確信 / へしさに現パロ

 ガラス張りの壁越しに、黄味の強い芝生の上で5歳くらいの男の子が前転しているのを見た。背中にべったりとくっついた枯れ草は黒のポロシャツで余計に目立つ。大騒ぎする子どもの映像と店内のピアノアレンジは別段交わることもない。ひとしきり笑ったらしい子どもがもう一度前転して、近くを歩く鳩は飛び立った。ホームドラマの冒頭シーンで嫌というほど見るのどかさは、秋晴れと同じくらい眼に痛かった。
 正面に座る長谷部に視線を戻す。ふとした瞬間、彼は陳腐なほど整って見えた。鼻筋や顎、目周りの骨格や睫毛の向く先、指先の角度、瞳に映す風景。焦点を合わせた一つ一つ、全てが計算されているようで、ときどき心臓の裏を撫でられるような奇妙な感じを覚える。煤色の鬱陶しい前髪が揺れて、目が合う。何か、と問うように微笑まれて、とっさに被写体を自分の指先へ変える。西日が強い、と下手な言い訳を添えた。
 結局彼が私を呼び出した目的は、会ってから十数分の散歩の中で達成された。そこまで急ぎでもないしメールでも良いような仕事の相談。相談っていうよりむしろ報告だったし。というか職場違うし、相談されても全然わかんないし。きっと適当な口実つけて会いたかっただけだ。私もわざわざ断ろうと思わないくらいには彼のことを気に入っていた。回りくどいのはそんなに好きじゃないけど長谷部に限っては別だった。彼とのコミュニケーションはこれが正解だとあいまいに感じていたから。
 角がほとんどなくなった氷がアイスティーの中でぷかぷか浮いている。長谷部は赤くほっそりとしたストローを唇で挟み、そのまま中身をゆっくり飲み終えた。


 涼しい風を頬に受けながら名前すらろくに思い出せない会社の報告を聞いたあと、近くにあるらしいからと地図アプリから顔をあげた長谷部に連れられ、近くの美術館に立ち寄った。

 三角を組み合わせたような外観が珍しくて、スマホのシャッターをきる。小学生の頃、面積の応用問題で似たような形を見た。写真あとで送っておいてくれ、といった長谷部にエアドロしよっかと声に出した途端、彼がandroidユーザーであることを思い出す。


「長谷部さ」
「はい」
「美術品とか好きなの意外だね」

館内は人がまばらにいる程度で、誰にも気を遣わず鑑賞ができそうだった。私の不安定な歩幅に合わせてついてくる長谷部の存在を時々あっと思い出しながら、適当な順路で館内を巡る。彼も彼なりに楽しんでいるようで、何か気に入ったらしいものがあると食い入るようにキャプションを読んでいた。

「いえ、それほど好きではありませんが」
「あ、そう」

会話を続けるのが急に面倒くさくなって口を閉じる。彼はそれを読み取って勝手に話し出す。

「好きではないですが、あると見てしまいます。人の手で作られたものは特に」
「一点物ってこと?」

彼はうなずく。

「骨董品店を見かけたらつい入っていた頃もありました。遺品が売りに出された時には驚くほど高価なものが出回るんです。別に欲しくもなりませんけど」
「面白いの、それ」
「いい気分にはなりませんが退屈もしませんよ。ときどき妙に、」

長谷部は途中で話を止めて口を閉じた。気にならないわけじゃなかったけど、わざわざ聞き出す労力と比べたら別にそこまで聞きたいわけでもなくて、ふうんと適当に相槌を打つ。
 なんとなく入った割には、長谷部と美術館の中を歩くのは楽しかった。また行けたらって思ったけど、そこまで美術品を好きじゃないって言われてしまえば誘う口実も薄れてしまう。
 

 ぼんやり作品を流し見るのに飽きた頃、どうやら一階の最後らしい部屋についた。
扉をくぐった先にあるのは2階まで吹き抜けた、白くて広い、至って簡素な空間。ただ一つ、私たちの頭上を覆う水面と、そこからさかさまに生える門があった。淡い半透明なブルーでできたそれは、すりガラスのように固くも布のようにやわらかくも見える。数秒の空白のあと、脳はようやく認識を日常に落とし込もうとする。
水面のように見えたものは、本来1階の天井がある地点にぴったりびっしり張り巡らされた細い糸たちだった。心もとないそれに根を張って床へと伸びる門は東洋の、もっと言えば武家屋敷のように見える。有名な建築物がモチーフなのか、それとも典型的な武家屋敷のデザインだからなのか。初めて見たようには思えない門にじんわりとした驚きと、同時につまらなさを覚えた。作品の詳細を知りたくてあたりを見回すも、それらしいパネルは見当たらない。撮影可能のマークを確認したのち、あとで調べるかもしれないし、とシャッターを切る。どうせ撮っても見返さないくせに。いざ消そうとすると指がためらうから、余計な写真が容量を圧迫していく。

「長谷部好きそうだね」
「特段気に入る訳でもないですが、どちらかというと好きですね」

空っぽで面白みのない適当な問いにも、彼はいつも律儀に答えた。私よりいくらか高いところにある彼の瞳は、すこしもブレずに半透明の物体を見つめている。
好きとか懐かしいとかの、あたたかい感情とは少し違う。昔見た何かに似ているような、微妙に違う何かと重ね合わせているような、縁もゆかりもない物事に勝手に感じるデジャヴを目の前の門に抱いた。よくあることだ。
長谷部の横顔をもう一度見る。凹凸のある顔がしかるべきところに、丁寧に影を落としている。



「何でも自分の知ってることに結びつけちゃうの。大した世界なんて知らないのに」
「悪い事だとは思いませんよ」
「だって長谷部は私のこと否定しないじゃん」

お揃いのアイスティーを先に飲み終えた彼は優しげに笑った。実際長谷部は私にとても優しかった。それに律儀で真面目で、彼はきっと正しい人だ。でも良い人なのかは分からなかった。それを気にするべきなのかすらわからなくて、今では考えるのも面倒になっていた。
とにかく長谷部は私のことを否定しなかったし、私はそういう類のやさしさが好きだった。でも好きでいるのは、やさしさの持ち主が長谷部だったからこそなのかもしれない。これについても最早、考えるのは億劫だった。

「でも毎回ね、絶対見たことある気がするって思う」
「本当に見たことがあるのかもしれませんね」
「んなわけないじゃん」

だから長谷部に何を話したところで、新たな思考の切り口が見つかることはほとんどなかった。むしろ内側に押し戻されていくような気さえした。それでもなんだか解決したような気にさせられるから不思議だ。


「そろそろ帰る?」
「ええ」

外はもう陽が沈んでいて、西日の残りがほんのりとあたりを揺蕩っていた。疑うくらい早い日暮れに驚きながら、すっかり薄くなったアイスティーを飲み干す。長谷部は私の言うことを一切否定しなかったし、だから私は長谷部が好きだ。でも、もうちょっと居たいとかそういうのなら、少しくらい言ってくれてもよかったのに。






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