Solitudes. | ナノ


▼ 秋と鬼

★この作品は以下の創作者さま・お子さまの協力の下、書かれています。
青田田楽(アマリ)
Kiyu(スモーキークォーツ)



夜をつんざくように響いた、動物たちの悲鳴。
紅葉のベッドでうつらうつらと眠っていた秋の目を覚ますのには十分だった。スカートの裾をふわりと翻し、木の上から飛び降りた秋を受け止めたのは、勇敢な牡鹿。

「今すぐ彼らのところへ連れて行って」
「…」

銀色にきらめく角の先が示した森の外に、不穏な気配が満ちていた。
―いつだったか、突然に生まれてきた、人間という命。その中に少数含まれていた鬼を、彼らは吸血鬼、と呼んだ。文字通り、生き血を主食とする者たちだ。季節を統べる者が、弱肉強食を否定することはない。生まれ、還り、輪廻するのは自然の在り方に矛盾しない。然し、鬼に関しては別だった。一部の鬼が、愉悦に任せて殺戮を繰り返すのは看過できない。不要に命を奪う行為は、明らかな違和感をもって、秋を惑わせた。

狂い咲いた吸血鬼が、すぐそこまで来ている。秋の愛する命を殺して回っている。
皇女は思う。王たるべきか、と自身に問う。守るための力を、宿すべきか否か。牡鹿の角を、持つべきか。鹿の背に掴まって、考える。ある生物の味方として、力を振るうことは、季節として正しいのかどうか。答えは出ない。
守るべきもののために戦う強さは、されど使い方を違えれば愚劣な刃に過ぎない。秋には、王となった自分の剣がどちらになるのか、まるでわからなかった。

―森羅万象を、守らなければならない。
―天災を振りかざすことしかできない自分が、一体何を護れるか。

ぎり、と唇を噛み締めた瞬間、星のひかりが降り注いだ。森の出口についたのだ。顔を上げた秋の眼前に、二人の人間の姿があった。
ひとりは、コートをまとった銀色の男性。
もうひとりは、"神"に仕える女性。金色の瞳がゆらりとたゆたう。

「お前が彼らに害なすとあれば、仕方のない」

タバコ、とよばれる草を口元から引き抜き、手のひらで握り締めた男性の皮膚が、ちりちりと灼ける匂いがした。額に刻まれた十字が、月明かりの下、露わになる。

「一般人は離れなさい。あの吸血鬼の討伐は私に科された義務よ」

眉をしかめた聖女が、隣で大地を踏みしめた男性に凛と漲る声を届ける。男性は動じない。秋の目に映ったのは、彼女の中に内包された二律背反と、男性の中に燃える、青と赤、そして緑の思い。
大嫌いでいたかった恋人を無意識に守ろうとする彼女と、大切な仲間たちには指一本触れさせまいとする彼を交互に見つめ、それから近づいた。

「近づくな、精霊」
「ここは危ないぞ、神様」
「えっなんで気付いたの」

吸血鬼を前に、張り詰めていた空気が一瞬解ける。

「いいから、離れなさい!」
「俺たちの問題だ、俺たちが片付ける」
「あなたの問題でもないでしょう!」
「いいや、」

彼奴はパールに手を出そうとしていた、だから、許さない。
煌々と輝く両の目は、彼女と同じ、頭を垂れた稲穂色。

彼らの前に割拠する吸血鬼らは、くちぐちに吠える。秋にもわからない、野性的な雄叫びだった。彼らは、殺すことしか考えていない。秋に見えたのは、炎よりも赤く、煤よりも昏い、彼らの奥底に眠る殺戮願望ただひとつ。

目にも止まらぬ早さで地を蹴った聖女が、一足先に吸血鬼の群れへと飛び込んだ。武器も持たない男性が、続いて跳んだ。多勢に無勢、明らかに彼らは不利だった。

―鹿の王、どうしよう。
取り残された秋の耳に、王の声が谺する。

(戦う必要はないだろう?)

