「よっ、楓ー。そう唸るなって」

「唸ってない!」

 前方不注意ならぬ後方不注意というやつか。わたしは葉山楓に掴まれた右腕を見て、イケメンくんに何やら抗議する彼へと目を移した。助かったには助かったのだが、礼を言う場面かどうか……それに、いつになったら手を離すつもりなのだろう。

 頭がぐらぐらした。話し掛けることが急に億劫になり、右腕はそのままにして小さな溜め息をついた。今の一瞬でどっと疲労したようだ。慣れないことをすると、すぐこれか。我ながら情けない。

 咲乃を囲む輪の活気はいまだに無くならず、こちらに注意を払うクラスメートはいないようだった。首を動かしてみると、葉山楓に取り残されたらしい前髪くんが一人ぽつんと佇んでいるのが確認できた。
 左手で手招きをする。思った通り、彼はすぐにこちらへ来てくれた。

「どうした?」

 右腕を掴む葉山楓の手の力がだいぶ緩んでいることを調べて、わたしは彼の指を一本一本はがし、それをきょとんとする前髪くんの腕へと移動させた。

 よし。

「椎野さん、何これ」

「身代わり」

 答えて、教室から出る。ちょっと待てって、などという声が聞こえなくもないがスルーだ。

 早足で廊下を行き、喧騒の少ないほうへひたすら足を動かす。自然、人のいない上の階へと進むことになった。クリーム色の階段を上がれるだけ上がると、そこには当然、終わりが現れる。行き止まりではなく屋上への扉と呼ぶのが正しいのだろうが、どうせ施錠されているのだから行き止まりも同然だ。

 窓の付いた扉から見えるその場所には灰色のコンクリートが敷かれ、空の青さを引き立てる。近付いてみると、向こうに人がいるような気がした。

「やってらんねえ……」

 声もする。
 中学の頃は鍵を掛けてきちんと管理されていた屋上ではあるが、高校にその常識は通じないのかもしれない。わたしはノブを回して扉を開け放った。

 舞い込んでくる、春の空気。

「ああ? 誰だ?」

 臆することなく一歩を踏み出すと、そこにいた人物が気怠そうにわたしのほうを向いた。
 茶色っぽい黒髪に鋭い目付き。ブレザーのボタンは一つとして留められておらず、いかにも『不良』といった雰囲気の男子生徒がそこにいた。

 手には、そんな彼には不似合いに思える、可愛らしいキャンディーの袋が握られていた。思わず変な顔をする。

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