エステ | ナノ


AFTER2−1


「担当の浜崎さんインフルエンザだってよ!」

ブレイクスペースで電話をしていた滝川先輩が戻ってくるなり大ニュースを教えてくれた!
その電話は取引先の気のいいおじさんーー浜崎さんからの着信だったらしい。内容は午後診療の結果インフルエンザで、まさに1時間後に控えた打ち合わせをキャンセルさせて欲しい……だそうだ。

ということは!

「今日はもう上がりですか!」
「そうなるな!よっしゃー!!!!飲みに行ける!!!!」
「や、やったあ……!はあ……!」

スマホ片手にガッツポーズする滝川先輩、対して私はそれほど元気が出ない。
超絶繁忙期、朝から怒涛のスケジュールだった。会議会議に打ち合わせ、資料作りにまた打ち合わせ……もうヘトヘトだ!
気が抜けた私は椅子に深く深く背中を預けた。
労働で酷使した体は疲労が蓄積している。

「(ああ、エステに行きたい……!)」

筋肉が癒されたいと訴えかけている。
いや、それは言い訳で、もっと深い理由がある。
目まぐるしい仕事の合間、帰り道あるいは夜など、プライベートな時間のほとんどをこの考えが占めている。

「(柏木さんに会いたい……)」

と思ってハッとする。
危険だこの考えは!なにしろ彼ははんなりエセマッサージ師だ、それにあの雰囲気にあの性格だ。店員とお客という関係性以上に、彼個人に興味を持つのはいばらの道だ!
そんなわけで自分を牽制するものの、なかなかあのゴッドハンドの感覚は忘れられず……。

「(というか、そういえば!)」

今は18時半、柏木さんのお店に予約が入ってなかったら、エステを頼めるんじゃないか?
早速ホームページにアクセスしてみる。確か予約情報を載せていたはずだ。

「(えっと今日は第3金曜日……って、あれ!?)」

そもそも定休日とある!!!!
なんて間が悪いんだろう、期待したぶん落ち込んでしまう。
……お店がやってないとなると思い起こされるのは、用がなくても掛けていいらしい、柏木さんの携帯番号……。
一応番号が書かれた紙は手帳に挟んで持ち歩いている。しかしなんと言って電話をすればいいのか。

「(とりあえず帰り支度をしようかな……)」

コートを着て鞄に小物を詰める。ふと見たオフィスの入り口、滝川先輩が誰かと話している。その相手はうちの会社の人ではなかった。だれか外部の……やたらと柏木さんに似ている。
ついに私、幻覚を見だしたのかもしれない!自分が恐ろしい……。
その幻覚がこちらを見た!

「あ、ミドリさんおった。こんばんは〜、久しぶりやね」
「え!?」
「ふふふ、見て滝川くん、ミドリさんの顔。とんでもなくびっくりしてはるわぁ」


幻覚じゃない!?



●エステ3


「こないだ滝川くんがうちのお店に時計忘れて帰ってしもたんよ。やからそれお届けに来たってわけ。……もう忘れ物したらあかんよ?」
『俺だって忘れたくて忘れたわけじゃねえよ。しっかし無くしたと思ってたからほんと助かったぜ』

柏木さんに手招きされて、ふたりのそばに行くと、滝川先輩がこの間買ったと自慢していたーーそして即無くしたと悲しんでいた腕時計が彼の腕に戻っていた。
それよりマフラーをしてチェスターコートを着たよそ行きの柏木さんが気になって、思わずまじまじ見つめてしまう。
会えてしまった!!まさかまさかのタイミングで!

「柏木さん、時計を渡すためだけにうちの会社まで来て下さったんですか?」
「うん、滝川くんはお得意さんやもん、これくらいならサービスするわ。……まあ、実は僕の住んでるマンションここから近くて、歩いて5分くらいのところにあるしね」
「ここから5分!?」

そんな近く住んでいるなんて!?ばったり会うかもしれない距離だ!

「それで、ミドリさん今日はもう上がりなんやって?」
「あっはい!急に打ち合わせが無くなりまして」
「そうなん。せや、せっかく久々に会えたんやし、今から帰るとこなら外まで一緒に行かへん?」
「えっ!もちろん行きます!でもちょっと待ってください、まだ荷物まとめてなくて」
「ええよゆっくり用意しといで〜待っとるから」

自分のデスクに飛びもどって、慌ててポーチや携帯を鞄に入れる。
気が急いて何度も物を落としてしまう。思ってもみないところで出会えて、どうもはしゃいでいるみたいだ!