ふ、と晴れた霧の先。
秋は吠えた。
戦うためでなく、正真正銘、守るために。

「疾風を此処に!秋の名をもって祈ります、森よ、その手を此方に!」

聖女に伸びた手を打ち払ったのは、どこからか伸びてきた蔦だった。器用に蔦の上を駆けながら、聖女は獣と化した鬼を還してゆく。その手つきにはなんの迷いもない。風に乗って縦横無尽に跳ね回る男性のコートが、鬼に裂かれて地に落ちた。黒衣の裾がふくらむのと、彼が鬼の頭上に影を齎すのとはほぼ同時。

「コードxxx、消滅。コードxxxx、消滅」
「神様、上だ!」

呼び声に答えた自然に逐一指示をだしていた秋は、男性の声で漸く、背後に鬼が迫っていたことに気づく。風や蔦が凄まじい早さで秋のもとに戻ってくるものの、間に合わない。瞬時に生じた怯えを、金庫の中に放り込んで鍵をかけた。いけない、絶対に怯えてはいけない。私が背を向けたら誰が季節を守るというの。
人間の体とは違うから、何があっても大丈夫、と、立ち尽くしたまま攻撃を待つ秋の背に、凶爪が振り下ろされることは、しかしなかった。

「だから離れていなさいと言ったでしょう、精霊」
「神様とはいえ、傷ついていいものではないだろう」

振り向けば、背中合わせに立つ二人。どさり、と音がして、鬼の姿が消えてゆく。
二人とも、苦しそうに、息をしていた。
人間には、疲労という概念がある。秋とは違って、死がより身近な場所にある。秋は死ななくても、人間はあっけなく死ぬ。死んでしまうのだ。それなのに、肺腑を痛めて秋のことすら守ってみせた、彼らときたら!

「…終わりね」
「…終いだ」
「…待って、愛しい子!」

無言で帰路へとつこうとする二人を、呼び止めた。
怪訝な顔をする二人の手を、一生懸命に握り締めた。春ほどの力はないけれど、秋にも再生を促す力がある。
彼の手のひらについた火傷、彼女の体についた傷。

「ほんの少しだけれど。命を守ってくれたあなたに、感謝を込めて」
「感謝なんてされるいわれはないのに」
「同感だ、俺はただ…自分のために、此処に来ただけなんだから」

苦しそうにつぶやいた彼女の心が軋む音、は、錆びついた南京錠に合わない鍵を差し込みねじったときの金属音に、よく似ていた。それを心配そうに見つめた男性は、秋が見ていることに気づくと、さりげなく目を逸らした。彼にも音が聞こえたのだろうか。

吸血鬼の去ったこの場所に、静寂が訪れる。
動物たちの悲鳴も今はない。
秋を導いた牡鹿が、仲間を引き連れて現れた。
彼女も彼も望んではいなかったろうが、彼らが救われたのも、また事実だ。
秋が何かを言う前に、彼女はふ、っと微笑んだ。その身体に鼻を擦り付けた若い鹿が求めるままに、その背に座ってみせた。

「わかった。でも、町の入口までにして。…じゃないと、また危ない目に遭うかもしれない、君が」
「…物好きな鹿だな、……ああ、でも、パールは喜ぶかもしれない…」
「彼らの想いを汲んでくれて、ありがとう」

鹿たちが、彼らをのせてそれぞれの場所に向かってゆくのを見送りながら、秋はそっと手を開いた。
牡鹿がその手に頬を寄せた。

「人間って、不思議。どうして、死なない私を、守ってくれたのかしら」
「…」

牡鹿は黙ったままだった。見上げた空の端が、微かに白い。
夜明けが近づいていた。
太陽が昇り、牡鹿が秋を森に連れて帰るまでの道中で、秋はずっと考え続けていた。

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