- ナノ -



 ひとりぼっちの私に、知り合いが出来た。その子の名前は、飴村乱数くん。
 改まって年齢を聞いたわけじゃないけれど、上履きのつま先の色が一個下の学年のものだったから、多分年下であってると思う。

 彼と初めて出会ったのは、人気の少ない校舎裏だった。私はこのところ毎日、クラスメイトの女の子達に蹴られたり、笑われたりするのに忙しかった。でも、そんなのはとっくに慣れっこになっていたから、終わるのをいつも通り根気強く待てばよかった。
 私にとって、女の子達の喋る言葉はとても早くて、遠い国の言葉のように聞こえる。それでも、表情や仕草から、私を蔑んでいるんだなというのは何となく予想がついていた。

 そして、ようやく飽きてくれた彼女達がきゃあきゃあと校門へ向かっていく後ろ姿を見届けてから、はあ、と溜め息をつく。
 泥だらけのスカートを手で払っていると、ハイトーンな男の子の声が上の方から聞こえてきた。

「ねえねえ、おねーさんってば! 大丈夫ー?」

 私はびっくりして、近くに人影がないのを確かめてから、視線を上に向ける。男の子が私に向かって、校舎の窓からニコニコと手を振っていた。
 太陽の光が反射して、キラキラと光っている彼の薄桃色の髪に、ぼうっと見惚れてしまう。
 神々しいって、こういう時に使う言葉なのかな。無視するのもどうかと思った私は、汚れた手で小さく手を振り返した。

「僕、飴村乱数! これからよろしくね!」

 今度こそ、どう切り返せば良いのか分からなかった私は曖昧に頷いてごまかした。それから男の子は何を話すわけでもなく、にぱにぱと微笑みを浮かべて私をじっと見ていた。
 それから間も無くして、彼の後ろから「乱数くーん、夢野先生が探してたよー」という声が聞こえてきて、無意識に身が竦む。

「今いっくよー! ……それじゃおねーさん、まったねー!」

 ガタンと閉じられた窓は、元の味気ない透明なキャンバスに戻った。……久しぶりに、人と喋ったな。
 我に返った私は、植込みの影に隠れたスクールバッグを引きずり出して、足早にその場を後にする。ようやくいつもの放課後が過ごせる嬉しさに、自然と頬が緩んだ。


「おねーさん、また会ったね! 調子はどう?」
「あ……あめ、むらくん?」

 今日もいつも通り、誰もいない体育館の倉庫でお弁当を食べていると、ひょっこりと飴村くんが現れた。
 な、なんで此処に? 彼に驚かされたのはこれで2回目だ。

 飴村くんはそのまま体操マットの山に腰掛けて、満面の笑みで話しかけてきた。

「わあ、僕の名前覚えてくれてたの? 嬉しいなー。ねえねえ、おねーさんの名前はなんていうのかなっ?」
「名前は……あ、」

 上履きに書いてあるよ、と私らしくもない冗談を言おうとしたところで、口に出すのを止めた。
 上履きは先週の朝に下駄箱から姿を消していて、今は学校の来客用のスリッパを借りているのだった。新しい上履きを買ってもらう言い訳も見つからず、親にも言い出せていなかったことを連鎖的に思い出して、憂鬱な気分になる。

「……みょうじ、みょうじなまえ、です」
「あはっ、なまえおねーさん、僕に敬語はいらないよん! はい、お近づきのシ・ル・シ!」

 そう言って手渡されたのは、鮮やかな桃色のロリポップだった。顔をしかめるくらい甘いんだろうなあと、漂うストロベリーの香りを嗅いだ。
 飴村くんは「早く食べてみて」と言わんばかりに、にこにこしながら私を見ている。
居心地の悪さを覚えながら、薄い包みを剥がして口に咥えた。化学的な甘さが身体に染みわたり、カッと体が熱くなる。

「あっまあッ」
「ふふ、そうでしょ? これ舐めてると、辛いことや苦しいことが一気に吹っ飛んじゃうんだよねー! すっごーく甘いからさ!」
「あはは……うん、本当に甘いけど……美味しい」

 飴村くんは鼻歌を歌いながら、ロリポップを舐め続けている私をじっと見ている。
目を合わせるのは恥ずかしくて、私は飴村くんの首元に視線をずらす。真っ白な陶器みたいな肌に、羨ましさを覚えた。
 それに、人気のない場所に飴村くんなんて、ミスマッチな組み合わせだなぁと思った。

 学年の違う私と彼にはなんの接点もなかったけれど、私は一方的に彼のことを知っていた。……今年入学してきた子の中で、彼は一際目立つ華やかな容姿とカリスマ性を持っているからだ。
 人懐っこい性格と持ち前の明るさで、皆の中心にいるタイプの子。彼が歩けば、道ゆく人の視線を独り占めにして、あっという間に虜にする。それに、選ばれた人間しか持つことが出来ないヒプノシスマイクも持っている、らしい。
 友達のいない私でさえも、ここまで知っているくらいだから、どれだけ彼が沢山の人から注目されているかは火を見るより明らかだ。

「……飴村くんは、何かここに用事があるの?」
「うん! なまえおねーさんに会いに来たんだよ!」
「いや、そういうのいいから」
「えーっ、ホントなのになあ」

 彼は頬を膨らませたあと、助力をつけて立ち上がる。さらさらと流れる髪は、相変わらずとても綺麗だった。飴村くんはふ、と笑みを零すと、ポケットからもう一つロリポップを取り出して、体操マットの上に置いた。

「じゃあ僕、そろそろ行かなくっちゃ。なまえおねーさん、またね!」

 飴村くんは手をひらひら振って、倉庫から出ていった。空間は元の静けさを取り戻したのに、何故だか私は酷く焦っていた。一人でお昼を食べていた時は気にならなかったのに、彼のいない体育倉庫は酷く色を喪っていて、世界から取り残されているように思えた。

 昔は毎日お昼を一緒に食べるクラスメイトもいたし、部活で仲良くなった子達もいた。
 いつからだっただろう、周囲がよそよそしくなって、孤立していくことに気づいたのは。
 特段何かした覚えもない私は、素っ気ない反応を返す友達に狼狽えるばかりだった。段々卑屈になっていくのが自分でも分かって、部活も結局辞めてしまった。
 周りの人が私を笑っているかもしれないとか、一人でいるのが分かったら虐められるかもしれないとか、ネガティブな妄想ばかりが浮かび上がるうちに、それは現実になってしまった。

「……こんなはずじゃ、なかったのになあ」

 置かれたロリポップが一筋の希望のように見えて、私は手を伸ばした。今度お小遣いをもらったら、すぐ上履きを買おう。