『おいおい柏木、うちの社員のナンパはやめてもらおうか!』
「ええ?あかんの?えらい厳しい先輩やね〜。でも今日は見逃して。時計持ってきたったやん」
『しゃあねえな見逃すわ!でも泊まりは許さねえ!』
「わかったわかった、"できたら"そうするわ〜」
『あのなあ……お前が言うと冗談に聞こえないから困るぜ』

とかなんとか話す二人だ、ようやく用意ができて合流する。

「柏木さん、もう出られます」
「そう?じゃあ行こ。あ……せや。もしこれから僕とどっかしらんお泊りしたとしても滝川くんに言ったらあかんよ?内緒にしとこ」
「え!?」

肩を抱かれて耳元でひそひそ声が囁くーーでも滝川先輩にしっかり聞こえる声の大きさだ。驚いて顔を見ると、そうしよって同意を求められる。

『ふざけんな!ミドリ気をつけろよ!』
「なんや冗談やのに。そんな怖い顔せんかってええやんねえ」
「は、はあ……!」

柏木さんは相変わらずだ!





エレベーターの扉が閉まり、鈍い振動とともに下の階へ動き出す。会社に柏木さんが居るなんて、やはりおかしな気分だ。

「この間ぶりやね。元気しとった?……って、ああ、あんまり元気やないみたいやね。忙しかったんや」
「はい……ここ一ヶ月さらなる繁忙期でいつも以上にヘトヘトです。この時間に帰れるのもすごく久しぶりで」
「そうなん。えらい子やわ〜、お仕事頑張っとるんやね。滝川くんも今月はそんなに来やんから、君ん会社よっぽど忙しいんやろなって……気になっとったんよ。今日ミドリさんの顔見れて良かったわあ」

私も柏木さんの顔を見れて良かった!と喉まで出たが口をつぐんだ。

「急に時間ができたので柏木さんのお店に行けたらなと思ったんですけど、今日は定休日なんですね。はあ……すごく残念です」
「え、なんやの、うち来てくれよう思ってたなんてめっちゃ嬉しいわ〜。がっかりさせてしもたならごめん……けどミドリさん、そういうお困りの時どうしたらええか、一個ええ方法あるって忘れてない?」
「……?何でしょう……」
「僕に電話すれば解決」
「え!」

と柏木さん言うが、定休日でもかけていいものなのかな?
疑問に疑問が重なる私をよそに、柏木さんは視線を伏せて、ふうとため息をついた。その表情はせつなげだ。

「だって、会いたなったら電話して言うたのに全然連絡こおへんから……僕ほんまに寂しかってんよ?」
「で……電話、本当にして良いんですか?定休日でも?」
「もちろん。そのために教えたんやから。ミドリさん忙しいからエステに来れるタイミングなかなか取れへんやろ。けど……たまのエステの時間だけじゃ足らんくない?」
「足らんくないってのは……えっと……」
「そら、僕らふたりの時間に決まっとるやん」
「(なんと……!?)」

あっけらかんと述べながら、にこりと笑った柏木さんが同意を求めて首をかしげる。
なんて返せばいいんだろう!硬直する私の体が、エレベーターが一階に着いてガタンと揺れて、曖昧にバランスを崩す。

「じゃあ今頼んだら……お店を開けてくれるんですか?柏木さんおやすみの日なのに」
「ええよ、ミドリさんの頼みやったら休みの日なんて関係ないわ〜。流石に用事ある時は開けられんけど、今日はこれから予定ないしね」
「ま……マジでですか……!!」

こんなことってあっていいのか!?
今からエステに行けちゃうなんて!
喜び隠しきれない私の笑顔につられてか、柏木さんもよりにっこりしてくれる。

「ふふふ、マジやよ〜。そない喜んでくれると僕もええ事してる気分なるわあ。……けどここからお店まで行くのちょっと遠いやろ。ミドリさんお疲れやから、遠出もあれやし。……そこで僕から提案があるんやけど」
「提案?」

エントランスを出ると冷えた冬の風が吹きさらした。ふたりして髪がばさりとなびく。凍えて目を瞑った私が、ぱちりと開けると、柏木さんが駅と反対方向を指差したところだった。

「あのマンション僕ん家なんよ」
「え!?あのタワマンが!?すごいですね」
「すごないよ〜。それより本題なんやけど。……ミドリさんさえ良かったら、今から僕の家こおへん?」
「へ!?」

びっくりして大きな声が出た!
相変わらず笑みをたたえているものの、ちょっと不安げな顔であかん?と続けられて、いろんな感情が胸の中を駆け巡った!
整理のつかない気持ちはたくさん、でも彼への答えはひとつしかなかった。





そびえ立つタワーマンションの下、無理に見上げたせいで首が痛くなる。
柏木さんは慣れた手つきで玄関にカードキーを照らした。タワマンなんて入るのは初めてだ、私はきょろきょろ辺りを見渡した。
これが柏木さんの家だと言う……、私の想像以上に計り知れない人らしい。

「柏木さんってすごく、その、……お金持ちなんですね?」
「ああそれは違うんよ、誤解やわ〜。僕は全然お金持ちやないよ。ただの若手エステシャンやもん。こんなすごいところの家賃払うのなんて無理や」
「じゃあどうして」
「ここはね、僕の手のパトロンさんが買ってくれたんよ。」
「買って!?」

