- ナノ -


私が彼と出会ったのは、とある町外れの更地、もとい私の住んでいるマンションの前だった。
夕方にはばっちりお化粧を終えて、客にお金を更に落として貰うために新調した、キワドイ切れ込みの入ったスパンコールのドレスをトランクに詰めて家を出たら、見覚えのないテントが目の前の更地にそびえていた。
随分変わった家ねえと思いながらマンションの階段を降りると、エントランスに鮮やかなチラシが所狭しと貼られていたの。ああ、サーカスやるの、今時珍しいわね、なんて思いながら。さして気にも留めなかったわ。

でもね、マンションの敷地を出た瞬間何が飛んできたと思う?ナイフよナイフ。しかも本物の。確かに私はあまり褒められるような職業にはついていないけど、殺し屋に雇われるほど変なことはしてない……はずだったからそれはもう驚いたわ。人間本当に驚くとただへたりこむことしかできないわよ、よく覚えていてね。話を戻すわ。
ナイフの飛んだ方向に恐る恐る視線を向けると、ウサギの姿をした男の子が、お面を被った二本足の犬に向かって数えきれない程ナイフを投げていたの。何もかもが異質な光景だったのを今でもはっきり覚えているわ。
それで私はというと、落ち着いて暫くしたらだんだん怒りが沸いてきて、近くに落ちていたナイフを拾って思いっきり投げてやったの。今考えると本当に気が動転していたというか、まあ恥ずかしいけど若気の至りというやつね。

投げたナイフは思ったよりも鋭く飛んで、ウサギの男の子の体を掠めて速度を落とした。彼の脇腹から赤い飛沫が噴水のように吹き出して、彼がこちらを向いたところで、私の意識はぷっつり途切れた。

◇◇◇

なんとなくお腹に重みを感じて意識を取り戻すと、鮮やかな色をした見知らぬ天井が目に入った。
ぐるりと目だけで周りを見回すと、首だけが象の乗り物、大きなボール、フラフープ、ナイフといった道具が所狭しと並べられていた。

ナイフ?……私、そうだ、人を刺した!
がばりと跳ね起きると、

「ひっ」

私に跨がって座っているウサギの男の子と目が合った。待ってましたとばかりに、手に持っている血のついたチェーンソーが音を立て始めた。
ああ、あれはやっぱり夢じゃなかったのね……私は思わず目を閉じる。
元はと言えば、私が彼を負傷させてしまったのが原因よね。刺されても、最悪殺されても文句なんて言えやしないわ。でも私の本能は至って正直だったらしい。

「ごめんなさい、その、刺すつもりなんて本当になかったの! 本当にごめんなさい、治療費なら幾らでも払うから、お願い、お願いだから殺さないで」

なんとも情けない言葉が、もっともらしい建前より先に口をついて出た。
冷静に考えて、自分を負傷させた本人が目の前にいたら普通ただじゃおかないわよね。

まったく、今日死ぬってわかってたら、冷蔵庫にあるシャルパンティエのケーキをさっさと完食しておくべきだったわ。新作のフェイスパウダーもまだ試していないし、この前街にできたエステサロンにも行ってない。
まだやりたいことが沢山あったのに、私の人生って一体なんだったんだろう……