あまい / 燭さに

ずっと聞きたかった言葉だった。
ずっと聞きたかった言葉のはずだった。





「聞いて光忠!!」
私の家から徒歩45秒にある扉を開けば廊下の先に驚いたように目を見開く幼馴染の姿。靴を揃えるのも忘れて家に上がりこむと、困ったように微笑まれた。相変わらず顔が良い。
「とりあえず落ち着いて。ほら、手を洗ってきなよ。駅前で買ったクリームブリュレがあるんだ。」


なんて話そう、どうやって話そう。こんなのって初めてだ。光忠驚くかな、驚くだろうな。今年一番の驚きをもたらしてやろう、なんて。
まだ少し濡れている手でリビングの椅子を引けば、こら、とたしなめる声が聞こえた。しょうがないじゃん、だって、だって。
「はい、どうぞ。 飲み物はコーヒーでいいよね、砂糖抜きのミルク数滴。」
鼻歌交じりにコーヒーをまぜる姿は、おしゃれなカフェの店員さんみたい。何をしてても絵になるんだから狡い。存在が狡い。同い年なはずなのに、いつもどこか大人びているし。成績だって良いし外見も良いし。言わずもがな阿呆ほどモテた。世間のどこでも通用するような可愛い子達が、光忠にこぞって告白した。それを見る度に何故だか胸の奥がもやもやして、吐き気のような体調不良を感じていたけれど、例外なく彼は全員振った。流石、顔のいい男はハードルも高いんだ。
冴えない私と何で一緒にいてくれるの、なんて夢見心地の少女漫画みたいだけれど、私にとってその言葉は現実味に溢れてる。家が近かったからってだけの腐れ縁。それ以上でもそれ以下でも無かったはずだけれど、十数年も一緒にいればそこそこ特別な存在になるものなのか。何で私は彼の隣にいることが出来ているんだろうと幾度も幾度も考えた。しかし結局答えは浮かばず、確か一緒に過ごした時間の長させいだろうと結論づけたはずだ。

運ばれてきたのは、こんがりと綺麗な焼き色のついた小さなクリームブリュレ。焼き目のついた表面をスプーンで割れば、どろりと黄色いクリームが溢れ出した。
「いただきます」
そう言うと、向かいの椅子に腰を下ろした光忠は「どうぞ」と軽く笑った。
「お味は?」
「最高」
お口にあったようで何より、と頬杖をつく姿もこれまた格好いい。本当、何で私はこいつと一緒にいられるんだ。

「あ、そうだよ、今日ね」
目の前のご馳走に気を取られていて目的を忘れていた。光忠どんな反応するかなぁ。
わくわくしながら口を開こうとした時、ピンポーンとインターホンがなった。
「お届けものでーす」
「あ、頼んでたの忘れてた。ちょっと待ってて。」
タイミング悪いなぁ。やっと話せると思ったのに。はーいと返事をしながら印鑑を探す光忠を横目で眺めて、3口目を口に運んだ。甘い。ちょっとしつこ過ぎるくらいの甘い。中のクリームは他の店よりも色が一層濃くて、濃厚な蜜色が光忠の目みたいだ。そんなことを考えていると、当の本人が小ぶりの段ボールを持ってにこにこと笑いながら戻ってきた。

「ねぇ」
「これね、コーヒーの豆を挽けるものなんだ。もう少し遅く来れば、君にもっと美味しいコーヒーを出してあげられたかな。」
「あのさ」
「あ、コーヒー甘すぎない? それ大分砂糖きいてるでしょ。」
「光忠」
「そのクリームブリュレね、この前テレビで特集が組まれてたんだ。こんな街にもテレビ局がやってくるなんてびっくりだよね。」
「光忠、聞いて」

強めに声をかければ、彼は笑ったままこちらを向いた。私は軽く息を吸い込む。
「あのね、今日ね、告白されたの」
光忠の表情は変わらない。
「前同じクラスだった男の子にね。 生まれて初めて、告白された」
声を出して驚いてくれると思っていたのに、依然として、笑ったままの顔がこっちを向いているだけだ。もしかして、冗談だと思ってる?
「あのね、本当だよ。嘘じゃないよ!」
光忠は笑ったまんまだ。思っていたのと違う状況に、どうしていいか分からなくなる。なにか反応くれると思ってたのに。

「それで?」
数秒の沈黙の後、彼が口を開いた。
「それで、何?」
彼の顔はさっきから変わらない。笑ったままだ。いつもの、人の良さそうな笑顔。そう、いつもと変わらないはずなのに。変わらないはずなのに、どこかぞっとする笑顔。
「だから、告白されたって話で」
「うん。だからそれで? 告白されたから何なの? 君は僕に何を求めてるの?」
「え、いや別にそんな深い考えは」
「無いだろうね。 大方、初めての告白に舞い上がっちゃって誰かに自慢したかったとか。そんなところかな。」
はは、と笑われると、指先からすぅと体が冷えていく気がした。反対に、頭には脳が焼けるほどの熱が溜まっていく。こいつは明らかに馬鹿にしている。私のことも、告白してくれた彼のことも。

