自覚


「顔を上げてくれないか?」


そう言って微笑む男につられ、女も微笑み返して見つめ合う・・・

ちひろの頬に触れる手が、ポンッと頭を優しく撫でたかと思えば、
別の手がそっと腕を引き寄せる。

前身を乗り出して倒れそうになったちひろは、腕を着けられず、
立て膝で歩み寄り平衡を取り戻そうとするが、
更に背中を引き寄せられて、軽く倒れ込むように寄り添い合う形となる。



自然と二人は手を取り合って寄り添い、ちひろの身体は小五郎の腕に包まれた。

触れ合う温もりに互いの鼓動が重なって、息づかいすらも響く距離・・・


ちひろは目を閉じて彼を想う。
―――このまま、ずっと、こうしていられたらいいのに…―――

彼も想う、細い身体を抱きしめながら。
―――温かい・・・このまま、ずっと、こうしていたい…―――



小五郎の腕に更に力が込められて、麻琴の手から持っていた半紙がすり抜ける。
彼の背中に手を添えて、ちひろの腕にも次第に力が込められていく。


「ちひろ、君が一体どんな理由で自信を持てずにいたのか…よければ聞かせてくれないかい?」

小五郎は暫し気になっていたことを、彼女の耳元に小さく問いかけた。

腕の中でちひろがポツリぽつりと呟き始める。

『私、小五郎さんに比べたら、話し方とか…身の振り方とか…すごく子供っぽくて・・・すぐ直感に頼って対処しちゃうし、間の抜けた所もあって』

『それに、女物の着付けだって小五郎さんの方がずっと上手だし……女性らしい品位の欠片もなくて、読み書きも出来ないんじゃあ、小五郎さんに不釣り合いかなって思って・・それで・・・』

「まさかそれで、書き物をしていたのかい?」

『うぅ…そうです。少しでも小五郎さんに釣り合うようになりたくて、ちょっと練習してました』

「そうか…それは、光栄だな。私のためにとしてくれたのがとても嬉しい……でも、私はちっともちひろが子供じみているとは思わないけれどね?」

『そう・・・でしょうか。』

「ああ。私はちひろの予想外な行動力には出会った時から驚かされてばかりだった。それに先程のように、文の意図にも私の心理にも、すぐに気が付いてくれて、いつも見守られているようで…君の存在がどれほど私の支えになっていることか。」

「優しくて、思いやりに溢れていて、着飾らずとも女性らしさが滲み出ているよ?それに…当前のように読み書きが出来る女子は、未来と違いこの時代では珍しい」

もちろん、ちひろの着ていた洋装ほどでは無いけれどね…
そう言って目を細め、優しく微笑む。

そんな小五郎の笑顔にちひろは心底安堵して、言いようのない幸福感に満たされていた。




いつの間にか腕を解き、至近距離に顔を寄せて話していた二人だったが、
熱い眼差しで見つめ合い、ゆっくりと、更にその顔を近づけてゆく・・・。

ちひろが目を閉じると、彼女の頬に小五郎の唇が音も無く触れた。
火照った頬に冷たい感触を覚えると、ちひろは目を開けてふわりと優しく微笑んだ。
離れようとする彼を追うようにして膝を立て、身を乗り出して肩に手を添えると、
今度はちひろが小五郎の頬に口付けをした。

チュッっと小さく音が立ち、現実味が増したちひろの行いに、驚きを隠せない小五郎。
ちひろはと言えば、照れてはいるものの恥じ入ることなく彼に目を向け微笑んでいた。

彼にとっては大胆な行為だが、
平成育ちの彼女には、恋仲ならば至極当然の行為であった。











『小五郎さん?…どうかしましたか?』

さっきまでの雰囲気はどこへやら・・・ジッと考え込むようにして固まってしまった彼を心配そうに覗き込んだちひろ。

「……………」

しばしの沈黙のあと、小五郎が口を開いた。

「ちひろ…教えて欲しい。ちひろのいた時代では、気軽にこういったことをするのだろうか……異国の者がするように、誰にでも…?」

―――え?こういったコトって…ほっぺにキスしたこと…だよね?―――

『えっと…はい。誰にでもする人は少ないですけど、親しい間柄なら…割と当たり前に……』

―――自分の子供とか、恋人だったら普通にしてるよね?―――

「そうか…やはり、そうなのか……」


小五郎は、先程のちひろの行為が特別な意味を持たないことに落胆の念を隠せない。
ましてや自分がちひろにされたのと同等なことを、親しき仲間の何人かは既に経験しているかもしれないのだ。
その、誰とも知れない他の男が憤(いきどお)ろしい。

生まれ育った時代が違うのだから理念や思想に大なり小なりの差があるのは致し方ないこと……そもそも大差を目の当たりにしても懸命に生き凌ぐちひろに自分は惚れたのではないか……

そう、頭では解っていても心が受け入れられずに動揺し、胸が締め付けられる。

ちひろの事となると、"諦める"ことも"耐える"ことも、普段なら容易く成し得る"隠す"ことですら…
今の小五郎には困難で、その事実が耐え難く……どうにか回避する手立てはないかと必死に思案していた。


