ザップがやけに大人しい。
 事務所にはザップとスティーブンしかおらず、気持ち悪いほどに静かだ。こういう日は何があったかだいたいきまっている。スティーブンに怒られた日だ。
 何をやらかしたのかレオナルドはもう興味がない。ザップだって自分のなさけない話なんかはしないから、お互い何もなかったふりをしてそのうち忘れる。
 けれど今日はいつもと違った。ソファに座ったレオナルドの首に、ザップが勢いよく腕をまわして顔を近づけた。小声でささやかれる。
「おいレオ」
「……なんすか」
「ここだけの話なんだけどよぉ」
 ここだけの話、でだいたいの噂話はひろまっていくということを、きっとザップはよくわかっているだろう。この男は最初から広めるつもりで内緒話をするのだ。
「スターフェイズさん結婚するらしいぜ」
「結婚!?」
 予想もしなかった事態に、ついつい事務所に響くような大声をだしてしまってザップに殴られる。高性能な視界の隅で、スティーブンが肩を跳ねさせたのが見えた。彼はぼそぼそと何かを呟いている。
 そっちをチラ見した後でザップにまた視線を戻した。
「まじすか」
 スティーブンのぼそぼそとした声が聞きとれるくらいに大きくなった。
「ち、ちがう」
 何を言っているかと思えば、反論をしているらしかった。もっとはっきりきっぱり言えばいいのに、なぜこうも、女に別の女との修羅場がばれたザップのように“しくじった”空気をしているのか。
 レオナルドは再度ザップとスティーンブンの間で視線を往復させた。
「ちがうんだ少年!」
 いつもの愛称を叫ばれ、突然肩を掴まれて強制的に後ろを向かされる。背もたれを挟んで、スティーブンはレオナルドがあとずさりたいくらいに鬼気迫る顔をしていた。イケメンの迫力は怖いものがある。肩をつかんでくる指も痛いくらいの力で食い込んでいる。
「さ、さいですか……」
 だからなんだ、と言いたい。別にスティーブンが結婚しようがしまいが、それはスティーブンの問題だ。ときおり街で彼と一緒にいるのを見かける女性たちにとっては、とんでもないニュースになるだろう。でもレオナルドにはさっぱりすっぱり関係ない。
「これはちょっとしたミスなんだ」
「う、うす」
「政略結婚なんだ」
「……うす」
 そうですか、あなたらしいですね。という言葉はすんでのところで飲みこんだ。たぶん言ってはまずいだろう。
 スティーブンの手が、肩から両手があがって頬を包む。イケメンになぜか真剣な目で見つめられている。映画のクライマックスによくこういう主人公のドアップがあるなと思った。
 レオナルドには目の前のイケメンが目の毒で、ザップが阿呆の顔で自分たちを見ているほうに気をそらした。
 鼻先がくっつきそうなくらいにスティーブンが寄ったところで、タイミング良く警報が鳴った。何度聞いても、避難警報とはちがってあまり緊迫感のないくぐもった音だ。
 テレビも自動的について、街中の騒動を映し出した。半分透けてときどき見えなくなる化け物――どうも異界人でも人間でもないものが暴れているみたいだ。最近ではレオナルドも異界人とそうでない化け物の区別がつくようになってきた。たぶん今回は合成魔獣あたりだろう。
 未練があるような顔をしたスティーブンがレオナルドから手を離した。
 直前の様子がおかしくても出動ではいつも通り。クラウスが前衛、陽動に斗の2人、後衛支援のレオナルド。スティーブンは場合によって前衛と後衛を使い分けるが、今回は防御力ゼロのレオナルドのお守り。
 BB戦だと積極的に狙われるレオナルドも、そうでない戦いでは主に流れ弾を自己回避するぐらいだ。一歩間違えば命の危機だが、レオナルドはなんとか自力で逃げ、ときどき半透明になる魔獣の位置をクラウスに携帯で伝えつづけた。
 クラウスに寄ってぶっとばされた魔獣の腕が近くのビルの窓を突き破って、レオナルドの上にガラスのシャワーが降ってくる。
「少年!」
 スティーブンがすかさず血凍道を発動させて防壁を作った。レオナルドをかばうように腕の中に抱きこむ。二人を覆う氷の上を、シャラシャラと音をたてながらガラスが滑り落ちていく。スティーブンはますますレオナルドを強く抱きしめた。
 熱い抱擁をうけるほどの危機一髪でもなかったはずだが、スティーブンは大げさな口調で「無事でよかった」とこぼした。
 今日はこの人ずっとドラマじみてるなぁとレオナルドは顔をあげてスーツの胸板にうまっていた鼻を解放した。
「結婚の件は本当に政略結婚なんだ」
 今する話でもない。
「僕の気持ちはないんだ。本当だよ」
「……でもするんでしょ、結婚」
 むっつりと黙りこんだスティーブンの腕をなんとか抜けだしてクラウスたちをみると、きょろきょろとあたりを見回している。義眼でみるが隠れている魔獣もいないようだ。繋がりっぱなしだった携帯を耳にあてて作戦終了を告げた。
「もう魔獣はいません。クラウスさん、とっとと引き上げましょう」
 顔色を悪くしているスティーブンを促してその場から撤退する。後は警察の仕事だ。後始末ばかりさせやがって、という怒声がすぐに聞こえてくるだろう。
「スティーブンさん庇ってくれてありがとうございました。ほら行きますよ」
 こころなし落ち込んでいるスティーブンについでに家まで送ってもらって(その途中でもいろいろ言われたが)結局のところスティーブンは政略結婚をするらしい。
 別れ際にも何かいいたそうだったが、レオナルドはことごとくスルーした。自分に言い訳をされたところで、どうしようもない。
 ぼろっちいアパートのドアの内側に入れば、街の喧騒が少し遠くなる。レオナルドはまっすぐにベッドに向かって横たわると、ヘッドホンをラジオに接続してボリュームをあげた。腕を交差して視界もふさぐ。
 ラジオではいつものお便り番組が始まっていた。元気な声がうるさく手紙をよんでいる。
「泣くなレオナルド」
 耳が覆われていると、自分の声はよくきこえた。
 泣くのは一回で十分だ。スティーブンが街中を女性の腰に手をまわして歩いているのをみかけた、あの一回。
 この気持ちに気付いたばかりのころは、恋人かどうかもわからない女性に動揺したし、彼の何気ない視線や言葉に舞い上がった。どうして名前を呼んでくれないのだろうと落ち込んだ。でも最近はそれもなくなっている。長くわずらっているうちに、最近では穏やかな喜びだけを追うことができるようになりはじめていた。
 だいたい、最初からわかっていたことだった。レオナルドの気持ちはいずれ死ななければならない。彼を見て切なくなる心臓は、封をして閉じ込めたまま、底に沈めなければいけない。
 はじまったその瞬間から、この恋は片思いで終わると決まっていた。
「泣くな」
 でも、どうして彼はあんなに自分に誤解されるのを嫌がったんだろうと思わずにはいられなかった。スティーブンの結婚はもう決まっているというのに、あさましい考えだ。






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