5


 義眼がエネルギーを失って周囲がモザイクにしか見えなくなったレオナルドを、毎日スティーブンが車で送り迎えした。
 送っていこう、という9年前に飛ぶ前から何度かうけていた誘いを、レオナルドははじめて素直に受け入れた。
 歩くには距離があるし、やはりいざと言う時に義眼が使えないというのは危険が過ぎる。
 それに過去でスティーブンと話ながら決めていたことでもあった。次の誘いはうけよう、と。
 最初こそ何を話そうと思っていたが、車内での会話はけっこうはずんだ。レオナルドがスティーブンを気安く感じるようになっていたのもあるだろうが、スティーブンの話術が巧みだった。
「少年は話しやすいな」
 リップサービスも忘れない。まるで自分が特別だと錯覚させて、忠誠心を煽るのがうまくなった。
「スティーブンさんが話しやすいからですよ――ほんとう、たくさん頑張ったんですね」
 なんでもさらっとこなす嫌味な男だが、案外に彼は向上心を忘れないのだと思う。九年前は対人関係でぴいぴい泣きごとを言っていたのに、ザップの扱いもうまいし、社交性をきちんと武器にするようになった。
 車内は常に二人きりで内緒の話をするには最適なセッティングだったが、レオナルドは過去に飛んだことを打ち明けることはなかった。
 僕がスティーブン・ウォッチです、といえなかったのは、戻ってくる直前で彼とセックスしたからだ。
 なかったことにしたいとは思わなかったが、スティーブンだっていきなりそんな事をいわれたら困るだろう。今の彼にはもう忘れ難い人も、好きな人もいる。
 言いたい衝動を我慢するたびに喉が軋んだ。
「レオナルド、僕が話しやすいのは君だからだよ。君といると安心するんだ」
 レオナルドはちょっと面食らって苦笑した。やりすぎですよスティーブン隊長。
「今度、店によってご飯も食べないか」
「晩御飯っすか」
「そう。この前隠れ家みたいな店をみつけたんだ。な、行ってみないか」
「……お金ないっす」
「しょうがない、僕が驕ろう」
「うぇーい、ごちそうさまでーす」
 車がとまって、わざわざ外に出た彼が助手席側のドアをあけてくれる。介護するように手をひかれて、アパートメントの部屋の前まで付き添ってもらう。正直そこまで見えないわけではなかったが、手を添えて補助してくれるスティーブンの体温は離れがたくて黙っていた。
「お店予約しとく」
「すみません、お任せしちゃって」
「いいんだ。君が僕の誘いを受けてくれるようになって嬉しいよ」
 するりと指を髪に絡めて、ものすごく自然にキスをして去っていった。
 レオナルドは部屋にはいると、キスされた髪を同じように指に絡めて深く溜息をはく。
 ライブラに帰れば全てがいつも通り、元に戻ると思っていた。でもどこか変だ。毎日にひっかかるような違和感がある。スティーブン・ウォッチ≠ェ強すぎてレオナルド・ウォッチ≠見失ってしまったようだった。



 スティーブンが連れてきてくれたお店はたしかに美味しかった。比較的治安のいい立地で、看板も出ていないような店だ。
 駐車場までちょっと距離があって歩かなければいけないから、スティーブンは移動の間ずっと手を握っていた。
 店の外観もレオナルドに細かに教えてくれる。煉瓦塀で入口脇と二階のベランダにガーディニング、マリーゴールドが植えられている。広めの窓から中にテーブルが並んでいるのを見てようやく食事の店だと気付いたという。
 高くつくられているドアまでの段差に注意を払いながら中に入る。流れているのはクラシックだ。異界らしい要素がないつくりだが、店をやっているのは異界人であると言われてレオナルドは驚いた。
 ヒューマーの文化を愛してやまないらしい。もちろん料理も完全に人界メニューだった。レオナルドの頬は緩みっぱなしだったが、スティーブンも声のテンポが少し速くなっていた。
「は〜すっげ、うまかったっす」
「僕も予想以上だった。またこようぜ。ほーら段差だ」
 スティーブンは出口の段差を、注意を促しておきながらレオナルドの脇をかかえて持ち上げてしまった。目を白黒させている間に、扉をくぐった後の段差も同じように抱えて移動される。
「はは、食べたばっかりなのに軽いぞ少年」
「ちょ、こわ、おろしておろして」
「このまま帰りたいなあ」
 冗談か本気か、スティーブンはそういってレオナルドを離してくれた。手だけをまた握り直す。
「なぁ少年」
 スティーブンのトーンが少しかわった。
 すぐ隣にいるはずの顔をみあげるが、義眼はまだよく見えない。それでもこれから聞かされるのは、なにかの核心に触れるような話に思えた。立ち止まって、じっと待ってみるがスティーブンはなかなか話だそうとしない。
「スティーブンさん?」
「少年」
 突然声を硬くしたスティーブンに驚く。
「悪いが一人で帰ってくれ。用事ができた」
 何が起こったのかレオナルドにはさっぱりわからなかった。ただぼやけた視界でもその顔がレオナルドではなく、道のむこうを見ていることだけは分かる。
 そのままレオナルドをタクシーに任せて、彼は夜の街に消えていった。

