18





懐かしい夢を見た。

同期の皆が、僕の構えるカメラの向こうで笑っている。萩原、松田、伊達、そして景光。
降谷、お前も入れよと、萩原が快活に笑う。松田がその後ろで、なんでお前が仕切ってるんだよ、と突っ込みを入れた。伊達はそんな2人を笑い飛ばしながら、景光の肩を引き寄せる。

温かくて、平和で、泣きたくなるほど幸せな空間が、そこにはあった。

この頃の僕はもっぱら写真を撮る側で、自分が被写体になっている写真は殆どなかった。公安に配属されることになってからは、プリントしたものは捨ててしまったしデータも全て消してしまった。
自分を縛るものはなるべく少ない方がいいと、未練になるようなものは無い方がいいと思っていた。自分より大事な存在など、作るべきではないと思っていた。

何故なら、大事な存在はいつだって僕の手を擦り抜けていくものだからだ。

カメラに収めた4人の顔が、徐々に黒い物に塗りつぶされていく。最初は萩原。そして松田と景光。最後に伊達の顔が、黒くて輪郭のはっきりしない、ぼんやりとしたものに覆われていった。
僕の手にしたカメラから、黒い影が這いだそうとしているのが解った。それはカメラを持った僕の手に纏わりつき、暗闇へと引きずり込もうとする。

零、とカメラの中から景光が呼んだ。
何か黒い物で顔を隠された景光が、あの日目の前で息絶えていたスコッチが、画面の向こう側からこちらに手を差し伸べていた。

早く来いよ、零。
そう口元が動いているのが解った。

手許の影はその大きさを増し、僕の両腕を呑みこもうとしていた。僕は静かに瞼を下ろし、ひとつ息を吐き出す。
このまま闇に呑まれてしまえば、そこには何が待っているのだろうか。お前たちは、僕がそっちへ行くのを待っているのか?
そう問い掛けようとして、僕はもう一度目を開いた。さっきまでと同じように、そこには闇が広がっているはずだった。

だが、そこにあったのは僕を安寧に導く闇ではなかった。カメラを持っていたはずの手が握っていたのは、

何の変哲もないスマートウォッチだった。

そうと認識した途端、まるで手品か何かのように、僕を包んでいた仄暗い空気は一瞬で消え去った。代わりに手元に残った端末を見つめる。
スピーカーから何かが聴こえてくるのが解って、僕は端末を持ち上げた。よくよく耳を澄ませてみれば、そこから聞こえていたのは耳慣れた電子音だった。

ピピピ、と連続して鳴り響くそれは、僕が毎朝5時に設定しているスマホのアラーム音だった。やがてその音が外の世界から響いていることに気が付いて、段々と意識が浮上する。そこで僕は、これまでの光景が全て夢の中の出来事だったのだと理解した。

懐かしい夢を見た。彼らの夢を見たあとはいつも、どうしようもない孤独感に苛まれるのだが、今日は不思議と寂しさを感じなかった。

ピピピ、と無機質に鳴ったスマホのアラームを止めようとして、伸ばした手が柔らかい何かに触れた。薄目を開けて確認すると、僕が触れたものは腕の中で眠る恋人の髪だった。

「…………」

さくら。
と、声に出さずに眠る彼女の名前を呼んだ。

ピピピ、と急かすようにアラームが鳴る。それを無造作に止めて、僕はさくらの寝顔をじっと見つめた。伏せた瞼を縁取る長い睫が、彼女の頬に影を作る。昨夜、不用意な発言から大泣きさせてしまった瞼は、眠る前に冷やしたお蔭でほとんど腫れも引いていた。
寂しさを感じなかった理由が解った。こうして腕の中に彼女の温もりを感じていたから、夢の中でも闇に呑まれずに済んだのだろう。

大事な存在は、いつだって僕の手を擦り抜けていくものだと思っていた。けれど彼女は約束してくれた。僕の傍を離れないと。決して僕を置いていかないと。
約束したからと言って何になる、一方的に破られてお仕舞いじゃないか、と昔の僕なら言っていただろう。だが、彼女を愛しく思うようになってからは、その認識は変わった。

約束とは、互いの未来を願うことだ。共に居る未来を信じ、そこにある幸せを祈ることだ。彼女がくれる言葉の数々が、僕に未来へ進む力を与えてくれる。

僕は彼女の剥き出しになった肩を引き寄せ、体を密着させた。力の入っていない彼女の手がさらさらのシーツの上を滑り、表面を波打たせる。

彼女が無事に僕の手元に戻ってきたことを思えば、赤井の庇護を受けていたこともキスマークを上書きされたことも、取るに足らないことだ。そうと解っていても、僕は自分の中で燻る嫉妬心を抑えきれなかった。

(僕ともあろうものが、こんなにも1人の人間に執着するとは思わなかった……)

すり、と額を彼女の柔らかい胸元に擦り付ける。すると、目の前の白い胸が小刻みに揺れ始めた。

「……さくら、起きたのか」
「ふふ、ん、……おはようございます」
「ああ、おはよう」

僕の髪が当たって擽ったかったのか、彼女はころころと笑った。やっぱり泣いている顔よりも笑った顔の方が好きだな、と思いながら、僕は体を起こして彼女の頬に手を添えた。
朝から濃厚なキスを仕掛けると、彼女は最初こそ弱弱しく僕の胸を押し返していたものの、やがて諦めたように舌を絡めてきた。一頻り彼女の咥内を堪能し、彼女の上から体を退ける。

「起きられるか?」

と訊くと、さくらは困ったように眉を八の字に下げ、僕に向かって力なく両手を伸ばしてきた。

「……起こして?」

子供が甘えるような仕草に、僕はもう一度覆いかぶさりたくなる衝動を抑え込み、両腕を差し伸べた。抱き起した体からシーツがはらりと落ちそうになって、彼女は慌てて胸元を押える。

「今日は、零さんはお仕事?」
「ああ、ポアロのバイトの後で本庁に行く」
「またしばらく、ここには戻らない?」
「そうだな……、今回の件で数日本庁に寄れていないから、仕事が溜まっている可能性はある」
「そう……」

彼女は何かを考え込むように、口元に手を当てた。彼女が日本に居られる日にちもあと1週間程度である。それまでにあと何度、こうして顔を合わせることが出来るだろうか。
組織が彼女から手を引くと決断した以上、僕が彼女と接する口実もなくなってしまった。だから次に会う時は、よほど周りに気を配って彼女と接する必要があるだろう。

だが、さくらは僕のそうした懸念とは別の所に意識をやっているようだった。

「どうした?」
「え?……いいえ、何でもないわ。ポアロに行くなら、私も後で寄ってもいいかしら?」

ポアロで会うくらいならば問題はないだろう。元々彼女も、ポアロでバイトをしていたのだから。

「ああ、特製サンドイッチを作って待ってる」

そう言いつつ額にキスを贈ると、彼女は嬉しそうにはにかんで頷いた。



それから僕達は一緒にテーブルを囲んで朝食を摂り、彼女にもらったコーヒーカップで食後のコーヒーを楽しんで、並んでマンションを出た。僕はまっすぐにポアロに向かい、さくらは一旦実家に寄ると言う。

「それじゃ、また後で」
「ええ、お仕事頑張ってくださいね」

マンションの前で別れると、僕達はそれぞれの目的地に向かって歩き出した。


[ 98/112 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]