貸してですらなく!?
そっちの方がびっくりだ!
驚く私に柏木さんはしみじみと自分の手を見る。私たちはエレベーターに乗って、彼の手は最上階付近のボタンを押した。

「びっくりやんねえ。世の中にはえらいお金持ちの人がおるもんなんやね。そんな人が僕の手を気に入ってくれて、独立の資金もそうやし、果てはマンションまでプレゼントしてくれるんやから本当ありがたいわあ。僕ももっと上手なマッサージ師になって、仕事でお返しせんとって気合い入るんよ〜」
「(な、なんだか柏木さんって私の想像よりずっとすごい人なのかな?それに……)」

そのお金持ちの人っていうのはどんな人だろう。
女性だったりするのかな?
そうだとしたら私なんてとても……、とても印象に残らない小さな小さなお客かも……。

「あ。ミドリさん、心配せんでもパトロンさんは男の人やよ?」
「え!いや!その……そうですか!」
「ふふっ、あははっ、あーあかん、わろてまう。本当に性別気にしてたん?ミドリさん相変わらずおもろいわ〜」
「(面白がられてしまった……)」

あからさまに安心したのが顔に出たかもしれない。なぜだか上機嫌な柏木さんは、ちょうどドアが開いたのでエレベーターを降りる……。
フロアぶち抜きで彼の家ということらしい、即玄関だった。促されるままブーツを脱ぎ、一歩廊下に足を踏み出せば床まで暖かい。これは床暖房だ!

「柏木さん、すごいですね床まで!」
「わかるわ、これめっちゃええよね」

もう片方のブーツを脱ぐ、柏木さんも革靴を脱ぎ終えて私の後ろに立った。
ぐるりと廊下を見渡す……まさか家に来られるなんて。付き合ってもない、友達とも言えない男の人の家に来る機会はそうそうない。しかも柏木さんの家ときた……さすがに緊張してきた。
そんなこんな考えていたところ、後ろからすぽっと抱き寄せられた!

「わ!?な、なんですか!?」
「ふふっ、ミドリさん、あかんよ?簡単に男の家に上がったら」
「え……っ」

緊張で体が固まる!
首に回された柏木さんの腕は想像よりたくましく、マッサージ師らしさが伺えた。
コート越しとはいえ密着する背中、暖房とこの状況が私の体温を上げる。鼓動も速くなる……、思わず彼の腕に手をやった。

「あ、あの柏木さん……?」
「よお考えて?僕ら出会って3回目やん。君僕のことなんも知らんやろ。それやのに僕が行こか言うたら部屋まで付いて来てしまうんはちょっと危ないんちゃうかな〜。……現に僕、今めっちゃ期待しとるよ」
「へっ!?いや、だって……!?」
「だってもなにもあらへんよ?僕のこと妙に信頼してくれとるみたいやけど、仕事中ならまだしも、今勤務時間外やもん、お仕事モードやないんよね。こんなうかつに女の子が男の部屋に上がったらそこで何されたって文句言えんのちゃう?それとも」

柏木さんは少し間を置く。緊張する私をさらに追い詰めるみたいに、印象深く囁いた。

「そういうつもりで来たってことでええん……?」
「……!……ひゃ……」
「僕結構その気なんやけど。うちまで来たってことはええってことやんね?」
「え、ええっ、ちょ!?」

さすがに驚いて後ろの柏木さんの顔を見た!
すると思っていたよりずっと近く目が合う。おっとり微笑んでいるが、こちらを値踏みするような視線だ。
そのままキスする距離まで迫られてしまった!
正直その気はある!あるに決まってる!けれど、素直に気持ちを出すのはどうしてもはばかられた。彼の言う通り私たちは出会って3回目なのだ。
と、ここでピタリと接近がやんだ。

「なんてもちろん、冗談やよ?やけどミドリさんめっちゃ大人しいんやもん……僕うっかりこのまま悪い男になりそうやったわあ。」
「あ、ああ!冗談でしたか!?(びっくりした!)」
「うん、でもまあ、全部が全部冗談やないけどね」
「!?」
「ふふ。実際ほんま、気いつけやなあかんよ?世の中危ないのにミドリさんめっちゃ普通にうちくるから心配なるわ。僕かて別にそんなに安全やないよ」
「あ、安全じゃないんですか?」
「そらそうや〜、男やもん。それにね……」

ようやく抱きしめから解放されて落ち着こうと努力する私を、柏木さんはまっすぐ見据えている。

「僕、一回したら相手のこと好きになるタイプなんよね」
「……え!?」

やたらにこっとしている柏木さんだ!その笑顔の中にいたずらっぽい気配が見え隠れする。けれど突き刺すように見つめられて、本当のような気もした。

「("したら"とは!?つまり、いや、え!?好きって、まさか!?)」
「さあて。流石に玄関では寒なってきたねえ、早よ中入ろか」

と歌うように言って柏木さんの手が腰を抱く。リビングに案内されると、そこは大きな窓が印象的な開放的な空間だった。
先程の出来事ですっかり動揺した私は、気を落ち着けるのに必死であまり内容が頭に入ってこなかった。


[ 7/10 ]



しおりを挟む しおり一覧
back

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -