03

side 五条

 婚約者はお世辞にもいい女とは言えない人間だった。甘えたで我儘、常にベタベタとまとわりついてきて、世界は自分を中心に回っていると思うタイプ。

 彼女のことはそれほどまで好きでもなかった。むしろどちらかと言うと鬱陶しく、嫌いだった。
 それでもいつもなら一緒にどこでも行きたがる彼女が、急に1人でふらっと写真旅行と称してカメラと最低限の必需品だけを持ってどこかへ行ってしまうことがよくあった。行き先すら告げず、雲のようにどこかへ消えてしまう。
 一度だけ、彼女の後を追いこっそりと後をつけたことがある。いつもにこにこと笑っている彼女の表情はなく、カメラを構え、シャッターを切る。ぼーっと風景を眺めているその横顔が、美しい風景よりも綺麗で心を奪われた。

 普段の行いからプラマイゼロよりは少しプラスくらいに傾き、そこから少しずつ沼に引き摺り込まれたような気がする。
 ふとした行動が愛らしく思え、彼女が自分しか目に入らないことに優越感を抱いてしまったことに驚き自身の想いを自覚した。

 しかし、今まで散々冷たく接していたのに態度を改めることも出来ずに、同棲して、セックスをした。だから、今回もちょっとした意地悪のつもりで彼女の手を弾いたのだ。
 どうせ彼女のことだ、帰ってきたら怒りながらもベタベタと引っ付いて愛を撒き散らすのだろうとそう思って。


 2週間もの長期任務から帰宅する前に、本家に呼び出され仕方がなく向かうとそこには長い黒髪の女。俺が入ってきたのを見やるとにっこりと笑う。ふわりと女から香る匂いに鼻に付いた。
 女の側にいた付き人が僕が座ったのを確認すると口を開いた。

「こちらの方が悟様の新しい婚約者となります。以前の女よりも呪力も多く、性格も見た目も非の打ち所がない、悟様にぴったりの女性です」
「ハァ?なに、勝手に決めてんの」
「あちらのご両親にも、元婚約者の方にもご了承を頂いております」
「どうぞ、よしなに」

 呪力が混じった女の匂いに、恐らく洗脳とかそう言う作用があるのだろう。僕には効かないけど、この男には効いたみたいだ。

「僕は認めないから」

 僕はそれだけ告げると早々にその場を去り、足早に家に飛んだ。車で行く時間も惜しい。
 玄関を開けると変わらないいつもの家で少し安堵を覚える。リビングも僕の部屋も何も変わりがない。最期に彼女の部屋を開けると、そこにはものが一切なかった。女の子らしい可愛い部屋だったのに、家具すら置かれていない、空き部屋になっている。

「え…」

 僕の腑抜けた声だけがものがないもない部屋に反響した。
 ポケットから携帯を取り出し、彼女に電話をかけるも「おかけになった電話は使われておりません」と無機質なアナウンスが流れるだけ。
 どういうことなのか理解が追いつかず、本家の人間に電話をかけるとワンコールで出た。電話に出たのは、先程あった女と同じ声。

「どういうこと」
「どうと言われましても、彼女には出ていってもらいました。快くご了承頂けましたよ。彼女の荷物も処分していいとのことだったので、処分させて頂きましたわ。悟様のことを随分と好いていらっしゃると伺っておりましたが、何も反論もされず拍子抜けでしたわ」

 くすくすと楽しそうな声だけが響く。思わず、通話を切った。

 つまり、彼女は精神干渉系の術式にかかりあの女に追い出されたそういうことなのだろう。
 彼女の足取りを掴むべく、伊知地に連絡を入れて、ソファに寝転がった。彼女がいた形跡がなくなった部屋は随分と広く感じた。

「絶対、みつけてやる」

 それは、愛情というよりも執念に近いものだった。


 その後、伊知地の調べで彼女は渡航したことがわかった。イタリア行きのチケットを購入している。戻って来るのは3ヶ月後らしい。3ヶ月まって空港で捕まえる気だったが、彼女は全く捕まらず、日本にいてものの僕でさえ居場所がわからない。気が付けば彼女は呪詛師として手配され、余計に行方がわからなくなってしまう。なに余計なことしてるんだとキレても彼女が呪力で非術師を傷つけたとか、確証のないことばかりで片付けられる。僕の力を持っていても別のところから圧力をさらにかけられ、なんとか彼女の呪詛師認定を取り消すこともできた。

 しかし唯一、彼女の生存が確認取れるのは冥さんに大金を積んで教えてもらったSNSのアカウントだけ。言葉は殆ど呟かず、写真だけをアップロードしている。

 捕まえられそうなのに捕まらないもどかしい気持ちでいっぱいになる。きっと彼女は今頃どこかで泣いているのではないだろうかそうおもってしまう。
 しかし、窓が入手した彼女の写真は僕の知っている彼女とはかなりかけ離れていた。長かった髪は肩口で切りそろえられ、頭も黒から金髪に変わり、服装もふわふわとした女の子らしいものから、ボーイッシュでシンプルなデザインのものに変わっていた。
 顔がにたまるで別の人間を見ているような気分になる。彼女が元気そうに生きていることに喜べばいいのかすらもわからなくなってしまった。

 彼女の居所を掴めたのは彼女が居なくなってから2年後。福岡に居着いていることが判明し、僕は任務を全て放って彼女の元に駆けつけた。
 出会った彼女は久しぶりの再会でも嬉しそうに笑いかけてくれることすらなく、冷たく、前は吸わなかったタバコも吸い、ビールを煽る。

 正直に言えば、彼女は僕と再開したらまた昔みたいにベタベタと鬱陶しいくらいに引っ付いてきて、甘えて来ると信じていた。見た目は変わっても中身も僕に対する想いもおなじだと。

 でも、違うかった。

 彼女の中でのこの2年は中身を変えてしまうほどの衝撃的な2年だったのだろう。
 たった2年。されど2年。

 口元についた焼き鳥のタレをぺろりと舌で舐めとるその仕草が叙情的に思えてしまう。嫌がりながらも髪を触ったり、耳に触れたりする手を無理に振り解かないあたり、僕のことを嫌いになったということではなさそう。

 なら、今度はこっちの番。
 2年間でつもりに積もった想いを浴びせてあげよう。
 そうすればきっと彼女は戻って来る。

 僕はそう思いながら口角を上げた。

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