年下の





零さんの家に泊まりに行った翌朝は、大抵目が醒めた時にはお互いに裸である。元々零さんは眠る時に服を着ない主義だし、私は彼よりも先に意識を飛ばしてしまうことが多いので、必然的に彼の主義に合わせたような形になる。初めは恥ずかしかったそれも、2回目以降は極端に恥ずかしがることはなくなった。慣れとは恐ろしいものである。

だからこの日も、零さんの腕に抱かれながら穏やかに目を醒ますはずだった。それがまさか、こんな事態になるなんて誰が予想できただろうか。

「なっ、なっ、だ、誰だ……!?」

ベッドから転がり落ちた体勢のまま、耳まで赤く染めてこちらを凝視してくる彼は、どこからどう見ても降谷零その人だった。明るい金の髪、理知的な蒼い瞳、健康的な褐色の肌。こんな稀有な色彩を持った人間が、あの人の他にいる訳がない。

けれど、私はぽかんと目も口も開けたまま、彼の全身に視線を注いだ。

「零さん……、何だか、痩せた?」
「は?」
「筋肉の付き方がちょっと、こう……」

そう言って私が身を乗り出そうとすると、目の前の彼は慌てて私の腕を掴んで押し返した。剥き出しの腕に直に触れてしまったことに慄いたのか、彼は自分の手を見下ろして硬直する。

そこで気付いた。いつもの零さんより、幾分髪が短く見えることに。顔も今より幼いような風情があるし、全身の筋肉は間違いなく今よりも少ない。そしてこの、まるで初めて女の裸を目にしたかのような反応は、29歳の零さんにはない初々しさを醸し出していた。

ひょっとしてこれは、彼の体が10歳ほど若返ってしまった姿なのではないだろうか。すぐにそうと解らなかったのは、元々彼がベビーフェイスだからという理由に他ならない。

「……きっと、夢ね」

それだけ呟いて、私はもうひと眠りしようと頭からシーツを被った。だってこの世界では体が10歳若返るなんてあり得ないことではないけれど、零さんがそんな目に遭う理由に心当たりがなかったからだ。
だけどそこで零さん(?)は、我に返ったように私の体をシーツ越しに揺らしてきた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ―――、待ってください。あなたは一体誰なんですか?」
「…………。聞こえない聞こえない、私は何も聴いてない」
「思いっきり聞こえてるじゃないか!あなたは誰で、そしてここはどこなんですか?」

あなたさっき、僕の名前を呼びましたよね。どこで僕の名前を知ったんですか、としつこく追及してくる彼に、私はとうとう折れた。
シーツを胸元に手繰り寄せながら上体を起こし、至近距離で目の前の男の顔を見つめる。この見た目で女性に慣れていない訳がないのに、彼はまるで純情な少年のようにたじろいで私を見返した。

ここで私は、ふと思った。これが夢なら、いっそ心ゆくまで19歳の零さんを堪能してしまえばいいんじゃないだろうか。私の知らない、若い頃の零さんの様子を垣間見る機会なんて、金輪際ないかも知れないのだ。

「……確認なんだけれど、あなた、本当に降谷零さんなのよね?年齢を訊いてもいい?」
「は、はい。僕は間違いなく降谷零で、年齢は19歳です。それで、あなたは一体誰なんですか?あなたのような女性と知り合った記憶はないのですが」
「やっぱり10歳若返ってるのね。……これが未成年の零さんかぁ……」

そっと手を彼の頬に添えてみると、幼い表情をした彼はぴくりと肩を震わせた。けれどここで引くのは男としてのプライドが許さなかったのか、彼は私の手をぐっと握り込んできた。

「……信じがたいことですが、今のあなたの発言を鑑みるに、あなたは10年後の僕の―――妻、なのですか?」

妻、という表現に虚を突かれて、私は目を瞬かせた。けれど今の彼は自分が将来どんな職業に就いているのか知らないのだ。29歳になった自分に伴侶がいると考えるのはおかしくない。ましてお互いにこんな格好で眠っていたのなら、そう考えるのが自然だろう。
私は苦笑して、小さく肩を竦めた。

「妻ではないわね。けれど、私は10年後のあなたの恋人よ」
「恋人……」

信じられないと言いたげな瞳に、私は頬を膨らませた。

「私みたいな女じゃ不満?それとも今、あなたには別の恋人がいるのかしら?」
「い、いえ、そういう訳じゃありません!ただその、僕には勿体ない女性だと思っただけで」
「勿体ない?」

