イナズマ | ナノ

カトレア

111 パラノイア




『タスケテ、タスケテ……』

 そう誰かに呼ばれて目が覚めたのは、混沌と広がる光の中だった。
 訴えられる誰かの声。啜り泣く誰かの泣き声。……助けを呼ぶ誰かの声。訳が解らずにいた私が漸く“私”だと認識した時には――いつもあの娘は泣いていた。
 制御の利かない自身の力に恐れた彼女の嘆き、苦しみ。……そして最愛の人達との別れ。それは幼いあの娘には辛すぎる出来事で、泣き叫ぶあの娘の心の声を聞いた時に私は気付いたのだ。“私はこの娘を守る為だけに生まれてきた”のだと。

『タスケテタスケテ助けて、お願い、1人にしないで、寂しいよ、怖いよ……お願い離れでないで、アタシを助けて……タスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ助けてタスケテタスケテタスケテタスケテ……1人にしないで……』

 生まれた時から私の耳に囁かれ続けるあの娘の嘆き。“助けて、1人にしないで”まるで呪詛の様に繰り返される――きっと他人が聞いたら呪いの言葉にしか聞こえないこの言葉も、私には受け止める事が出来るから。……否私にしか受け止める事が出来ないから。
 ――だから私は受け止めつづける。それがあの娘を、飛鳥を守り続ける私の使命だから。


***


 しとしと、と雨が降る。カーテンの隙間から見える空は薄暗い灰色の影を広げ、冷たい雨を落としていた。その静けさと冷気に身を震わせ、飛鳥は静かに目を開き、長い間深い眠りに落ちていた様なぼんやりとした思考の中で飛鳥は辺りを見回した。
 何も無い閑散とした部屋に白いベット。何処か雷門病院を思い出すこの部屋は恐らく福岡の病院なのだろう、でもどうして自分が?そう思った時、不意に耳元が熱くなり彼女は思わず耳元に触れる。――ピアスが火傷をしてしまいそうなほど熱い。それ程熱くなったそれに触れ、目を伏せると激しい頭痛が襲って来た。
 顔を顰め蹲る飛鳥の脳裏に過った途切れ途切れの試合映像。“スピカ”として皆に牙を向いた“私”。そして……士朗の傷付いた姿と表情。信じたくないと思っても体に残る激痛が、紛れもない事実だと飛鳥を嘲笑っている様だった。

「っう……いや……っ」

 心が張り裂けそうになり飛鳥は恐怖の声を漏らす。大切な仲間を傷つけてしまった。その恐怖に涙が溢れて震える彼女はピアスから手を離し、枕元にあった自身の携帯を掴み胸元へ祈る様に押し当てた。

「しゅう……や、アタシ、もう……駄目だよ、」

 不意に出された人物の名前。久々に口にした幼馴染の名にその時の飛鳥は何故彼の名前が?などそんな疑問は一切持っていなかった。以前約束した強い繋がりを持つ彼が、今の飛鳥には必要だったのかもしれない。
 普段からメールを送っていた為、彼宛ての新規メールが開くのはとても簡単だった。只一文、“サッカーが怖い。……自分が怖い”と打って飛鳥の手は停止する。感情に任せて送信ボタンを押し、送信完了の表示が出された瞬間――漸く飛鳥は後悔の念を浮かべた。
 何をやっているんだ自分は。そんな風に自身を叱咤しても涙は止まることも無く、薄暗くどんよりと広がる病室が拍車を掛け、言い様のない恐怖と不安が彼女を襲って飛鳥は意識が遠くなりそうになる。“逃げたい、怖い、助けて”静寂の広がる病室に響く飛鳥の言葉に反応するかのように、

 ――彼女の携帯が光り、震え始めた。


2010/06/26


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