第一章-01


 ――金属と金属がぶつかる独特の共鳴音が修練場に響く。それに混じって聞こえてくる意気込む声や呻き声、部下をに対して向けられる怒声に罵声。普段と変わらない風景を眠たげな瞳でぼんやりと見つめ少女は小さく欠伸を漏らした。 
 ……不思議な夢だ。そうアリシャールは目覚めた時いつも感じる。懐かしい母の声と共に聞こえてくる誰かの声。それはとても優しくて、何故だか不思議と満たされた気持ちになる声だ。
 普段あまり自身の感情に揺れ動かない彼女にとってそんな思いと同時に“あの声の主は誰なのだろう?”と疑問が浮かぶのは当然のことだろう。しかし生憎それを応えてくれる人物はこの国……否、この世界にはきっといないということをアリシャールは知っている。自分自身でさえよく理解していないことを知っている人間などいる訳がないからだ。ましてや夢の中の話だ、逆にいたら怖い位だと普通ならば考えるだろう。……まあ、その“声の主”に会えれば話は変わるのだが、そんな奇跡に近い出来事がある訳もないと独りごちり、彼女は二度目の欠伸を噛みしめた。
 
「そういえばアリシャール殿、先日白瑛様から征西部隊遠征への同行を望まられたそうですな」

 見通せるように一段高い位置へ置かれた監督用の椅子に腰かけ、部下たちの修練に目を光らせていた大柄な男がアリシャールへと視線を向ける。深く刻まれた皺から覗かれる鋭い眼光は彼が歴戦の勇士であることを示す何よりの証だ。大抵の人間ならば男の目に一度は畏縮し言葉を失うのだが、当の彼女はというと何事もなさそうに腕を組み物思いにふける様な様子で宙を見つめている。
 暫くして嗚呼、と漸く思い出したのか小さく呟き同意の意を込めて頷いた。その相変わらずなマイペースさに上官がいつ痺れを切らすのかと周囲にいた部下たちが肝を冷やしていたのは言うまでもないだろう。
 
「良くご存じでいらっしゃるのですね。宮中とは実に噂が広まるのが早いこと……」

 怖い怖い、と欠伸交じりに呟くアリシャールに全くその通りだと言わんばかりに男は豪快に笑い頷く。何がそんなに面白いのだろうかと胸中で思いながら不思議そうに様子を見つめる彼女へ突然誰かの悲鳴と共に槍が飛んできた。――どうやら模擬戦をしていた若者が手を滑らしてしまったらしい。勢いよく突き出した槍が本来受け止められるべき相手に避けられてしまったことで槍の軌道上にいたアリシャールへと矛先が向けられたという訳だ。
 不意打ちの出来事だ、いくらなんでも避けようがない。予想されるであろう最悪の事態に思わず目を背けた若者たちの耳に鈍い音が届く。……恐る恐る視線を戻せばそこには石柱へと深く突き刺さる槍とその僅か数センチ横に首を傾けながら彼等の上官と話す少女の姿があった。
 信じられない光景に言葉を失う二人の視線と徐に交わったアリシャールの視線。表情が窺えないせいか彼女が纏う威圧感をより重く感じ、彼らの顔から血の気が引いていくのが傍から見ていても分かった。
 ――水を打ったように静かになった修練場に場違いな笑い声と嬉しそうに手を叩く音が響く。その瞬間、修練場にいた全員が声の主へと深く頭を垂れた。

「おかえりなさいませ、黒マギ様」

 皆よりも一歩前へと出たアリシャールが主である彼――ジュダルへと歓迎の意を述べれば続く様に皆も復唱をした。その光景に満足そうに口角を上げたジュダルを見つめ彼女も立ち上がる。

「随分お早いご帰還でしたね。領主様にはお会いできたのですか?」
「それがよーソイツいねえし、変なのにダンジョン攻略されるしで散々だったから面倒臭くなって帰って来た。……つーか、それよりさあ」

 不機嫌そうに頭を掻いていたのが一転、面白がるような表情でジュダルが指を指す先には先程の若者たちの姿があった。彼の表情に喉を引き攣らせ謝罪を口にしながら床に額を擦りつけるその様子を一瞥し、アリシャールは首を傾げる。

「この者たちがどうか致しましたか?」
「どうしたもこうしたもねーだろ!コイツ等お前の事殺そうとしただーろが」
「はあ、そうなんですか……」

 いまいち理解が出来ないのだろう、まるで他人事の様に受け答えをするアリシャールの相変わらずの反応につまらなさそうに溜息を付きながらジュダルは若者たちの前にしゃがみ込み、彼らの反応を見る様に自身の杖を指で弄びながら満面の笑みを向けた。

「コイツは俺のモノなの。だからオレ以外が傷付けたりしちゃ駄目なんだよ、分かる?だからさ……お前ら死ねよ」

 ワントーン低くなった声と共に空中に現れた巨大な氷槍。若者たちを射殺さんと出現した巨大な力に慄き腰を抜かした二人の前に、驚くことに当の本人であるアリシャールがジュダルと対峙するように立ちはだった。
それが気に食わないのか途端に怪訝そうに眉を寄せ彼が口を開く。

「どけよアリシャール、オレは今コイツ等を無性に殺してやりたいんだよ」
「御命令ならばそれに従うべきなのですが、生憎私にも部下を守る義務がありまして。黒マギ様の従者でもあると同時に私は煌国の臣下でもあります。無下に兵を失えば黒マギ様も陛下から御叱りを受けてしまいますし……」
「あー分かった分かった!もう小言はウンザリだ」

 跪き胸の辺りで腕を組んだ彼女から淡々と話される言葉に興が覚めたと言わんばかりに耳をふさぎ、顔を顰める主を横目に入れながら若者二人に手を貸し立ち上がらせれば彼らの上官である男も此方へとやってくる。助かったと意図の込められた視線にアリシャールも小さく頷いた。

「……ったく、最近オレの言うこと利かなさすぎだろお前」
「申し訳ありません。ですがこれも黒マギ様からの“周りと適当に上手くやれ”という御命令に従っているだけなのですが」
「あーいえばこーいう、ああもうメンドクせえな!!」

 頭を抱え唸るジュダルにどうしたらいいのか分からずアリシャールは僅かばかりに眉を下げ、隣にいた男へと視線を向ける。男も男でこの凸凹主従に巻き込まれたくないので取り敢えず謝っておけと耳打ちし、視線を逸らした。
 
「申し訳ありません、黒マギ様」
「お前それ本当に申し訳ないと思ってるのかよ?」
「はい、それはもう」
「即答で返すな!もういい、言うこと利かないお前なんかどっか行っちまえ!」

 拗ねたようにプイッと顔を背けたジュダルに彼女の身体が小さく震える。普段見せない様子に男も流石に言い過ぎですぞ、とジュダルに嗜める為声を掛けようとした瞬間――アリシャールから驚くべき言葉が発せられた。

「……承知いたしました。では黒マギ様、これでお暇させて頂きます」

 主であった彼へと深く頭を下げたのも束の間、次の瞬間にはジュダルへ意も介さずに修練所を出て行ってしまう。彼も呆気にとられてしまったのかポカンと口を空け、彼女の肩を掴もうとしていた手が空しく宙に漂っていた。

2012/09/30 
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