神々の義眼。
 神様とはありとあらゆる生き物の上位存在であり、その義眼は森羅万象すべてを見通すことができる。視線を遮るあらゆる障害は意味をなさない。建物の外から中を探り、暗闇の中で顔を識別し、撃ち込まれた百発の弾丸を見切る。壁も光も速度も関係ない。
 それどころか通常なら見えるはずのない奇奇怪怪なもの――生き物のオーラ、あらゆる術式――すらも義眼の前では丸裸になる。

 けど便利道具っていうのは、ただじゃない。
 レオナルド・ウォッチはある日突然、足の悪い妹とふたり、どちらが義眼を受け取り、その代わりにどちらが目を奪われるかを神様に迫られた。
 理不尽な選択の前に、妹の方が決断が速かった。
「奪うなら私から奪いなさい」
 彼女の視力と引き換えて、レオナルドは神々の義眼を手に入れた。泣き声で喉を潰してしまいそうな罪悪感と一緒に。



 悪夢で飛び起きたレオナルドを、スティーブンの腕がベッドに引きずり戻した。電気を消した寝室でも、レオナルドには間近にある相手の顔がはっきりみえる。目をとじたまま、半分寝ているような力のない表情をしてる。
「大丈夫かい」
「すみません起こして」
「いいやまだ寝てる」
 わかりやすい嘘に小さく笑ってしまった。スティーブンも、目は相変わらず閉じたままだが、寝顔のふりをくずして笑っている。
「よくあるのか?」
「悪夢ですか? 最近はあんまり。むしろスティーブンさんの夢の回数の方が多いっす」
「それは朝が大変だ」
「アンタなに想像してんだ」
「若い体だもんなぁ」
 文句のつもりで胸板を拳でたたいてみるがびくともしない。
「スケベ」
「寝言だって」
「しっかり起きてんじゃないですか」
「寝てる寝てる」
 レオナルドの頭を布団の中に抱えて、スティーブンはわざと呼吸を深くする。背中にまわった腕が、穏やかな心臓のリズムをきざむ。
「君も寝ちまえよ」
「悪夢みたばっかなんすけど」
「次は起きて慰めてあげるよ」
 僕はスケベだからね。
 ちょっと魅力的なお誘いだったから困ってしまう。
 もぞもぞと狭い腕の中で居心地のいい態勢をさがす。年の割にはがっちり筋肉がついている戦闘要員には柔らかさがない。寝心地がわるい、けれど腕をふりはらう気にはならなかった。

 朝になってレオナルドが起きる時にはスティーブンはまだ寝ている。彼はどうやら朝が弱い。
 レオナルドはマットレスとベッドの床板の間からカメラをとりだした。レンズをのぞいて、口がゆるむのをとめられない。
(寝顔がソニックそっくりだ)
 顔じゃなくて表情。閉じた目の垂れ具合や、少し唇を突き出しぎみになる口の閉じ方とか。ソニックはずっとレオの側にいて、レオが見つめるスティーブンを一緒に見てきたからかもしれない。
 微笑ましい気持ちでシャッターを切ると急いでカメラはマットの下に突っ込んだ。小さな機械音にでも反応するらしく、いつも一枚撮るとスティーブンは目を覚ましてしまう。
 夜と違って本当に寝ぼけている彼に、にへらっと笑いかける。
「……スケベされたい?」
「いいえ朝ごはんを希望します!」
 挨拶代りにキスをおくって、二度寝に入るスティーブンを起こしにかかった。



 ライブラに入ってから、なんにもない日が不思議な出来事に思えてしまう瞬間があった。
 妹のために生きなければいけないのに、どうしてこんな当たり前の生活してるんだろう、って。
 罪悪感と恋心、その間にかかった細い縄の上で、レオナルドはどちらも落とさないよう大事にしてた。

 それでも、結局最後に妹を選んだ。
 誰にも内緒で、神々の眼科技師メヌヒュトと再びあうことを果たし、義眼を返還した。

 まだ朝方、駆け込んだネットカフェでスカイポにログインすると、ミシェーラ宛にメッセージを送る。
 ミシェーラからのメッセージはすぐに返ってきた。
『お兄ちゃん、無茶しなかった?』
 その文字をみただけで、どうしようもなく涙がにじむ。ミシェーラが、今日はパソコンで文字を打ってきた。ブラインドタッチができるような器用な妹じゃない。キーボードが見えてる。
『ミシェーラ、どこか痛いところはない? きちんと見えてる?』
『見えてる』
 妹の文字が嬉しくて、メッセージをうつけど、どうしようもなく焦れったい。ミシェーラも同じ気持ちだったらしく、すぐに通話のコンタクトがきた。
「お兄ちゃん!」
「ミシェーラ、教えてくれ。君の目は今アイスブルーの色をしてる……?」
「そうだよ」
「ミシェ、うぐ……よかっ……ひっく……」
「お兄ちゃんこそ怪我してないよね!? 無茶したんじゃないよね!?」
「うん……どこも怪我してないさ。兄ちゃんは無事だ」
 優しい妹だ。目の異変に気づいてからずっと心配してくれてたんだろう。普段は約束でもしてないかぎりログインしていないスカイポで、ずっとレオナルドの連絡を待っていてくれたんだろう。
 店のなかで声をあげて泣きだしたレオナルドをミシェーラはずっと「ありがとう、私のトータスナイト」と慰めつづけた。レオナルドが報われるよう、感謝の言葉だけを伝えて。

 レオナルドは涙がかれるほどに妹の目を喜んで、そして神様を呪った。
 神様との契約の破棄には、大きな代償を求められるだろうというのが医師マグラ・ド・グラナの推測だった。
 そう、大きな代償だった。
 神々の義眼の返還、その代わり全てを見なかったことに。
 レオナルドが義眼を得てやってきたヘルサレムズ・ロット、そこで関わったこと全てが、レオナルトの夢になった。
 レオナルド・ウォッチという人間は最初からこの町にこなかった。レオナルドとミシェーラだけを取りのこして、そういうふうに世界が書き変えられた。



150722




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