炎天下の幻影


青天の霹靂。

ローファーを引きずる。天気は良い。長閑ながらも慌ただしい春は終わりを迎えつつあり、降り注ぐ陽の光は初夏を迎えんとしている。

これほど恐ろしく学校に行きたくなくなる日が来るとは予想だにしなかった。いいやそれは嘘か。再びこれほど学校に行くのが嫌になるとは思わなかった、というのが正解だ。
心臓がずっしり重くなる。行き場のない居たたまれなさが蘇って嫌気がさした。あーあどうしてもっとこう、図太いメンタルに生まれてこなかったんだ。心臓が芯から腐りそうな気すらする。それか背中にキノコが生えるとか。

「おはよ、名前」
「、…おはよ。あれ、今日朝練は?」
「今日は顧問の都合で休みだった」
「そか」

後ろから飛んできた低音に応じれば、気の置けない友人が隣に並ぶ。
強豪男子バレー部のマネージャーを努める彼女と一緒に登校することは基本滅多にないから不思議な気分だ。

「朝からテンション低いねー?」
「はは、まあね」

空元気でへらへらするのが精一杯だ。それ以外に自分の手綱を握る術がない。自分でも触れたくないところを他人の目につくところに晒すなんて真っ平御免だ。
昔から醜態を晒すことをとかく嫌った、もっと言えば他人の目が気になって仕方なかった小心者の私が培ったのは、平静を装うための鉄仮面一枚きりである。もっともこの付き合いの長い友人にはそんなもの通用しないのだろうけれど。

「ちょっと、背中にカビ生えそうな空気出さないでよ。しゃきっとしなさい、ホラ!」
「せめてキノコがいい…」
「どこに生産性求めてんの。食べられるやつでよろしくね」
「しっかり食べる気かい」

言いながらも肩を叩く手が温かくて、朝一番から涙目になった。自称鉄仮面とか調子乗った。早々と撤回しよう。だがそれは私のせいじゃない、懐に入れた相手の優しさほど胸に刺さるものはないのだ。

「…ま、何があったか知らないけど、適当にガス抜きしなよね」
「…私アンタがいないと生きていけない気がする」
「頭事故ったなら言ってね。メンヘラとは絶交する」
「なあちょっと酷くない?」

私は彼女に詳しく事情を話していなかった。話していないけれど、多分何となく事の次第を察しているのではないかと思う。割合器用で他人との間合いを取るのが上手いタイプだから、何も尋ねてこないのかもしれない。

「名前、今日練習見てく?この前のノートのお礼に帰りなんか奢ってあげる」
「…あー…いや、また今度甘えようかな。今日は帰って予習する」
「…ふーん?相変わらず努力家ね」

彼女は一瞬何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わず二つ返事で了承してくれた。

バレー部に何の関係もない私が時折練習を見学するようになったのは、去年の春、マネージャーを努めるこの友人と共にくじ引きで図書委員に選ばれたことがきっかけだ。
梟谷の図書委員は学内一面倒な委員会と言われる。週番に始まり書庫整理、特別展示、会報の掲載、新刊購入のためのアンケ実施や書類提出など、生徒の自己裁量権が広く、体育委員や文化委員と違って年中何かしら忙しいのだ。
当然それだけ色々あると週番以外に会議も開かれる。とかく他の委員会より地味なくせに活発な活動は昼休みや放課後に及んだ。

とは言え私は帰宅部で、しかも他クラスの委員は友達、先輩後輩共に気さくで良い人ばかりで、面倒ながらも委員会活動がそれほど嫌いじゃなかった。
一方マネの友人はそうはいかない。放課後はもちろん朝・昼休みも部活に追われる彼女は週番をこなすのがギリギリで、加えて月3、4回ある会議に出席するのは不可能だった。

そこで私は彼女の分も会議に出席し、会議内容のまとめと簡単な雑務を彼女に届けにゆくことを提案した。当時ほとんど顔見知り以下だった私に、彼女は戸惑い恐縮したが、なんせ私は万年帰宅部、気にしないでいいと説き伏せた。

以来一年間、私は週に一、二度、放課後会議が終わり次第、内容のまとめを手に体育館を訪れ続けた。
ある日お礼に何か奢りたいと頼まれ、一緒にコンビニに寄り道しながら帰って以来、私は彼女と、ないし他の部員さん達とも帰路を共にするようになった。
マネさんの仕事が立て込んでいる時には、ささやかながら手伝いなり使い走りなりをしたこともある。

夏を越え、日が暮れるのが早くなってきた頃には、暗くなると危ないから一緒に帰らないかと誘われ、と部活が終わるまで入り口の端で見学させてもらう日が増えた。
バレーには全く知識の無かった私だが、流石強豪、まさに青春、声を張り体を張って懸命にメニューをこなす部員さんの姿に感動し、邪魔にならないか心配しつつも伝達ついでに練習見学するのが楽しみになった。

そして四月、学年が上がって三年。私たちは通年だった図書委員から外れ、ただの同級生という枠に戻り、友達という位置に収まった。彼女との仲は良好そのものである。
だが四月半ば以来、私はバレー部にはもう二週間近く行っていなかった。
いや、元々私が顔を出していたのは委員会が理由だったし、バレー部さんにとって私など例え迷惑になってもメリットになることはない。
だからあくまで部外者の域を出ない干渉に努めていたし(滞在時間も長くて30分程度だった)、今だって事実部外者だ。

……そう考えるとますますわからない。あの短い滞在時間と部外者っぷりの何が印象に残ったんだろう。あまつさえ強い感情に繋がる理由も全くもって理解不能。あの人一体何考えてるんだ。

「おーマネじゃん!っはよー!」
「うわ、木兎。朝から五月蝿い」
「冷たっ!なんだよーお前こそ朝から冷たいな!こんくらい元気なのがいいだろ!なあ名字!?」
「はは…おはよ、木兎くん」
「おう、おはよう!」

マネに次いで元気に現れた木兎くんの、ぺかーっと光を放つような明るい笑顔に、私は力なく笑い返した。クラスを越えもはや学年の末っ子ムードメーカーである彼は、私をいち早く歓迎してくれた人でもある。
この眩しさが羨ましい。彼のこの表裏の無さはいっそ才能だと思う。斜に構えた見方とも余計な勘ぐりとも堂々巡りとも無縁の、真っ直ぐ不屈でめげない強さ。
単純だ単細胞だと部員さん達は呆れるが、私は自分と正反対の彼の気質を羨ましくも思う。

だが実のところ今はそれどころじゃない。木兎くんが現れたということは、なるべく早くここを離れる必要があるということだ。
けれど素早く靴を掃き換え、階段に向かおうとしたその矢先だった。

「木兎さん」

後ろから飛んできた落ち着いた低音に、心臓が凍りついた気がした。

140906
初HQで赤葦さん。10話程度で終わらせたいです。
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