子ネタ

ゆりかご突入前で少し京クロ



聖なるものの対岸にて





今朝から、酷い胸騒ぎがしていた。落ち着かない。まるで冷たい魔女の接吻が背筋を撫でるような不快感。虫の知らせ。鬼柳はそれがよく発達していた。胸元にぶら下がっている無言の鉄を思わず握っていた。冷たい感触は鬼柳を落ち着かせるにはいたらなかった。
「鬼柳さん、今日は仕事休んでもいいんですよ」
ニコがそう提案した。鬼柳は少女の気遣いにぎこちなく微笑んで「俺だけさぼる訳にはいかねぇだろ」とニコの頭をくしゃっと撫でた。今日はWRGP決勝戦である。決勝戦の様子はこんな辺鄙なところにまでわたって中継される。それゆえ仕事の合間、昼食時にはバーにある小さなテレビを皆で囲み、盛り上がることはここ最近のサティスファクションタウンの日常風景と化していた。数あるチームのなかでもチーム5D'sは特にここの町長のお気に入りである。町の若者が理由を聞くと、鬼柳は目に少しだけ生気を宿して昔の仲間だからとぼそりと呟く。大抵の者はそれにえっ、と驚くのである。元キングと、現キングが、仲間!?そう言うと「言っとくけどな、クロウもあいつらと張り合えるくらい強ぇんだからな」とむっとするので町長一番のお気に入りはあのクロウ・ホーガンという青年らしいということがわかった。さらにそうやって町長が熱をあげているので、ちらほらと周りにもクロウのファンが増えてきているくらいだ。(今度生で応援しにいくんだぜ、と心を弾ませていた男はしっかりと彼の名前プレートを自作していた。)町全体がそんな様子だから
、今日は一際活気づいているのが鬼柳にも手に取るようにわかった。チーム5D's対チームイリアステル。鬼柳の勘はその字面を一瞥するだけでぞわりと胸を震えあがらせた。鬼柳は薄々と頭の上にある重圧感をずっと感知していた。それが何なのかはまだわからないのだが。
最初の異変は、採掘作業に使用する機械の不調だった。それはモーメントを動力にしている最新型の機械にだけ現れた。ならばと試しにデュエルディスクを起動させた。うんともすんとも言わなかった。鬼柳は首をかしげた。永久機関であるモーメントが止まるなど、普通では考えられないことだ。あってはならないことなのだ。鬼柳がまず真っ先に思い浮かべたのは遊星の顔だった。遊星ギアというただの連想に過ぎないが、そこから昔の仲間の安否を次々と心配してしまうのは鬼柳には止められないことだった。あいつら、大丈夫だろうか。彼らのDホイールに遠隔通信を送ってみてもやはり何の反応もない。
「き、鬼柳兄ちゃん!」
その時、ウェストが真っ青な顔をして鬼柳にしがみついた。「テレビが!」鬼柳は今にも泣き出しそうなウェストを気にしながらもバーに踏みいる。「先生ぇ…!」「鬼柳のダンナ!」屈強な猛者どもがそろって若き町長の顔を仰ぎ見た。
砂嵐を混じらせながら映し出された映像をみて鬼柳は頭をがんと殴られたような衝撃を感じた。金髪のレポーターが状況を矢継ぎ早に繰り返し叫んでいる。

ネオドミノシティの上空に、巨大な物体が出現しています!危険なため地域の住民は避難してください!!ただちに避難してください!――あれは何なのよ!いったい!?

レポーターが本音を叫んだ瞬間に、ぶつりと映像が切れた。鬼柳はそれを呆然と見ていた。シティをまるで食らおうとするかのように突き出た牙のような黒い空。場所的な隔たりを飛び越えてきた情報はあまりにも現実離れしていた。ただ、口の中が酷く乾いていることに自分が緊張状態であることを自覚する。なんで。そうだあいつらは。あいつらは――鬼柳は彼らをよく知っていた。とてもあんな状況を傍観できる性格ではなかった。
まさか、戦って、いるのか?

気づけば部屋を飛び出していた。かじりつくようにDホイールに掴みかかり画面を叩く。「クロウ…!遊星、ジャック!!」ばん、と鈍い音がした瞬間にモニターがざざ、と砂を噛んだような音を発した。誰かが、呼びかけている。鬼柳は音声スピーカーに耳を押し当てた。
『鬼柳…』
「く…クロウ…ッ!!」
鬼柳が叫ぶ。だがこちらのDホイールはうまく音声を拾ってくれない。小さな声を聞き逃さないように鬼柳は神経を尖らせた。ノイズ音がかき消した分まで鬼柳は必死に拾いあつめた。
『聞こえてねぇよなあ…。鬼柳、俺たちは今からアレを止めにいく。…俺たちは死に物狂いでアレを止めなきゃならねぇ。きっと今までにないひでぇ戦いになると思う。でも俺たちは負けない。遊星も死なせない。みんな、絶対に死なせねぇ…』
これは、彼の誓いだと思った。鬼柳は頷く。俺はちゃんと聞いている。お前の決意を、聞いている。
『でもな、やっぱりふと考えちまうんだよ。死ぬって…怖いよな。命は重い。重くて潰れちまいそうだ。でもそれを知ってるから守りたいんだ。あいつらの前でみっともない姿を見せたくねぇんだ。だから…頼む』
しばらくの沈黙。
『俺に勇気をくれ。鬼柳』
ざざ、とノイズの海が鬼柳の耳を多い尽くす。「クロウッ」そこから先はなにも聞こえなかった。おそらくは通信を切ったのだろう。鬼柳は二、三度瞬きをしてDホイールを撫でた。クロウは生きている。戦っている。クロウだけじゃない、遊星もジャックも、あの街の住人皆が生きるために恐怖と戦っている。かつての鬼柳には眩しすぎて逃げてきた生の光。だが今ならば、俺は、人間としてその光が頼もしい!

鬼柳は街の中央にある広場に戻ると生気の抜けた男たちの顔を眺め回した。女子供も出てきていた。不安げな顔の中でただ一人鬼柳だけが凜として立っていた。
「おい、お前ら!顔をあげてよく聞きやがれ!」
鬼柳は殴るように一喝する。数人がはっと顔をあげた。
「いいか、1時間だけ時間をやる。力のある男はこの街のガソリンとテントを全部持ってこい!他はモーメントの内蔵されていない車を探しだせ!女は水と保存食を準備するんだ!子供は母親を手伝ってやれ!いいか」
鬼柳はそれを一息で言うともう一度ぐるりと眺め回した。クロウはああ言ったが、最悪の事態を想定しなければならない。もしも、失敗したときのことを。そうなれば、周りの小さな街ではシティの市民や旧サテライトの住民全員を受け入れることなど到底できやしない。そのための準備だ。
「こんなごみ溜めみたいなところに流れ着いた俺らが、人様の役にたてんだぜ?そんなみっともない顔してんじゃねぇよ!」
ばん、と近くの男の肩を叩いた。男が顔をあげる。それを合図に力を有り余らせた男やら、気の強い女やらが次々に動き出した。鬼柳は誇らしげに人々を見つめた。懐かしいものを感じたからである。離れていても仲間と繋がっているその感覚が、それがどんなにすばらしいことか。

「……俺も、すぐ行くからな」

鬼柳は遥か遠くにあるシティの方向を見た。そうしてすぐに踵を返して今できることを探し始めた。まってろ。まだ死ぬなよ。お前らだけで死なせるかよ。鬼柳は震える指を無理やり拳の中に押し込める。そうすると少しだけ気分は落ち着いたような気がした。





拝借:シュロ
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