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 呼び出しをうけて街中を歩いているレオナルドのもとに、ザップが悲鳴をあげながら突っ込んできた。
 その後ろでギョロ目の、バーサーカーみたいなベビーカーがひとりでに走っている。猛スピードでタイヤが煙をあげていてザップの尻に噛みつこうとしているのは穏やかな光景じゃない。
 しかもザップがそれもろともレオナルドに向かって直進してくる。
「ひい!?」
 思わず悲鳴をあげるとすぐに巻き込まれないように駆け出した。それなのに人混みの中からレオナルドを見つけたザップが並走してくる。
「こっちこないでくださいよ!」
「うるせー先輩を見捨てんな! ね〜レオナルドく〜ん、俺たち一蓮托生だろ〜!」
「一人で死ねえええええ!」
 ののしりあいながら二人は全速力でヘルサレムズ・ロットの街中を疾走する。他にも通行人は何人もいるというのに、何度角を曲がってもベビーカーは執拗にザップばかりを追いかける。
「ザップさん何したんすか!? ていうか今度は誰だ!」
「なんかしたっけな、あっ借金の延滞って昨日までだったんか。なぁ十五日って昨日?」
「一昨日だボケェ!」
 じゃあそれだな、とザップが原因を突きとめてみても、わかったところでなんの解決にもなりはしない。
「くっそ! 一個貸しですからね!」
 レオナルドは急ブレーキをかけて後ろに向き合う。ザップは立ち止まるわけにはいかなくて走り続けながらレオナルドを振り向いた。ベビーカーはまっすぐ突進してくるが、レオナルドには目もくれていない。
 このままレオナルドがなにもしなくても、自分ひとりならベビーカーとおさらば出来るな、とちらりと頭をかすめたが、ザップの視線はレオナルドを案じるものだった。
 クソミソな先輩だというのに、ここぞという時にはまっすぐな腐ってない芯が覗くからずるい。どうしてあのクズが女たちにモテるのかって、顔と、遊びやすさと、掃溜めみたいな人格の中に鶴みたいなところがあるからだろう。
 レオナルドはゴーグルをかけて義眼を開くと、ベビーカーのギョロ目に狙いを定める。
 数秒してベビーカーは勢いをなくし、ころころとタイヤをころがしながらレオナルドを通り過ぎていった。その先にいるザップにも襲いかかる様子を見せない。
 ザップはコソ泥のような足取りでベビーカーの横を通り抜けてくると、レオナルドとアイコンタクトをしながら一目散にその場から離れた。
「お前、あれ何したんだよ」
「目の記憶を消しただけっす」
「記憶だぁ? お前そんなことも出来んのかよ」
「目だけです、目だけ。ベビーカーからザップさんの顔の記憶を消しただけで、借金は消えませんからね」
 いくらなんでも記憶そのものが消えるわけではない。ベビーカーがザップの顔を思い出せないだけで、借金をした誰かを追いかけなければいけないことはしっかり覚えている。
 第一、ベビーカーはあくまで道具でしかない。けしかけた相手がどこかにちゃんといるはずだ。結局のところ一時しのぎでしかない。
「なんだよ使えねーな」
「そこは僕に感謝するところだよ!」
 ザップとレオナルドは小突きあいながら当初の予定だった自然公園に向かう。もともと今日は公園内の公衆トイレにあるらしい魔法陣を、ザップと二人で調査するのが目的だった。
 ライブラに入ってから約二年。レオナルドの義眼はまだ手探り状態ではあるものの、精度もあがったし使い方のバリエーションも増えてきて、ライブラでの調査に欠かせないものになってきている。
「僕、今回の詳細はザップさんに聞けって言われてんですけど、どんな事件なんですか」
「あれ、お前知らねーの?」
「なにがっすか」
「これ仕事じゃねーよ」
「はぁ?」
 何言ってんだこいつ、という心の声が思い切り声に乗った。なぜなら今朝レオナルドの携帯に依頼の連絡をよこしたのは、スティーブンだ。ライブラの副官、彼からの要請はニアリーイコール、ライブラの要請のはずだ。
「いやいやいや、仕事じゃないわけないでしょう」
「だーかーらー、今回は番頭の個人的なお仕事なんだよ。臨時アルバイトってーの? 時々あんだよ。バイト代もけっこー出るぜ」
 親指と人差し指でマネーマークをつくったザップが歯を見せる。
「じゃあ借金返せますね」
「ばっかお前、酒代に決まってんだろ」
「決まってねーよ、借金返せよ」
 ザップによると、スティーブンはしばしば呪術関係の調べ物を頼んでくることがあるらしい。街のどこかで魔法陣や呪に関係するものが見つかったときに、ザップは何度か現場の状態とその付近に変な噂がないかの聞きこみをしてきた。
