03





「元太、危ない!」
「元太君!」

観覧車に向かう道中、博士たちとは別行動で謎の女性の情報を集めていた俺達を見つけた元太は、通路から身を乗り出して、そのまま地上へ落下してしまった。しかし謎の女性は元太を助けるために自ら飛び降り、人間離れした身のこなしで無事に元太を救出してくれた。

「姉ちゃん、ありがとよ……」
「お姉さん、すっごーい!」

無邪気に喜ぶ子供たちとは裏腹に、灰原は何かに怯えるような眼差しを彼女に向けた。
異なる目の色、全てダブルブルに当て切るダーツの腕前やその身体機能から、灰原は記憶喪失の女性が組織の人間ではないかと疑っているのだ。

「間違いないのか?彼女が奴らの仲間だって」
「絶対にそうとは言い切れないけど、あなたも感じたでしょう?あの右の眼、まるで何かの作り物のよう……」
「作り物のよう……って、まさか!?」

俺はあることに思い至って、灰原を振り返った。

「そう、あなたの言う黒ずくめの組織のNo.2……」

―――ラム。

ラムは性別、年齢ともに不明の人物で、灰原が組織にいた頃に聴いた噂では大柄の男、もしくは女のような男、年老いた老人など人物像すら一致しないものだったという。

「そして何かの事故で目を負傷し、左右どちらかの眼球が義眼……。あの女がオッドアイじゃなく、義眼だったとしたら……」
「なるほど、記憶喪失も芝居って訳か……」

だが、灰原の言う通りだとしても、記憶喪失の振りをしているメリットが解らない。本当に記憶喪失である可能性の方が高いだろう。となると記憶が戻るのも厄介だ、と彼女達の方を振り返ってみると、少し目を離した隙に歩美たち3人と謎の女はこっそり姿を消していた。引率をしていたはずの博士は、ベンチで鳩に囲まれている。

「何やってんだよ博士は!」

俺が声を荒げながら駆け寄ると、鳩は一斉に飛び立っていった。

「あー、鳩ぽっぽが……」
「それどころじゃないわよ博士!」
「子供たちはどこ行ったんだ!」

恐らく向かった先は観覧車だろう。ここに到着したときから、乗りたい乗りたいとうるさかったのだから。足の遅い博士を置いて、俺達も観覧車に向かって走り出そうとした。しかしその時光彦から着信があり、勝手に行動したあいつらを叱ろうと声を張り上げる。

「光彦、お前なあ!」
「コナン君助けてー!」

しかし聞こえてきたのは歩美の声だった。女の子相手に怒鳴る訳にもいかず、俺は声のトーンを若干落とす。

「歩美?どうした?」
「観覧車に乗ってたら、お姉さんの具合が悪くなっちゃって……」

詳しく聴くと、観覧車の上空で謎の女性が突然苦しみだし、何事かを呟き始めたのだという。結局観覧車に乗っている間発作のような状態は続き、そのまま警察病院へ搬送されることとなった。迎えに来たのはお馴染みの、佐藤刑事と高木刑事である。

博士と子供たちは家に戻る前にポアロへ寄ると言い、俺は蘭から謎の女性の写真を見せてもらったおっちゃんが遅まきながら東都水族館に駆けつけたことで、おっちゃんと一緒に帰ることにした。

謎の女性の壊れたスマホはこっそり博士に渡し、警察には内緒で解析するように頼んである。博士1人では難しくても、IT系のスペシャリストが俺達には付いている。

(そうだ、どうせだからさくらさんにも、あとで博士の手伝いをしてもらうように連絡しておくか……)

俺がそんなことを考えていると、光彦が気になることを言ってきた。
謎の女性が観覧車で呟いていた言葉が、スタウト、アクアピット、リースリングという酒の名前ばかりだったのである。

―――黒の組織と酒の名前。そこから俺は、すぐに安室さんの顔を思い浮かべた。ポアロにいるという博士に安室さんに代わってくれと頼んでも、今日は急に休みになったと告げられてしまう。その後一切連絡が取れないのだとも。

もしかしたら、安室さんの身に何かがあったのかも知れない。俺はそう思って、さっきとは違う用件でさくらさんのスマホを鳴らした。

*****

「―――さくら」

その綺麗なクイーンイングリッシュで名前を呼ばれることなど、もうないと思っていた。
この声の持ち主は、1年前の事故で死んだのだから。
私を唯一無二の存在だと呼んだ、比類なき天才未来学者。

「ギルバート……」

何故彼は生きているのだろう。あの列車事故のあと、確かに私と博士は彼の告別式に参加したのだ。遺体は損傷が激しいからと見せてはもらえなかったが、写真の彼が浮かべる笑顔がとても空しく見えたことだけは、今でも思い出せるというのに。

生きていたのにどうして今まで、連絡の一つも寄越さなかったのだろう。
何故このタイミングで、彼は私の前に姿を現したのだろう。

解らないことで頭がいっぱいで、私は彼の言葉を受け止める準備が出来ていなかった。

「すまなかった。君を哀しませると解っていて、あの時は死んだことにするしかなかったんだ」
「死んだことにする、って……それは、そうまでして姿を隠さなきゃいけない事情があったってこと?」

