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「…………」
「…………」

何とも言えない沈黙が落ちた。恐らく一世一代の告白シーンだったであろう空気を、1件の着信がぶち壊したのだ。思わず閉口するのは不可抗力だろう。

「……どうぞ。出たいんだろう?」
「……どうも」

締まらない空気に苦笑いしながらギルバートは促した。私は短くお礼を言って、席を立つ。

「あ、さくらさん?今電話しても大丈夫か?」
「コナン君……」

私は事件吸引器からの着信を受け取ってしまったことを、後悔するとともに安堵していた。あのままギルバートの言葉を聴いていたら、現実に戻って来られないような気がしたのだ。

「平気よ。どうかしたの?」
「さくらさん、安室さんと最近会ったりした?」

ぎくりと体が竦んだ。コナン君の口から彼の名前が出るときは、大抵碌な内容ではない。

「昨日の晩に会ったわよ。それがどうか、」
「その時、安室さんから何か聴いたことはないか?ひょっとしたら今、安室さんの身に危険が迫ってるかも知れないんだ!」

食い気味に発された内容はやはり碌でもない内容で、私は焦りばかりが膨らんでいくのを感じていた。聴けば、ポアロのバイトを急遽休み、その後一切連絡が取れないのだと言う。

「だから、さくらさんなら安室さんがどこに行ったか知らねーかなって……」
「あの人は、事件のことは私に何も教えてくれないもの。でも、昨日の態度はいつも以上に頑なだった……。あなたがそれほど焦ってるってことは、彼は本当に危険な立場にいるのね?」
「まだ確証はねーけど、可能性はある!少しでも状況を打開するために、さくらさんも協力してくれ!」

言われるまでもない。私が何の力になれるかは解らないけれど、と言うと、コナン君はそれじゃあ早速、と断って博士にある人物のスマホを預けたと切り出した。

「壊れちまって中を覗けねーんだけど、その中のデータが多分ものすごく重要なんだ。頼む、博士を手伝ってやってくれ」
「解ったわ。安室さんに関して続報が入ってきたら、お互いに連絡しましょう」

二つ返事で了承して、私は通話を切った。自室に戻って仰ぎ見たデスクトップパソコンのモニターには、見慣れた“ギルバート”の文字が浮かび上がっている。

「まったく、とんだ横槍を食らっちまった。完璧に決まったと思ったのにな」

彼の口調は軽かった。けれどこれも策のうちだ。悠長に会話をしていて、また彼のペースに引き込まれてはたまらない。
図らずもコナン君からの着信が、私を動揺から立ち直らせてくれた。

「ギルバート。……お願いだから、お願いだから邪魔をしないで。人の命が懸かっているかも知れないの」

何か衝撃的な言葉を言われた記憶はあるのだが、私は努めてそれを無視しようと振舞った。今は彼への感情に足を取られている時間が惜しい。囚われだしたら抜け出せないのが解っているから、私は敢えて感情よりも理性を優先させた。
しかし彼は小さく笑って、あと2分間俺にくれ、と言った。

「昨日の晩、このAIの接続を遮断したのは俺だ」

予想していた台詞とは言え、実際に耳にすると胸が震えた。

「どうしてそんなことを、あの人を危険に晒すようなことをしたの」
「言っただろう?君があの男に惹かれていくのを、ただ指をくわえて眺めているなんて許せないんだよ」

嫉妬した、とでも言うつもりだろうか。そんなくだらない理由で彼を、望んで窮地に追いやったと言うのだろうか。
かっと頭に血が上ったが、それさえ彼の読み通りだろうと思って私は深々と息を吐き出した。いくら何でも、彼がそんな理由で降谷さんの命を危険に晒すはずがない。

「私にこれ以上嘘を吐かないで、ギルバート。あなたはそんなことをする人間じゃないわ」
「何故そう言い切れる?」
「赤井秀一を喪うことが公安にとっても痛手であるように、降谷さんを喪うことはFBIにとっても避けたい事態であるはずよ」