そんな小五郎の考えなど知らぬちひろは、眉間に皺を寄せて考え込み、
怒っているようにも苦しんでいるようにも見える表情に、疑念と不安を抱いていた。

『小五郎…さん?…本当に、どうしたんですか?……大丈夫ですか??』

とても心配そうに、それでいて辛そうな淋しそうな表情で問いかけられて、
小五郎は自分が冒した間違いに気付く。


―――なんということだ、私はまた逃げようともがいてちひろを不安にさせてしまった……
この気持ちからはもう逃げないと、固く誓ったはずじゃないか―――

――逃げるな!向き合え……―――


「ありがとう…大丈夫だ、心配いらないよ。少し、考え過ぎた…答えは簡単なことだったね」

『……?』

「ちひろ……実は私はね、こう見えて嫉妬深い性格でね?」

「ちひろが他の者と二人きりで話しをしたり笑顔を向けているだけで、妬いてしまう程でね……ましてやちひろが私以外の男に触れる姿など、特別な意味は無いと解っていても見たくない…!
想像するだけで憤るというのに、もしも実際に見かけてしまったならば、私は…狂おしさの余りにその者を斬るか呪うかしてしまうかもしれない」

苦笑しながら小五郎は続ける。

「そんな私を、ちひろは軽蔑するだろうか……愚かしいと思うかい?」

「……欲深な私は、ちひろの全てを独り占めしてしまいたい……共に過ごす時間も、その手や唇が触れる権利も、誰にも譲りたくない……できる事なら私だけを見ていて欲しい。……本当に、身勝手ですまない…」

そう一息に吐き出すと、もの憂げな表情で想い人を見つめた。


――そう、私は…ちひろと恋仲になっても尚、嫌われることを恐れている。
傷付くことを恐れて、邪な感情を取り繕うことばかり考えていた……だが、これが私だ。

恋は綺麗事ばかりではない、醜い面を合わせ持つものなのだと身を以て理解した……
そして、ちひろには、有りのままの私を受入れてもらいたい。

この気持ちに嘘はつきたくない…――











ちひろは様々な感情を胸に宿しつつも、何も口を挟めず……最後まで小五郎の言葉を聞いた。

驚きと、喜びと、安堵と…
感心と、共感と、感謝と…
もどかしさと、切なさと…

こんなにも想われているのが嬉しくて、幸せで、恥ずかしくて、
早く誤解を解きたくて、焦って、不安で、たじろいだ。

―――何から言えば良いのだろうか。うまく言葉が見つからない。
この気持ちの名前はなんだろうか……
小五郎さんのことが愛しくて、大切で、安心させてあげたい。―――


なのに頭と心は空回りし、混乱から機能を果たさない口がもどかしくて、
そんな自分が情けなくて、悔しさと大き過ぎる喜びから涙が溢れてしまう……

驚き、焦りを見せる小五郎に、

ちひろは言葉にならない想いを伝えるために、彼の胸に飛び込んだ……!


「ありがとう…ございますっ…」

なんとか絞り出したのはたったの一言。
今にも嗚咽が飛び出そうで苦しくて、涙が止まらないちひろにはその一言が精いっぱいだった。

しかし小五郎にはその一言で十分で、受け入れられた悦びと安堵が、
波のように打ち寄せて、心と身体に染み渡っていった。











「そろそろ落ち着いたかな?」

『はい。すいません…みっともない所をお見せして……』

「いやいや、こんなに長くちひろを抱き締めることができて…私は幸せでしたよ?」

『そんな……私の方こそ、小五郎さんに、本当に沢山の嬉しい言葉を頂いて……果報者です。それに、あの…私には小五郎さんしか見えてませんから……こうやって独占している今、も……もの凄く幸せです。
…あと……嫉妬も、嬉しかった……こんな私を必要としてくれて、本当に…ありがとうございます。……私も、実は…時々、嫉妬…してしまいます。だから、そんな時は、こうやって、お話…したり、少し…触れ合うような…時間、作って貰えますか?』

「それは…もちろんだよ。………私達は、本当に…相思相愛のようだね」

そう言って嬉しそうに、無邪気に笑う小五郎が、ちひろは可愛い…と感じてしまう。


――でも年上の、しかも男性に「可愛い」は失礼かな?――


『あ……そういえば、小五郎さんって、今いくつなんですか?』

「ん?どうしたんだい突然……数えで三十四になるが、言ってなかったかな? ちなみに晋作は二十九だよ」

『さんじゅう…って、え、ええっ!?』


――そっそんなに年上だったの!?なんかショック…というか、30代に見えない……数えということは、満年齢で32か33歳?だよね……少なく見積もっても、16歳差…衝撃的だわ――


「そんなに驚くことかい?…しかし、言われてみれば私も、ちひろの年も聞くのを失念していたよ…いくつなんだい?」

――えーと、私はまだ16だけど、今年で17だから……数えだと18?――

『じゅ、十八です……』

「そうか…。なんだ、年齢からいっても十分に大人なのだね……安心したよ」

『?』

16の歳の差に全く動じることなく、
ニコリと笑う小五郎を、ちひろは不思議な気持ちで眺めていた。




2010/11/14
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