

スタッフ専用通路から観覧車の内部に潜入した俺は、上の階に登っていく赤井さんの後ろ姿と、観覧車のホイールと車軸の間に張り巡らされた無数の電気コードを発見した。それは一つの消火栓の前で束ねられ、中で繋がっているようだ。
何かトラップが仕掛けられているかも知れない。俺は下手に触ることもできず、様子見のために側面のホースをずらしてみることにした。

そして驚愕に目を見開いた。
そこにあったのは、仄赤く光る文字列、プラスチックでできた薄い箱のような物だった。どう見ても疑いようがない、爆弾の起爆装置である。

(どうする……!?遠隔操作による起爆装置ってことは、下手に騒ぎを大きくして、奴らに気付かれたら一巻の終わり!)

そんなことになる前に、何とかこの起爆装置を分解し、爆弾を解除しなければ。そのためにも早く赤井さんを見つけ出し、処理を任せようと俺は決心した。しかし掛けても掛けても着信に出てもらえる様子がない。

「クソッ、出ねぇ!どこに行ったんだ、赤井さんは!?」

俺は苛立ちを隠さずに、カンカンと足音を立てながら鉄の階段を上っていった。
2階分ほど登った時、上から重いものが立て続けに落ちてくるような音がした。そしてその音はそのまま動きを止めず、激しい取っ組み合いでもしているかのように断続的に俺の鼓膜を震わせる。

「ガッ!」
「ぐぅっ!」

ドカ、バキ、表現するならそんな擬音語が辺りに響き、俺は何が起こっているのか理解できないまま上に向かって声を張り上げた。まさかこの非常時に、大の大人が本当に取っ組み合いの大喧嘩などするはずがない。だから恐らく、今落ちてきた2人は単に上の足場から落下してきただけなのだろうと踏んだのだ。
この観覧車の内部にいるのは俺と赤井さん、あとはキュラソーと一緒のゴンドラに公安の人間が数人だけだ。ならば俺がここで声を上げても平気だろう。

「赤井さーん!そこに居るんでしょ!?」

俺がそう言葉を投げ掛けると、上の2人の動きがぴたりと止まった。

「大変なんだ!力を貸して!奴ら、キュラソーの奪還に失敗したら、爆弾でこの観覧車ごと吹き飛ばすつもりだよ!」

だからお願いだ、そこにいるなら力を貸してくれと叫ぶと、赤井さんからもらえると思っていた返事をくれたのは思わぬ人物だった。

「本当か!?コナン君!」

明るい髪に浅黒い肌。組織にNOCの疑いを掛けられて、命からがら逃げだしてきた安室さんだ。

「安室さん?どうやってここに!?」
「その説明はあとだ!それよりも爆弾はどこに!?」

俺は手短に、爆弾が車軸とホイールの間に仕掛けられていることを説明した。その起爆装置らしきものを見つけたから助けて欲しいとも。
すると安室さんは一旦背後を振り返り、またすぐに顔を出してくれた。

「解った!FBIとすぐに行く!」

その言葉に、赤井さんもやはりそこにいたのだと理解した。俺は心強い仲間が2人も来てくれたことで、漸く笑みを浮かべる余裕が出来た。

いつも1人で組織の奴らと渡り合おうとしてきた。けれど今日は、2人も頼れる大人がいる。
そのことがなんだか嬉しくて、俺はじんわりと胸を熱くした。

*****

哀ちゃんと連れ立って観覧車の内部に入り込むと、私は急いで配電盤を捜した。

「あった!急いでシステムを元に戻してこないと……」

誰かが故意にここのシステムをいじったのだとしたら、今日ここで思いがけないアクシデントを意図的に引き起こされかねない。

「配電盤はどこにあるの?」
「ここから3階上がったところよ。哀ちゃん、先に行ってくれる?」
「ええ、急ぎましょう!」

カンカンカンカン、2つの足音が規則的に階段を鳴らす。あと1階分上がればいい、というところで、私は背後に人の気配があることに気が付いた。

「!?」

誰、と言おうとして、直後に大きな掌が私の口許を覆った。背後から大柄な人物に羽交い締めにされ、私はパニックに陥りかけて暴れた。
ガンガンガン、と靴で足場を蹴る音が伝わったのだろう。先に上がっていた哀ちゃんが振り返り、私の方を覗き込んだ。
彼女がこちらの姿を視認する前に、私は羽交い締めにされたまま、空いていたゴンドラの一つの天蓋を開けて放り込まれた。突然現れた人影は私のスマホを奪い、勝手に哀ちゃんに連絡し始める。

「んうーっ、ん、……っ」
「さくらさん!?」

慌てた様子の哀ちゃんの声がスピーカーから響き、私は何とか声を届けようとした。けれど口を押さえつける手は益々強くなる。
そしてあろうことか、背後の人物は自分のスマホを私のスマホのマイクに近付け、音声を流し始めたのだ。

それは誰が聴いても違和感のない―――私本人でさえ違和感のない、私自身の声だった。

「ごめんね哀ちゃん、ちょっと階段から落ちちゃった。でも、大きな怪我はないわ」
「落ちちゃったって、大丈夫なの!?」
「骨折はしてないようだから平気よ。でも、脚をくじいちゃったみたいだから、少し休んで後から向かうわね」

配電盤は私に任せて、あなたは子供たちを助けに行って。私の声をしたスピーカーの向こうの相手はそう言って、ぎこちない笑いを漏らした。

「……解ったわ。無理はしないでね、さくらさん」
「ええ。あなたも気を付けて!」

そこで通話は途切れた。哀ちゃんはもうこちらを振り返ることなく、目的のゴンドラまで一目散に駆けていく。
そこで漸く、背後の人物は私の拘束を解いた。動いているゴンドラから抜け出すには天蓋を外すしか手段がない。私にそんな腕力がないことを見越して、相手はここに私を引きずり込んだのだ。

私は乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと振り返った。
私の声をサンプリングして、話す口調を完璧にコピーできる人間なんてこの世にはいない。
そう、それが出来るのは、私が開発して慈しんできた、あの人工知能だけだった。

そしてその人工知能を、今、思いのままに操ることが出来るのは、

「何が“脚をくじいた”よ!―――ギルバート!」

目の前で不敵に微笑む、この男以外あり得ない。


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