つい先日赤井秀一の一件に関わったばかりである。死体を偽造して姿を隠し、別人として生きているのなら、それは彼が命を狙われるような事態に陥っていたということなのだろう。

「ああそうだ。今、君が誰の事を想像したか、当ててやろうか」

この胡散臭いメンタリストのような口調は、間違いなくあのギルバートだ。そして彼は確信したような口調で、ゆったりと正解を告げた。

「赤井秀一。FBI捜査官の男だろう?」
「―――あなた」
「おっと、驚くのはまだ早いさ。俺が何故彼を知っているのか訊きたいんだろうが、その前に君に知ってもらわなきゃいけないことがある」

例えその情報が私を危険に晒すのだとしても、彼は躊躇いも無く私を事件の渦中に引きずり込んだ。

「君も知っているだろう?黒の組織と呼ばれる奴らを。実はな、そいつらに俺も命を狙われていたんだ」
「え?……組織って、その、赤井秀一が潜入していたっていう?」
「イグザクトリィ!正解だ。おっと、俺の場合は潜入捜査していた訳じゃないぞ。ヘッドハンティングされそうになっただけさ」

あの組織にヘッドハンティングなんて普通の言葉が通用するわけがない。つまりは彼の技術を狙って拉致されそうになったのだ。

「それを知ったシュウイチに協力してもらって、俺は日本で死んだことにしたんだ。そして俺の身柄はFBIの管理下に置かれることになった」
「あなたは、赤井秀一とどういう関係なの?その口振りだと、FBIに身を寄せているのは偶然じゃなさそうね」
「あいつがアメリカに留学していた時代の友人さ!今では同僚になったけどな」

ハハハ、と外国人特有の高いテンションで笑う彼に、私は頭を抱えたくなった。この緊迫した状況で、こんなに緊張感のない男がいてもいいのだろうか。

「という事は、赤井秀一が人工知能のことを聴いた“信頼できる筋”の人って」
「察しがいいな。それは勿論、俺のことさ!」
「……肝が冷えたわよ。FBIに探知されるような、脆弱なサーバーじゃないはずなのに」

私は脱力して大きく息を吐き出した。もう二度と、あんな心臓が縮むような思いはごめんである。ギルバートは呵々と大笑した。

「君とシュウイチの出会いは最高だったな!あそこですぐにシュウイチを疑う君の感性は中々いい」
「笑いごとじゃないでしょ。こっちは謎の男に盗聴器を仕掛けられたと思って、本当に怖かったんだから」

彼は変わらない。どんなに困難な状況でも、彼が笑っていれば乗り越えられると思った。
その安心感に、いつも救われてきたのだ。

「さくら、君は変わらないな。俺の言葉にそう軽く言い返してくる女なんて、君しかいなかったぞ」

さすがは俺の唯一無二、と続く言葉が苦しくて、私は胸を押えた。その言葉に未だに動揺を隠せない自分が嫌になる。
どうせ彼の気まぐれで、気のある女の子には皆に言っていたのだろう。彼はそのルックスとカリスマ性で、普段から女性に大人気だったのだから。
私は揺れ動きそうになる心に蓋をしようと努めながら、必死に頭を回転させた。

「……それで?今の今まで博士にも連絡しなかったあなたが、どうして今更私に接触してきたのかしら。またFBIに協力してくれ、とでも言うの?」

悪いけど今の私にそんな余裕はないわよ、と告げると、彼は急に声のトーンを落とした。

「降谷零のことが気になるか?」
「こちらの事情が筒抜けなのは恐ろしいけど、どうせあの人工知能から聴いたんでしょうね。解ってるなら邪魔をしないで」
「それは断る」

返答は短かった。固い声音に驚いて、私はモニターを凝視した。

「何―――ですって?」
「言葉の通りだよ。断ると言ったんだ。君は降谷零に惹かれている」

彼の声でその事実を突き付けられることが、こんなにも胸に重く響くとは思わなかった。
責められているような気になって、心臓が忙しなく動き始める。責められる云われなど、これっぽっちもないというのに。

「君があの男に惹かれていくのを、ただ指を咥えて眺めていることなんて俺には許せない。言ったはずだ、君は俺の唯一無二なんだと。君は俺のものなんだと」
「あ、あなたね。こんな時まで、何を冗談ばっかり」

これ以上は駄目だ。これ以上、彼の話を聞いてはいけない。頭のどこかでそんな警告が聞こえてくる。
彼の言葉は私を無力にする。そうと解っていても、私は通話を切れなかった。

「冗談じゃないさ。君は信じてくれなかったけど、俺はいつも態度で示しているつもりだったよ」

君を愛している、とね。

その言葉の意味を脳が理解するより早く、
私を現実に引き戻すかのような着信がスマホを揺らした。


[ 31/112 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]