「ぜってー過去に術師の女に捨てられてんだよ。それもこっぴどく振られて。呪いかなんかかけられてたりさぁ」
「あのスティーブンさんに限ってねーっすよ。そもそも振られることがねーでしょ。あんたじゃないんだから」
「まじだって。旦那に聞いたから間違いねーって。一回アルバイト断ったら『スティーブンには忘れられない人がいるのだ、ザップ』だってよ」
「…………まじすか」
「まじまじ」
 うへぇ、とレオナルドは首をすくめた。聞いてはいけないことをこっそりと聞いてしまったような心地だった。
 スティーブンといえば、強い、伊達男、頭がキレる、仕事ができる、そういう隙のないイメージ。歳はあっちがひとまわり年上だが、あと十年たったところでレオナルドが追いつけるとは到底思えない。
 ……でもたしかに女性相手には弱いかもしれない。KK相手には痛いところをつつかれて苦笑していることが多いし、チェインに泣かれたときは困っておろおろしている姿をみたことがある。そう告げるとザップは鼻先で笑った。
「つってなぁ、あの人サツの女たぶらかして内部情報とか横流しさせてんだぜ? それも複数。女に弱いってタマかよ」
「げえー! うわぁ、それ……えー」
「そんで忘れられない女がいるっつーのが旦那の言い分だがー、しかーし、本人が言うには今は別の本命がいるわけだー」
「泥沼の気配しかしねぇ」
 スティーブンは普段はプライベードをにおわせないが、できればそのまま知らずにいたかった。がらがらと音をたててスティーブンのイメージが崩れていく。
「……そういえば僕、顔合わせの時スティーブンさんから親戚にスティーブンさんくらいの男がいるかって聞かれたことあるんですけど……」
「お前の親戚、スターフェイズさんの元カノ奪ったりしたんじゃねーの?」
「いやいやいや、そんな親戚いねーっすよ。怖えーわ。やめてください」


 調べに来た公園のトイレでは、レオナルドはザップによって女性用の方に蹴りいれられた。ザップは男性用トイレから清掃中の札を持ちだしてそれに座り、葉巻をふかしながら入口で見張りの構えをとる。
 誰もいないトイレであっても、レオナルドは小便器がないだけでもうそわそわと落ちつかなかった。急ぐように中を見回せば、たしかに個室のドアに魔法陣を見つけた。
 入口のザップからもそれが見えたんだろう、遅い忠告がはいる。
「俺たちゃ素人だからな。魔法陣に触るな。術師には名前をばらすな。この二つは鉄則だ。じゃなきゃどうなっても知らねーぞ」
 低い位置にある魔法陣は、子どもがクレヨンで描いたような歪なサークルだったが、レオナルドが真剣な顔をして義眼を開くと、ザップも葉巻を口から離した。
「やばそうか」
「いえ、ドアに書いてあるの自体はただの落書きっぽいんですが……下にも魔法陣があります」
「俺には見えねーけど」
「床っていうか、その下の地面にあるみたいで……うーん?」
 落書きよりもよっぽどしっかりした魔法陣がたしかに描かれているのだが、レオナルドにはそれがただの絵にしか見えない。
 魔法陣は発動していなくとも、それだけでエネルギーをまとって光ってみえるものなのに、地面にある魔法陣は大きくて手が込んでいるが、それだけだ。
「発動条件がそろってないんですかね」
「俺に聞かれたって知るかよ」
 とにかく、今この魔法陣がどうこうなることはなさそうだ。
「念のため聞きこみして、魔法陣が発動したかどうかを調べれば終いか」
「そうっすね」
 レオナルドは一刻も早くこの女子トイレから退避したかった。いざ人がきたときにザップはたぶん、いや絶対にレオナルドを見捨てて逃げる。あとに残されたレオナルドはめでたく変態にされHLPDに厄介になるか、相手が悪ければその場でご臨終だ。
 さっさと帰ろう、と一歩踏み出して、ぐらりと突き上げるように足下が大きく揺れた。
「地震か!?」
 レオナルドの義眼には、地面に光の亀裂が縦横に入っていくのが見えた。
「これ……! 区画シャッフルです!」
 三年前突如崩壊し、そして積み木のように組みなおされたNYは、ときおりまたやり直しのように一部の地域が組みかえられる。それによってホテルの目の前に観光名所が現れたり、川の真ん中に家が移動したりする――いわゆる移動場所の当たり外れがあることから、住人はこれを区画くじと呼んでいる。
 切り取られていくような光の線に、レオナルドは慌てた。おまけに、足元にあった魔法陣にその光が集まってくる。
「ザップさ……!」
