美しい日本語
月子やなまえ、錫也に笑われないように(ああ、あと哉太とか哉太とか哉太とかにも)、日本語の勉強をすることにした。ハーフとはいえ向こうの暮らしのほうが長かったから、僕の言語能力はほぼフランスに近い。そういうわけで、ここ星月学園の図書館にやってきた。
設置されているテーブルに、適当に見繕った本とノートを置いて、椅子に腰掛ける。とりあえず、漢字を片っ端から覚えていこうと思うんだ。
シャーペンを片手に真っ白なノートを開き、『美しい日本の漢字』と表紙にでかでかと書かれた本を開く。例文には「風がそよいだ」と書いてあって、隣には正解である漢字が書かれていた。……うん、まずはこの漢字をひたすらノートに書き写そう。僕はぎゅっとシャーペンを握って、見開き1ページのまっさらなノートに漢字を埋め始めた。
北欧神話が読みたくなって図書館に来てみると、ふと知った顔が一心不乱に何か書き出していた。
「羊?何してるの?」
「えっ、あ、なまえ!!?」
私の姿を認識するや否や、ばたばたと慌てたようにノートを隠す羊。……怪しい。
「なに隠してんのよ」
「な、なにも、かっ隠してなんかない、よ!」
「………ふうん?」
「………う、」
私の探るような目にたじろぐ羊。隠してないってばぁ!と叫んだ瞬間にノートがばさり、と落ちて黒々としたページが開いた。
なにこれ、と拾いあげたノートには、羊の拙い漢字で―――、
『戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ』
びっしりと埋め尽くされていた。
「……羊、なにか悩んでるの?」
「なに?急に」
「天文科でいじめられてない?」
「ちょ、どうしたのさなまえ」
ノートを見て涙ぐみはじめた私に、おろおろとうろたえる羊。
「羊は誰と戦うつもりなの?」
「え?た、戦う?」
「だってほら、こんな憎々しげに『たたかいだ』って漢字で…」
「それ、『そよいだ』って読む…」
「………………………え?」
「………………………え?」
「………………」
「………………」
美しい日本語
(あれ、羊くんになまえちゃん、何してるの?)(ああ、月子)(月子ちゃん…日本語は、奥が深い…)(ちょ、それ僕のセリフ)
◎「風がそよいだ」の「そよいだ」は「戦いだ」と書きます。本当です
元ネタ:『ヨジゲン』2巻
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