  ◇

「ザップさん、はよざーす」
 部屋の前まで迎えに来たザップに、レオナルドはあくび混じりに返した。まだ本調子ではないといえ、周りは見えるようになってきた。ひとまず顔の判別はつく。
 いままで車で迎えにきていたスティーブンは、一緒に食事をしたときから何か忙しそうにしていて、かわりに今までどおりザップが気まぐれに来てくれている。
 ザップの運転するランブレッタのうしろにまたがると、レオナルドはヘルメットをかぶって首のゴーグルを目元に引き上げた。
「おー新しいの買ったか」
「こればっかりはないと困っちゃいますからね」
 向こうで割れてしまって以来、長らくゴーグルはご無沙汰になっていたが、義眼を使うためには必需品だ。
「そういえば今日客人がいるらしいぞ」
「へぇ、エイブラムスさんとかっすかね」
「冗談でもきついぜ、それ」
 エイブラムスならばいまごろどこかの空港か駅が爆破でもしているころだろう。


 事務所に入ってすぐ、レオナルドとザップは客人と会うことになった。うっかり目を開いたレオナルドは、ゴーグルをしたまま入室したことがファインプレーになった。口は開いてしまったが、声は出なかったのでセーフだ。
 ソファにはクラウス、スティーブン、そして二人の客人――ロイドとノーマンがいた。
「ちーっす」
「ザップ」
 スティーブンが一応たしなめているが、客といっても旧知の仲だからか強い口調ではない。ロイド達の方も気にした様子はなかった。
「ライブラにはいろんな奴がいるなぁ。斗流ってのはこいつか?」
「ザップ、お前情報が漏れてるじゃないか」
 スティーブンとクラウスが驚いた様子をしているから、ロイドに事前に話していたわけじゃないらしい。ノーマンも隣でぎょっとしている。
 気に食わないという顔をしたザップが挑発するようにソファのロイドを見下ろす。
「ザップ・レンフロっすわー。どーもはじめまして」
「レ、レオナルド・ウォッチです」
 ついでに名乗ったレオナルドに、ロイドは食えない顔で微笑んでいたのを崩して、柔らかく目尻に皺を作った。
「やぁ。久しぶりだ。ゴーグルは神々の義眼を隠すためにしてるのか?」
 息を飲んで立ちあがったスティーブンに、今度こそザップがレオナルドを自分のうしろに隠してしまう。
「あんた、何者だ」
「別に大層なもんじゃない。今じゃ牙狩りを引退して若い奴らの指導をしてるしがない男だよ」
 スティーブンは訝しむ顔をしているが、相手がかつての仲間であるだけに、いまいち疑いきれていない。代わりにノーマンの方に確認をとっている。
「ノーマン、お前は知ってたか?」
「まさか! 義眼なんて言ったら重大機密じゃねーか! 俺が知ってるわけないだろ!?」
 レオナルドは自分をかばうようにしたザップをおしのけて、ロイドに向き合ってゴーグルをおろした。義眼は瞼で隠しているが、問題は義眼の方じゃない。彼の「久しぶり」という最初の挨拶だ。
「……お久しぶりです、ロイドさん」
「なんだよレオの知り合いかよー! 驚かすなよなー」
 ザップが文句をたれているし、スティーブンもクラウスもはらはらと様子を見守ってくるが、ロイドの言葉に一番驚いたのはレオナルドだ。彼は久しぶりと言ったが、レオナルドの方にはそんな言葉をつかわれる心当たりが九年前しかない。きちんと彼の目の記憶は消したはずだったのに。
「知ってたんですか」
「んー? そりゃあお前、秘密ってのは誰か一人にでも喋ったら、秘密じゃなくなっちまうからだろ」
「………………ダンさんっすか」
 言われてみれば納得だ。レオナルドの秘密を唯一知っていた彼は、ロイドの名前をたびたび出していた。二人は長い付き合いのようだったし、スティーブンに話せなくてもロイドに相談するようにと言われた気がする。
 たぶん未来のことをあっさりロイドに話してしまったのだろう。