意外な言葉が出てきたものだ。よくも悪くもプライドの高い零さんから、そんな言葉が聞けるなんて。

「だってこんなに綺麗な女性を見たのは初めてで……。おまけにその、あなたが服を着ていないということは、あの……」

かあああ、と私が触れている頬が熱くなった。あんまりにも純粋なその反応に、ちょっと揶揄ってやりたい気持ちが沸き起こる。いつも意地悪なことを言われているのはこちらなのだから、こんな時くらい揶揄ったっていいだろう。

「何を想像したのかしら?」
「っ、待ってください、それ以上動いたら見えますよ!」
「なあに?女性の裸を見るのは初めてなの?」

なんてそんな訳ないわよね、と続けようとしたら、まさかの図星だったらしい。視線がどんどん下がっていき、私からは彼のつむじしか見えなくなってしまった。

「その、10年後の僕がどんな人間だったかは知りませんが、今の僕にはあなたの姿が刺激的すぎるんです。お願いですから、何か羽織ってくれませんか……」

顔を懸命に覆いながらそんなことを言う少年に、私はいっそ感動してしまった。どちらかというと体力お化けでねちっこい―――有り体に言えば絶倫な零さんが、10歳若返っただけでこんなことを言うなんて。
とは言え、いつまでもこうして痴女のような恰好をしている訳にもいかない。幼くなった彼の顔を見られないのも勿体ない。私は彼の言葉に従って、昨日脱いだままになっていた下着を身につけ、細身のブラウスに腕を通した。

「ねえ」
「……なんですか」
「あなたも何か羽織った方がいいわよ。はい」
「ああ、どうも……って、ちょっと……!」

零さんが前日着ていたワイシャツを差し出すと、彼はこちらに視線を向けた。しかし次の瞬間には、目を見開いたまま固まってしまう。

「?」

私が首を傾げると、彼は私の手からワイシャツを引っ手繰った。

「っ前!ちゃんと!ボタンを留めてくれ!!」
「え、これ?元々こういうデザインなんだけど」
「なんでそんなに胸元が開いてるんだよ!なんでそんなに体にぴっちり沿った仕立てになってるんだよ!!」
「こういうデザインの服しか持ってなくて」
「本当に勘弁してくれ……!」

彼は顔をワイシャツに埋め、何事かをブツブツ呟いたかと思うと、今度はがばっと顔を上げて私の手首を掴んだ。

「大人になった僕が言わないなら、今の僕が言ってやる!いいか、あなたは魅力的な女性なんだ。だからあんまり男を煽るような服装をするな!恋人の僕以外にそんな恰好を見せるな!」

真っ赤になりながらも目を逸らさずお説教をしてくる彼に、私は謎の感動を覚えていた。初めて会った時から自信満々で、女の扱いにも慣れていた零さんが、若い時はこんなに初心で生真面目だったなんて。どうせ散々女を泣かせてきたのだろうと思っていたけれど、これは逆に、ストイックすぎて泣かせてきたパターンだろうか。

「気を付けるわ、ごめんなさい。でも今はこれしか持ってないのよね」
「……目のやり場に困る……」
「それじゃあ、あなたが納得してくれるような服を一緒に買いに行かない?」

私の提案に、彼は怪訝そうに眉を跳ね上げた。こんなにくるくる表情が変わる彼を見るのは、演技でなければ初めてのことだった。

「どうしてあなたが若返ってしまったのか解らないけれど、せっかくだからもっとあなたのことも知りたいし。あなたが嫌じゃなければ、ショッピングデートしましょうよ」
「嫌なんてことは、全く……」
「それじゃあ決まりね」

やや強引に、私は話をまとめた。夢ならば多少好き勝手しても許されるだろうと思ったのだ。

「私の名前は本田さくら。零さん……って、年下のあなたにそう呼ぶのも変ね」

私は少し考えて、彼に微笑みかけた。それだけで頬を染める純情さを、この時の彼は持ち合わせていた。

「零君。そう呼んでもいいかしら?」
「……、構いません。では、あなたのことはさくらさんとお呼びしても?」
「ええ。今日は1日よろしくね、零君」
「……よろしくお願いします、さくらさん」

こうして年下の姿をした恋人と、私はデートを満喫することにしたのである。


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