21. 進んで行く者たちと


『タイムリミットだ、山木君』
 右の鼓膜を震わす低い声に、山木はギリリと唇を噛みしめる。
 静まり返った部屋の中、動き回っていた人々の目は全て山木に集中していた。その視線を一身に受け、その圧力によろけそうになりつつも山木は言葉の続きを待つ。
『例のテイマーたちをデジタルワールドとやらに向かわせるんだ』
「ですが、彼らはまだ子供で……!」
 食い下がる山木に、電話の男は彼の名前を呼んで諌める。
『我々はもう充分待った。それに、君はたかが数人の子供たちの為に、日本国民全員を危険にさらすというのか?』
 その言葉に声を詰まらせる。男の言っていることは、正論だ。しかし、割り切れない気持ちも山木に……否、この場にいる全員にはあった。
 一方的に切られた携帯を地面に投げつけたい衝動を抑えて、それをポケットにしまう。隣に控えていた鎮宇は、そんな彼の動作と言葉から内容を察して頭を抱えた。
「私たちは結局子供たちを守ることはできないのか……っ!」
 悲痛な鎮宇の声と同時に、部屋に警告音が鳴り響いた。
「新宿自然公園にて高密度のデジタル反応!」
「デジモンがリアライズしてくる様子はありません!」
 さっきまでの静けさが嘘のように慌ただしくなる。ここからはもう四の五の言っていられない。迅速に動くべきだとわかっていても、やりきれない感情が山木や鎮宇を苦しめた。









21.進んで行く者たちと










「避難勧告、か……」
 都内から避難しようと流れていく人々を、自室の窓の外からぼんやりと眺めつつ啓人は呟いた。
 この商店街に住んでいる住民はみな都外へと移動を始めている。しかし、啓人の両親は「様子見をする」との一点張りでここから離れようとはしない。しかし実の所、両親は今すぐにでも新宿を離れたくて仕方がないのに、それをさせてもらえないのだ。啓人はそれをジェンから聞いていた。
窓を少し開けると、土と雨の匂いが鼻をつく。滝のごとく降り注ぐ大量の雨水は、すぐ先の景色でさえも掻き消していた。
 この雨の中では傘をさしていても跳ねる雨水によって、ほとんど意味をなさないだろう。
「すごい雨だ……」
 あのデジタルフィールド出現からもう二日たっていた。
 啓人はあの日以来、一歩たりとも家の外に出ることは許されていない。彼だけでなく、二日前にあの場所にいたジェンたちや、留姫……そして樹莉も同じらしい。
 子供たちはその親の行動の真意を知っていた。正しくはジェンが突き止めたことだが。
相次ぐこの異常気象はデジタルワールドが関係していて、大人たちは啓人たちにそれを知られたくないのだという事を。そしてこの事態の収拾の為に、政府は啓人たちを呼び寄せたいのだという事を。
 真実を話してくれない大人たちに、啓人たちは怒ることはしない。大人たちは自分たちを守るためにやっていることだと、理解していたからだ。できれば啓人だって、もう両親を悲しませることはしたくない。
 しかし、ギルモンたちに何かがあったとすれば、黙って大人しくするのも嫌だった。
「ギルモン……」
 小さく呟いて、カーテンを閉めようとした時だ。
 けたたましい電子音が部屋に響く。みれば机に置いてあるアークから発せられていた。それを手に取ると二日前と同じように、アークは円形の画面を浮かび上がらせて赤い矢印を点滅させる。
 それはやはり、ギルモンホームのある自然公園の方角を指していた。
 啓人はすぐさま仕舞い込んでいたゴーグルを、ベッド下の箱から取り出す。手に握ったそれはいつもよりも重く感じられた。それはなんの重さなのかわかっていないほど、もう啓人は子供ではない。
「……今なら、引き返せる」
 このゴーグルをつけてしまえば、もう引き返せはしない。このゴーグルは啓人にとってアークと同等のテイマー≠フ証なのだから。
すべてを見なかったことにして、両親の元に居続けるという選択。それを選べば、両親を悲しませずに済む。しかし、戦いの道に進むとすれば、それは今の両親の気持ちを裏切るということになる。啓人は迷っていた。
「僕はそれでも……っ!」
 突然、強い光が窓の外から差し込んできた。薄暗い部屋が一気に明るくなる。
 ガラス窓を開け放てば、住民たちの戸惑いの声が鮮明になって部屋に雪崩れ込んできた。
 少し先の景色さえ見えない土砂降りの中、その光の柱だけは、くっきりと鮮明に啓人の目に飛び込む。
少しだけ迷ってから、けたたましく鳴り続けるアークとカード入れを引っ掴み、ゴーグルを首にかけ、啓人は部屋を飛び出す。

