(佐倉視点)
「私は化学の実験を担当している加賀です。あなたには主に私の助手をしてもらいます。よろしく、佐倉先生」 「よ、よろしくお願いします、加賀先生」
先生、という響きがなんだかこそばゆい。自然と背筋が伸びる。
握手を交わした加賀氏の手は、当たり前だが私の手よりも大きく、しわがれている。老成した深みのある優しい声と相まって、幾らか緊張がほぐれた。
長老とか呼ばれてそうだなあ、と、ぼーっと考えていると、案の定あだ名の話になった。やっぱり長老と呼ばれているらしい。
その流れで、なぜか私はファーストネームで呼ばれることになったのだけれど、それはまあ良いとして、その時話に上がった、この高校に代々伝わる薬品室の噂話が気になった。
建て替え工事の恩恵で現在の校舎は新築同様だが、薬品室は結局工事の手は入っていない。つまりドアを除いて、部屋の中は古いまま。 その点については、先程部屋を物色していた時に気が付いた。年期の入った棚は、うっかり逆撫でしようものなら、容赦なく串刺さしてくる程にささくれ立った箇所がいくつも視認できた。 でも問題はそこから。 なんでも、時折、誰もいない筈の薬品室から声が聞こえるのだそうだ。
「声?」 「そう、その声を聞いたと言っていた管理士さんは、半年経たずに辞職しちゃったんですよね」
それも何人も!と、理科の教員の中で一番若い、おそらく私よりは少し年上の男性教諭が話してくれた。
「…あれ?もしかして、海先生、声聞いたとか?」
ぎくり。 さっき聞いた声を思い出して思わず眉間にシワを寄せた私の表情を、彼は見逃さなかった。
「ち、違います、そういえば聞いたかも知れないなぁなんて思ってないです!気のせいです!」 やっと先生になれたのに、声を聞いただけで辞職フラグなんて!
…私としては、頑張って反論したつもり、だったのだけれど。 何がおかしかったのか、その場にいた先生方皆に笑われてしまった。
「海先生って馬鹿正直なんですね」 「馬鹿って!」 「いえ、誉めてますって」
なおも笑う先生方。 けど、馬鹿にしているわけではなさそうだから、別段怒りは湧いてこない。
この人達とならうまくやっていけそうだ。やっていきたい。 そう、思った。
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