 叫び声が途中で途切れて、どこか別の場所に声が吸いこまれていくようだった。
 魔法陣の光がレオナルドの手足に蛇のように絡み、這い上がって絞めつける。慌てたようなザップの顔がぼやけて、モザイクの中に放り込まれ、体が小さく浮いた。


 そして次の瞬間には大きく地面にたたきつけられていた。
「ってぇ!」
 ぐわんと打ちつけた頭が揺れる。酒や車にひどく酔ったときのように気持ち悪くてたまらない。
 ふらつきながら立ちあがると、足元にオレンジ色の破片が散らばっていた。ゴーグルが割れてしまっている。けれどそれどころじゃない。
 レオナルドが見たのは、どこかの砂っぽい街だった。側にある木は乾ききっていて、低い位置から枝を横に伸ばしている。レオナルドは、みたことない街の、外れにある小さな密集林の丘にいるようだった。
 そして、頭の上に広がっている真っ青な空。
「どこだ、ここ」
 霧の結界に覆われたヘルサレムズ・ロットでは空は見えない。区画シャッフルと魔法陣の組み合わせで、結界の外までふっ飛ばされてしまったようだ。たぶん、レオナルドはタイミングが悪かったのだろう。
 とにかくザップと連絡を取ろうと携帯を取り出してみたが、アンテナは圏外になっている。
 ということはもしかしてGPSもロストしているかもしれない。
 レオナルドの目の前にあるのは、あまり文明的にみえない町並み。何年も前のもののような、コンクリートでできた集合住宅、ところどころ大きく抉れたり崩れたりしている。車が走っている様子はない。戦争カメラマンがとった写真にこういう街並みがあったと、レオナルドはぼんやり思い出した。
 ただの感想だけど、なんとなく、アメリカっぽくない街だ。
(もしかしてけっこう困ったことになったんじゃ……)
 レオナルドが事態の重さに生唾を飲み込んだ時、後ろから腕が捻り上げられ押し倒された。背中には硬い感触もする。
「うわ! なんだ!?」
 ワット、ハップン! 叫び声に反応したのか、相手からも英語が帰ってくる。
「お前英語が喋れるか」
「喋れます! めっちゃ喋れます!」
「誰だ、ここで何をしている」
 危険を感じてレオナルドは口をつぐんだ。相手が何者かという疑いが遅れて湧き上がってくる。
 レオナルドは、魔法陣によってとばされた。ザップが言っていた、「術師に名前を明かしてはいけない」と。
 ブラッドブリードの諱名を呼んできたレオナルドには軽視できない忠告だ。
 黙っていることで相手の不興をかったのか、ますますえぐい角度に腕をまげられる。
「いってぇ! ちょ、ギブ! ギブギブ!」
「お前は、誰だ」
「ス、スティーブン!」
 叫んだのはやけくそだった。思いついた名前を適当に叫ぶ。
「スティーブン・ウォッチです! あの、ここはどこですか!」
 言った瞬間、ぬるりと耳の脇を何かが伝って落ちる感触がした。相手の空気が一瞬揺れて、それから軽く叩くように、肩から足首までを触られていく。大人しくしていると、体をおこされた。
 ようやく真正面からみた相手はサバイバルゲームで見るような緑の戦闘服をきている。銃口をむけられていることにぎょっとした。防弾チョッキや関節のサポーターをきた体は厚みがあり、おそらく筋肉なのだろうが、少し小柄なせいでぽっちゃりとしてみえる男だった。
「悪かった。武器はもってないようだな」
「武器?」
「頭を打ったのか? どこまで覚えてる?」
 男の質問に首を傾げた。ぽたっと足元に血が落ちる。魔法陣で飛ばされたときに頭を切ったんだろうが、この怪我のせいで記憶障害だと思われているらしかった。
 それにしたってどこかおかしい。出会い頭にイニシアチブをとられて、その相手はばっちりコスプレ戦闘服をきていて、ご丁寧に武器の有無を確認された。それに見慣れない街並だ。
「あの、僕ヘルサレムズロットにいたはずなんですけど……ここは、HLじゃ……ないですよね?」
「ヘルサレムズ・ロット? どこの田舎?」
「はぁ?」
 レオナルドはますます困惑した。ヘルサレムズ・ロットは崩落直後から世界の注目の的になっている。HLを知らないなんて、テレビがないような田舎でだってありえない。
「とにかく、ここは危ない。ブースに案内しよう」
「えーっと、ありがとうございます」
 戦闘服の男はレオナルドに前を歩かせて、後ろで「スティーブンが怒るだろうな」と溜息を吐いている。上司の名前だろうか。
 レオナルドもまったく同じ気持ちだった。
(僕もスティーブンさんに、絶対怒られる)




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