だから他に理由があるはずだ。彼はそういう所で大局を見誤らない男だと、私はまだ信じている。
賢い子だ、と言って彼は笑った。引っ掛からなかったご褒美に、一つだけヒントをやる、とも。

「今降谷零を追っているのは、例の組織だ。あの男が君を巻き込むまいとした理由も、これで解るだろう?」

黒の組織が、彼が潜入捜査をしている組織の人間が、仲間であるはずの彼を狙う。その意味を一瞬で理解して、私は蒼白になった。

スパイであることがばれたのだ。

さくら、とモニターの向こうの男は言った。

「確かにAIと降谷零との通信を遮断したのは、そんな小さな理由じゃない。だが、俺は今回彼に協力することは出来ない」

その言葉に息を呑んだ。彼が手を貸してくれればこれほど心強いことはないというのに、それは一切望めないという。

「君のAIはこちらの手の中だ。君が切り札であるAIを使わずに降谷零を助け出すことが出来たなら、俺も態度を改めてやってもいい」

子供を諫めるような口振りでそう言い残して、彼は短い通話を終えた。通信の切れたヘッドホンの音を聞きながら、私は束の間茫然とモニターを凝視する。

この短時間で起きたことが多すぎて、頭が情報を処理しきれなかった。

(落ち着け、落ち着いて一つずつ整理しよう)

ギルバートが生きていて、私と博士の人工知能を意のままに操っている。
彼の妨害によって降谷さんが窮地に立たされていて、それは例の組織絡みで、コナン君も何らかの情報を知っている。
博士に謎の女性のスマホを渡したから、解析を手伝って欲しいと言われた。そのデータを復元することで、ひょっとしたら降谷さんが置かれている状況が解るかも知れない。

―――やらなければならないことは一つだ。

私はパン、と頬を叩き、スマホとバッグを持って家を出た。
私が阿笠博士の家に着いた時、博士は既に預かったスマホを分解し終えた後だった。

「おおさくら君、コナン君から聴いておるよ。すまんが、力を貸してくれんかのう」

身一つで来たことが解る出で立ちであっても、博士は訝しんだりしなかった。彼も相当焦っているのだ。

「博士、タブレットを1台お借りします。企業のアカウントに接続しても?」
「ああ、それは構わんよ。しかし一体何をするつもりなんじゃ?」
「安室さんには、私が日本企業と合同で開発したスマートウォッチを渡しています。彼は今、こちらと連絡を取ることが出来ないようだけど、位置の特定くらいは出来るわ」

私のスマートウォッチの最大の武器は“ギルバート”といつでも通信が行えることだが、それを抜きにしてもスペックだけは高く設計している。GPSによる位置情報を探りだし、脈拍によるヘルスチェックを行い、振動による歩数を測定することも出来る。

あの端末を決して手放さないで、という約束を彼が守ってくれるなら、私だって彼を守るためにどんな手でも尽くしてやる。

私が大手企業のアカウントから彼のスマートウォッチを探索した結果、彼は1人で行動していることが解った。熱反応も、心拍数もきちんと確認できる。
私はひとまず肩の力を抜いた。私が普段使う端末はギルバートに乗っ取られている可能性があったから、下手に企業のアカウントにログインできなかったのだ。
漸くの思いで彼の無事を確認し、私は博士を振りかえった。

「彼は今の所無事なようです。でも組織が彼を追っているなら、急いでそのスマホを解析しないと」
「組織が彼を追っている?何故じゃ。安室さんは表向き、彼らの仲間なんじゃろう?」
「スパイであることが―――NOCであることがばれたんです。きっとこのスマホから、その情報が発信されたんだわ」

とっとと復元し終えて、“あのメールは間違いだった”という旨の連絡を入れなければ、彼は今日にでも殺されてしまう。

喪ってしまう。大切な人を、またしても。

その恐怖心が、今にも瓦解しそうな私をギリギリの所で律していた。
私は博士が分解したスマホのマザーボードをスキャナーに通し、一致するメーカーの物を探し始めた。


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