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「う゛ー……」
 少年は唸っていた。草むらの中に這いつくばり、遠くに聞こえる街の喧噪に大きな耳を傾ける。
 彼がいるのは街の外れの黒い森の中。街の住人たちは人食い狼が出ると言って容易に近付かないその場所が、彼の住み処だった。
 見た目は十四、五歳ほどのその少年がなぜそんな危険な所に一人で転がっているかというと、
「う゛う゛っ。おなか、へったなあ……」
 ぐぎゅうと鳴った腹の虫の音が説明してくれた通りだ。

 少年に名前はない。彼にあるのは、その特異な体にくっついている、ヒトには存在しないパーツだけだ。
 まず、彼の体は焦茶色のもふもふとした毛に覆われており、手足は並みの人間よりもがっしりとして大きく、その造りはヒトのものというより獣のものに近かった。そしてまるでその後押しをするかのように生えた三角耳ももふもふと大きく、その位置も頭の上のほうにあるということで、獣さながら。当然のように尻尾も生えていて、鼻の形もどちらかというと獣寄りなのだ。
 シャツにベスト、ズボンを身に付けていなければ狼と間違われても仕方がないようなその容姿は、絵に描いたような「狼人間」の特徴を見事に捉えている。だらんと開いた口から覗く歯も鋭く、顔付きにはまだヒトらしさが残っているものの、この姿で人里に食料を求めに行くのは厳しそうだ。
 極め付けは普通の人間の耳が生えているはずの場所に刺さった巨大なネジだ。双方にそれぞれ一本ずつ、頭にしっかりずぶりとめり込んでいるそれは、不気味以外の何物でもない。痛がっている様子はないけれど、恐らく邪魔だろう。

「ネズミの一匹でも通ってくれればなあ……」
 ぐったりとした少年が力無くつぶやいたそのとき。

 ざくざくと、地面を踏みしめこちらにやってくる、誰かの足音が聞こえてきた。
 息を潜める少年。耳と鼻で相手の位置を特定したところで、違和感に気が付いた。

(歩き方は人間みたいだけど……なんだろう、このニオイ。なんか、変だな)
 やってくるものが人間だとわかった時点で少年の食指は止まっていたので、緊張感が欠けたのかもしれない。おかしな気配の何かが少年の潜む草むらを通り掛かったその瞬間に、ぐきゅるるるるるっと、盛大な音が鳴ってしまったのだ。
(あちゃあ)
 己の失敗にがっくりしてしまう少年。足音はざざっと飛び退くように離れた。
 できればこのまま無視してもらいたいと思ったのも束の間、思いも寄らなかったことが起きた。

「なにか……いるの?」

 なんと勇敢な人間だろうか、不審な音に向かって声を掛けてきたのである。
 少年が這いつくばったままぽかんとしていると、ざくざくざくざく、逆に近寄ってくるものだから、びっくりしてしまった。その上、高い草をざらざらと掻き分けて、少年の転がった場所までやってこようとしている。急いで首をもたげると、夕闇の中、三角にとんがったシルエットが見えた。
 先ほど掛けられた声は明らかに女のものだった。とすれば……少年の薄い記憶の中で合致するものの姿が浮かんだ。
(魔女!?)
 大慌てで逃げ出す算段をつける。めずらしいもの好きの恐ろしい魔女に見つかればどうなるか、わかったものではない!

 しかし、伏せていたのを一気に立て直した体勢に、空腹は耐えられなかった。
 手足からへにゃへにゃと力が抜けてしまって、動けない。
(どうしよう!)
 少年は狼人間のような姿をして、ネズミを捕まえて食べようなどという考えを持ってはいるけれど、ヒトを襲うことはできないようになっている。それは人の形をしている魔女が相手でも変わらないことなので、まったくもって手詰まりになってしまった。
(う゛う゛っ、もうダメだ。変な薬の材料にされちゃう)