 階段を駆け下り、玄関を出ると、父である剛弘と母である美枝が傘を差さぬまま立っていた。店の前には、黒塗りの車が止まっている。それが政府の迎えの車だという事を、啓人はなんとなく理解した。
剛弘は啓人の手に握られているアークを見ると「行くのか?」と問いかけた。啓人は躊躇いがちに頷く。
「僕たちが行かなきゃならないんだ」
「どうしても行くの?」
「僕たちしかできないから」
「そこに啓人の意志はあるの?」
 その問いかけの意味を理解するまでに数秒かかった。
 〜しなければならない、〜しか。その言葉は強制であり、けして啓人自身の意志ではない。美枝は、啓人の意志を聞きたいのだ。
「本当は、戦うことが怖いんじゃないの?」
 前回の戦いの記憶がよみがえる。戦いは悲しいことばかりで、とても怖い。できればあんな思いは二度としたくない。しかし、それでも啓人は決めていた。
「怖くない訳じゃ、ない。……でも、それでも行きたいんだ」
 ここで行かなければ、きっと後悔する。行っても辛いことばかりで後悔するかもしれない。どっちにしても後悔するなら、啓人は後者をとる。
「僕は、僕にしかできないことをしたいんだよ、母さん」



*******



 水溜りを踏んではねた雨水が明確にスニーカーを濡らす。足を動かすたびにある、靴の中に溜まった雨水と空気が掻き回される不快な感覚に、留姫は舌打ちした。雨水のせいで濡れたスニーカーは走りづらいことこの上ない。
 傘で、自分よりもアークを濡らさないように気を遣いながら留姫は避難しようとする人の波を進む。人々の流れの逆方向を進むのはなかなかに骨が折れた。もう一度舌打ちして、留姫は人のいないビルの合間へ進行方向を変えた。急がば回れ、だ。
 雨はますます勢いを増していく。傘はもはや意味をなさない。
 傘を投げ捨てて、走るスピードを早める。風邪をひくとか、そんなこと知ったものか。
 アークの示すとおりに自然公園の入り口へたどり着くと、人がいた。雨のせいで遠目からでは誰か判別はできなかったが、関わっている暇はないので素通りしようとしたら呼び止められる。いやに聞き覚えのある声に、留姫は身体を強張らせた。
 そこに立っていたのは、まぎれもない自分の母だ。
「母さんから連絡受けて、慌ててきてみれば……」
「……」
「留姫。まさかまた危ないことしようなんて、思ってないわよね?」
 母であるルミ子の言葉に留姫は気まずげに視線を逸らす。
 以前の留姫であったのなら「関係ない」の一言で突っぱねたのだろうが、今はそんなこと口が裂けても言えなかった。前の戦いで、ルミ子がどれだけ自分を愛してくれていたのかを留姫は知ったからだ。
「あなたはまだ子供で、しかも女の子なのに……」
「でも、私はレナモンのパートナーなの!」
「その前に私の娘なのよ!? たった一人しかいない、私の大事な愛娘なのよ!?」
 ルミ子は差していた傘を放り投げて、留姫を抱きしめる。冷え切っていた体がルミ子の体温でじんわりと暖かくなっていくのを感じた。
 ただ支えることしかできないことが、どれほど辛いのか留姫は知らない。留姫は何時だって自ら戦いに身を投じていたのだから。
「一言でいいの。戦いたくないって言って。その言葉さえあれば……」
「政府から私たちを守るの?」
 ルミ子が息を詰まらせる。「なんでその事を」と呟く声に、留姫は「やっぱり」と返す。皆、ただ黙って家に縛り付けられていたわけじゃない。事のおおよそはジェンが突き止めた物ではあるが、子供たちはみんな知っていることだ。
「ママがどれだけ私を大切に思ってくれているか、わかってる。でも、私が……私たちが行かなくちゃならない。テイマーとして……レナモンのパートナーとして」
「留姫……っ!」
 その言葉にルミ子は泣きそうに顔を歪めた。それを見て「ごめん」と留姫は零す。
 ルミ子自身、こうなることは分かっていた。でも、それでも、行かせたくなかった。気丈に送り出すなんてルミ子はできない。
「……私は、行ってらっしゃいなんて言わないわよ」
「うん」
「おかえりしか、言わないわ」
「うん」
 母の体が離れる。留姫は心の中でだけ「いってきます」と言って。踵を返して走り出す。
 ルミ子は雨に打たれ続けながら、そんな娘の背を見えなくなるまで見つめていた。





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