「あとコインの手品だな、あれは詰めが甘かった」
「ごもっともです」
 ちゃっかりしっかり、コインに刻まれた未来の年号までばっちり確認されていたというわけだ。
「もしかして、帰り道を見つけてくれてたの、ロイドさんっすか」
 ダンが教えてくれた“最初の蛇の死体の側にある魔法陣”も、ロイドなら見つけていただろう。なにせ彼はあそこで戦っていた四人のうちの一人だ。
「あぁ俺だ。お前はいつ行って帰ってきたんだ?」
「二週間くらい前っすかね」
 話しているうちに、だんだんと涙が浮かんできた。ロイドがレオナルドのことを知っていた。そして、黙っていてくれたのだ、九年も。ずっとひとりで抱え込もうとしていたものが零れていく。
「あぁそうだよな、うんうん泣いちまえ。誰にも話してないのか?」
 ロイドはレオナルドの腕をひいて、胸を貸してくれた。
「知り合いなのか?」
 ノーマンが泣きだしたレオナルドを気遣ってそっと聞いてきた。ロイドは小さく笑った。
「アルファベットのeだよ、ノーマン」
 あっと驚いた顔をしてノーマンがレオナルドを見た。部隊に合流してすぐのころ、ノーマンが壁に描いた視力検査で最後に描いたものがアルファベットのeだった。それだけでレオナルドと繋がったらしい。
「お前、え〜! まじかよ〜! なんだよ、どうなってんだ!?」
「あは、お久しぶりです」
 泣き笑いで答えると、ノーマンはロイドとレオナルドにとびついてきた。強くだきしめられたあと、体をはなして顔をあわす。ノーマンは嬉しそうににこにこと笑っていた。
「わけーなぁ! まだ十代かよ!」
「二十二だっつったでしょーが!」
「あはは覚えてねー!」
 ノーマンと話すと、自然な自分がひきだされていく。あの九年前と、今の自分がようやく重なった。ノーマンは九年前にもライブラにも、どこにも戻れないでいたレオナルドをあっさりひっぱりあげてしまった。
「レオナルド君」
 クラウスは突然抱きあいだした三人にいつも通りどっしりと落ち着いて構えていた。
「信じがたいことたが、これはつまり君が彼≠ニ同一人物だと考えて問題ないだろうか」
「なんだ、気づいたのかクラウス。さすがだなお前は」
 ロイドはからからと笑って、ぎゅっと眉をよせて目を細めているスティーブンにも話をふる。
「スティーブンはまだダメか。思いこみで頭が固くなっちまってるのかな」
「薄情だなぁスティーブン。ジュニアと寝たんだろお前」
 ノーマンがヤニさがった顔で爆弾を落とす。叫びかけたレオナルドの口を塞いで楽しそうだ。
「あいつの初めて貰ったんだろ?」
「ふが、んんん!」
「なぁスティーブン、あの日はみんな辛かったもんな。ん? 寝たんだろ?」
「んー! んんー!」
 しばらく眉を寄せてノーマンを無言で睨んでいたスティーブンだが、観念したように口を開いた。
「んんん! んんんん!!」
「寝たよ。もう九年も前だ。それ以来会ってないのは知ってるだろ」
 ノーマンは満足そうに口笛をふいてレオナルドの口を解放した。解放されたところで、レオナルドにはもう何も言う気力はなかった。いっそ穴があったら入りたい。みんなには九年前のことでも、レオナルドには二週間前のことなのに。
「寝たから恥ずかしくって名乗り出れなかったんだよなー。な、ジュニア」
 うなだれていた背中をこれみよがしに叩かれて、レオナルドは思い切りノーマンを睨みあげた。あげた視界ではクラウスが居心地の悪そうな顔をしていた。スティーブンの顔はさすがに見れない。
 いままで黙っていたザップが、思い切り叫んでくれたおかげでレオナルドもやけくそだった。
「レオお前番頭と寝たのかよ!!」
「うるせー! ほっとけ!」




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