「あなた……泣いているの?」

 しかし。
 絶望的な未来に震え上がりながら向けていた視線の先、ひょっこりと顔を出したのは、思っていたよりも幼い顔付きをした少女だった。

 しわくちゃ顔のおぞましい魔女の姿を想像していた少年は、むしろ可憐とも呼べそうなその見た目に拍子抜けしてしまう。
(これが、魔女?)
 思わずぐぎゅるう、と腹が鳴った。

 少年の中での魔女のイメージといえば、先のとんがった三角の帽子をかぶり、長いローブを引きずって、その手にはくねくねとした木でできた杖を握っているというものだ。しわだらけの顔、いぼのついた鉤鼻、欠けた歯の覗く口。それらも合わさって、かなり不気味なものを想像していたのだけれども。
 目の前の少女は、顔の左半分に包帯を巻いているということ以外、特に変わったところはないように見える。

 浅めにかぶった深紫色のとんがり帽と羽織っただけのようなケープは内側だけが夕日の色をしていて、恐ろしい感じはしない。白いブラウスにこれまた深紫色の短いスカートをはき、ボーダー柄のサイハイソックス、ブーツを合わせた姿は俗にいう「魔女っ子」のイメージに近かった。飴色の髪の毛が歩くたびにふわふわと揺れて、なんだか甘いにおいもする。目付きは悪いけれどぱっちりとしたその瞳の色が少年のものと同じ金色だったので、すぐに親近感を覚えた。少年はこれまで自分と同じ瞳の色を持ったものに会ったことがなかったのだ。
 狼のような少年がそんなふうにして現れた魔女っ子のような少女を観察していると、彼女は急に膝を折り、しゃがんだまま動けなかった少年と目を合わせてきた。
「トリック・オア・トリートって、言ってみなさい」
「えっ」
 この姿に臆さなかっただけでも驚きだというのに、少女は聞いたこともないような言葉を口にして、じっと少年の瞳を覗き込んできた。生きることにも随分慣れたと思ったけれど、今日ほど何度もびっくりすることはなかった。
 こうして誰かと話をするのも久しぶり、というか初めてのような気がする。少年の話し相手はいつでも自分一人きりだったから。どう答えればいいのかわからずに目を白黒させる。
「えっと、なんで?」
「いいから」
 やっと出てきた疑問符だというのにすげなく払いのけられて、その金色の瞳に押し切られるように、少年はしどろもどろに少女の言葉を繰り返す。
「とりっく、おあ……とりーと?」

 うっすら微笑んだ少女が少年から離れていく。その最中にぽとりと落とされたのは、透明の袋に包まれたロリポップ。

「あげるわ」
 端的なその言葉に少年が顔を上げると、少女は星月夜を背負って長い髪の毛をかき上げているところだった。投げられたものが食べ物であることを察知した少年は、毛むくじゃらの手を使って乱雑にその袋を破り、「いただきます」を言い終わらないうちにそれにかぶりついた。
 本当は肉か電気のほうが体に入れやすいものではあるけれど、ヒトでもある彼はロリポップもおいしく食べられるたちだった。普段の食事ではなかなか摂れない糖分が舌の上からじんわりと広がって、なかば噛むようにばりばりと食べていく。
 それを静かに見守っていた少女を上目遣いに見上げつつ、首をかしげた。
「でも、なんで?」
 食べ物が振ってくるなんて日常的にありえない少年にとって、少女の行動は不可解そのものだったのだ。しかし、それを聞いた少女に目を丸くされてしまったので、少年は重ねて首をかしげることになる。
「あんた、ハロウィン知らないの?」
「はろうぃん?」
 また不思議な言葉が出てきたぞと、ロリポップの欠片を飲み込みながら考える。でも、知らないものは知らない。答えを待って尻尾をぶらぶら振っていると、ふうっと息をつかれてしまった。少女は体を横に向けると、微かに笑みを浮かべて少年を見やる。
「まあ、いいじゃない。私からのプレゼントよ。じゃあね」
 そしてそのままひらひら左手を振ると、森の中に消えてしまった──。

 


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