08





ライトが爆発した直後、私は背後も見ずに走り出していた。もしも組織の人間が外に出てきたら危険だからだ。赤井秀一にもそう指示を受けていた。仮に組織の人間に見つかったら、あっさり殺される自信がある。
あっさり殺されるならまだいい方で、捕まって尋問でもされたらたまらない。私は大急ぎでその場を離れ、沢山ある倉庫の中の一つの陰に隠れた。

それから間を置かず、ウォッカと呼ばれていたサングラスの男が近寄ってくる。けれど彼は2、3度周囲を見渡しただけで、またすごすごと倉庫に引き返していった。

(こっちには気付かれてない……?よかった……)

インカムを押さえて息を殺すと、倉庫の中の会話が引き続き聞こえてくる。
そこで私は気が付いた。赤井さんにもらった盗聴器のシールが、まだ現場に残っていることを。例えばの話、あれが後から回収されて、降谷さんがFBIの手を借りて窮地を脱したと知られてはまずいのだ。FBIとの繋がりなんて疑われても、降谷さんは死んでも肯定しないだろうけれど。

という訳で、私は赤井さんからまだ連絡がないのをいいことに、再び倉庫へと抜き足差し足で近付いた。盗聴器で中に組織の人間がいないことは確認している。このあと東都水族館に向かうつもりだということまで、ちゃっかり聴かせてもらった。
目的の枯れ枝は、さっきまでと同じように穴に突き刺さっていた。私はそれをそっと抜き去り、踵を返す。これで証拠隠滅もばっちりだ。

作戦が上手くいったことで、私は多少視野が狭くなっていたのかも知れない。背後から猛追してくる足音が聞こえたのはそれからすぐのことで、私は体を強張らせて駆け出した。
倉庫の合間を縫うように走り抜けるが、相手の方が脚も速いしリーチが違う。曲がり角に出た所でとうとう手首を掴まれて、私は固く目を瞑った。

撃たれる。そう覚悟した。
けれど、倉庫の壁に体を強く押し付けられてからは何の衝撃も襲ってこなかった。

「―――……?」

不思議に思って目を開けると、そこには顔を強張らせた降谷さんが立っていた。
どっと安堵が押し寄せて、私の目に涙が盛り上がった。

生きている。
彼は今、間違いなく生きて私を見つめている。

爆発と同時に倉庫から逃げた私には、彼がどうやってあの手錠から抜け出したのか解らなかったが、それでもこうして彼が生きてここに立っていると解っただけで、胸がかっと熱くなった。

「さくらさん、どうしてここに……っ」

彼は信じられない、と言いたげに顔を歪めた。私の肩を両手でつかみ、ぐっと顔を近付ける。

「どうやってここを知った?さっき盗聴器を持ち去ったのも君か?」
「は、はい。ここを知ったのは、そのスマートウォッチのGPSを辿ったから……」

私が涙を堪えて応えると、彼は自分の左手首に目を落とした。

「GPS……そうか。これにはそんな機能もあったな」

値段も張る代わりにスペックだけは盛り盛りにしておいたのだ。これくらい役に立ってもらわなければ困る。

「それじゃあ、あの妨害工作も君が?」
「私がやったことは、電圧をいじって照明を爆発させたことだけです。ドアを開けたのは私じゃなくて、赤井秀一です」
「―――赤井が?」

降谷さんは眉根を寄せた。嫌そうな、というよりは心底驚いたと言いたげな顔だ。

「君は赤井を知っているのか?一体いつから?」
「大畠先輩の事件が解決したとき、博士に経過を報告しに行ったんですけど。その時に声を掛けられました」

彼が沖矢昴に変装しているという事実を降谷さんは一度否定されているのだから、沖矢昴の名前は出さずに答える。予想通り降谷さんは激昂した。

「そんな話は聞いてないぞ!何故僕に教えてくれなかった!」
「あなたとFBIに関りがあるなんて思わなくて。でも、その次に会った時に口止めをされたんです」
「口止め?」
「コナン君が誘拐された時、私、怪我して入院したじゃないですか。あの時、赤井さんがお見舞いに来たんですよ」
「お見舞いだと?何もされなかったか?」
「そこで初めて、FBIの捜査官だと告白されました。正直その時は胡散臭い、としか思っていなかったんですが、……ギルバートの情報を握られてて」

降谷さんは息を呑んだ。それはそうだろう、ギルバートの存在は極秘だと彼も知っているのだ。それがあっさりFBIに知られてしまうなんて、冗談か何かだと思うだろう。

“ギルバート”の名前を出す時に一瞬震えた声には、気付かれることはなかった。

「ギルバートのことを公表されたくなければ、自分のことは黙ってろと言われました。だから、降谷さんにも言えなくて……」
「そうか……」

降谷さんは俯く私の頭を撫でて、FBIも彼女を追っているんだ、と打ち明けた。

「一昨日の夜、キュラソーを取り逃がした時に赤井と会った。FBIが彼女を捕えてどうするつもりかは知らないが、彼女は公安警察のものだ」
「私が奪われたNOCリストの情報を教えると言ったら、あなたを助けるのに進んで手を貸してくれました」
「あの男に助けられるなんて屈辱でしかないが……。君には本当に感謝している。ありがとう」

お礼を言われるようなことではない。私はただ、自分の大切な人を喪いたくないという、自分の我儘を叶えたかっただけなのだ。

「僕はこのまま、奴らの目的地である東都水族館へ向かう。君はまっすぐ家に帰れ」
「嫌です」

私は短く否定した。そう言われることは解っていたが、私だって引くつもりはなかった。

「降谷さんがあの組織のことを、私にずっと隠してきたことは知っています。その理由も解ります。でも、あなたが危険な目に遭っているのが解っていて、ただ震えて待つだけなんて出来ません」

面倒事は嫌いだと言っていた自分はどこへ行ったのだろう。巻き込まれたくない、が口癖だった私はどこへ消えてしまったのだろう。

自問自答して、やっと気付いた。私が変わったのは、私の中で降谷さんという存在の意味が変わったからだ。自分の安全を捨てても、この人の役に立って共に戦いたいと思うようになったのだ。

―――君は降谷零に惹かれている。

ギルバートの言葉が頭の中で反響し、消えていく。
ずきりと走った胸の痛みは感じなかったことにして、私は降谷さんの顔を一心に見つめた。

「組織の奴らは、何を仕掛けてくるか解らないんだぞ。さっきも新しい機体を試すと言っていたから、君を連れて行けば巻き込まれて怪我をしないとも限らない。最悪、死んでしまうかも知れない」
「その渦中にあなたが飛び込むと知っていて、黙って見過ごせって言うんですか?私はそんなの嫌です。自分の知らない所で大切な人を喪うのは、もう嫌なんです」

私の必死の訴えに、彼は何か感じるものがあったのかも知れない。少し考えて、解った、と言って大きく息を吐いた。

「君も連れて行くよ。ただし、何があっても僕の車から外に出ないと約束してくれ」
「そんなの、」
「君が僕を喪いたくないと思ってくれるように、僕だって君を傷付けたり喪ったりするのは嫌なんだ」

彼はそう言って私を抱きすくめた。彼の鼓動を間近で感じて、私はその背中に縋り付く。
同じ気持ちを抱いているのに、私はどうあっても同じフィールドに立たせてもらえない。

「解ってくれ……」

懇願のような切実さに、私は頷くことしか出来なかった。
頷きながら、私が出来る最大のことをやり遂げようと、頭をフルに回転させていた。


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