幼いころから、私は少なからず光忠に劣等感を抱いていた。なんでも出来てすごいね、スタイルが良くてかっこいいね、幼なじみちゃんの面倒見てあげて偉いね。いつも隣にいたせいで嫌というほど彼が褒められるのを聞いてきたし、その度にどうしようもない感情に苛まれてきた。「光忠君ばかり褒めるとかわいそうだから」と気を使った大人達が隣にいた私も申し訳程度に褒めたことはあったけれど、それだって結局は光忠のおかげなのだ。私自身には何も無い。何も出来ない。なんで未だに彼の隣にいられるのか、理解ができない。
告白してくれた子は、こうして本当に何も無い私を初めて好きだと言ってくれた人なのに、初めて私自身を好きになってくれた人なのに、馬鹿にするなんて。
思えば、目の前にいるこいつが私に好きだとただの1度でも言ったことがあっただろうか。僕がついてるよ、一緒にいよう、離れないで。歯の浮くような台詞は幾度となく聞いたけれど、直接好きだと言ってくれたことなんて。
「返事はしたの? 向こうも勇気を出してくれたんだからちゃんと言いなよ。 期待させたままなんてかわいそうだ。」
まるで喧嘩した子どもを優しく咎めるように言うと、立ち上がって冷蔵庫の方へ向かう。
「返事はまだ考えてる途中だけど、」
「傷つかせないように振るって難しいよね。逆恨みされても困るし。 もし不安だったら、僕も手伝ってあげるよ?」
いとも当然のように言うから一瞬自分が間違っているのかと錯覚した。なんだこいつ。なんで私が振るって確信してるんだ。
得体の知れない自信と変わらない笑顔に、気持ち悪さと吐き気を伴う感情が沸き上がる。胸の奥が苦しい。いらいらする。なんで。なんでいつもこいつは。
「……私たちってさ、幼なじみだよね。」
ゆらりと大きな影がこちらを向く。
「幼なじみって、そんなに大層な関係じゃないよね。小さい頃から家が近かったって、それだけの関係。私たちがもう数メートル離れていたら、赤の他人だったんだよ。その程度なの。私たちの間には、それだけしかないの。そんな薄っぺらい事実で繋がっているだけなんだよ?」
口内が粘つく。乾いた唇を舐めれば、甘ったるいクリームの味が口の中を支配した。がっちりとあった目は今更動かすことが出来ない。いつの間にか気味の悪いような笑顔は消えていて、瞬きすら、してはいけない気がした。
先に目を逸らしたのは、光忠の方だった。
視線を斜めに下ろすと、真顔のまま微動だにしない。流石に言い過ぎたかな。立ち尽くしたままの彼に、恐る恐る歩み寄る。
二歩目を踏み出したとき、彼の喉がひくりと震えた。あ、泣く。慌てて駆け寄れば、彼がゆっくり私を見る。蜜色の瞳に映った不安げな私の顔が、ゆっくりと潰れていった。はっとして目の前の顔を見直すと、思わず喉からひぅと空気の音が漏れる。光忠は笑っていた。笑顔、という言葉じゃ表しきれない。猟奇的とも思えるほど無邪気に、綺麗に笑っていた。
目の前の形の整った唇が開いたと同時にまくしたてるような声が聞こえてくる。
「君にはわからないかなぁ、わからないよね。わかるわけがない。知らないんだもの。大丈夫、君がどれだけ無知でも気にしないよ。前もそうだった。本当に変わらないね。僕はこれだけ変わったっていうのに。君はずっと、何もわからない、何も知らない、何も出来ないただのヒトのままなんだ。そのことにすら気づけないほど無知で純粋で滑稽で。あぁ、懐かしいなぁ、久しぶりだ、こんな感覚。」
おかしい。明らかにおかしい。逃げなきゃ。そう感じた途端、大きな手が私の二の腕を勢いよく引っ張った。置いていかれかけた頭は後ろから鷲掴まれ、光忠の体へと押し当てられる。二の腕を掴んでいた方の腕はいつの間にか腰にまわされていて、抱き寄せたかと思えば苦しくなるほど締め付けてきた。固い体の感触に包まれて思わず体がこわばる。肺の中が嗅ぎ慣れたはずの光忠の甘い匂いでいっぱいになって、体温が上がっていくのがわかった。
「今回こそは逃がさないって決めたんだ」
いつもより近い距離から掠れた低い声が聞こえて、思わず背中が反る。
「ねぇ」
頭に回っていた手がそろりと顎へ下りて、僕を見て、と顔を持ち上げた。どろりと溶けだしそうな甘い色の瞳。
「愛してるよ」
零れるように囁かれたのは、一番聞きたくない言葉だった。




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