「せっかくだから、行ってみないか?」
「はい、ぜひ」



予想していたのは、うららかな日差しのもとで穏やかに将棋を指す姿だ。

4月の風は心地よく頬を撫で、将棋の駒となっている人々も皆笑顔で、周りの観衆もそれぞれ食べたり飲んだりしながらその光景をまったりと眺めている、そんな風景。

隣には、人間将棋を眺めて笑う彼女がいて。

ああ、自分は幸せだ…と快晴の空を微笑んで見上げていると思っていたのに。



「自分の雨男ぶりはわかっていたつもりだったんだが…まさかこの日までこんなことになるとは…」
「………い、いや、あの島田さんのせいというわけではないですし」
「そ、そうですよ、零君の言うとおりです」
「いいんだいいんだ…獅子王戦の間もそういや雨ばっかり降ってたし…はあ…」



獅子王戦が終わって一段落し、舞い込んできたのは毎年恒例の人間将棋。

島田の地元である山形で行われるこの行事に、島田は結衣子を招待していた。

自分のいる世界である、将棋を少しでも知ってほしいと思ったから。

彼女自身もいろいろと勉強しているようだが、本と向き合うのとは違う将棋の楽しみも味わってもらいたいのだ。

そして当日、「場所がよくわからない」という桐山も連れた三人で、故郷の山形に到着。

しかし彼らを出迎えたのは、ほかでもない土砂降りの雨だった。

屋外で予定されていたイベントも、急遽室内へと変更。

変更された場所へと向かえば、そこには島田の故郷の人々がいた。

「こんな雨降らせやがって」と口だけは島田を責め立てているものの、その表情はやはり優しい。

島田にとってもここは心安らぐ場所なのか、いつも寄っている眉間のシワもなくなっている。

島田の表情を安心した様子で眺める結衣子に、ついに一人が近づいた。



「お前さん、もしかして開の…」
「え?」
「開の彼女だか!?」



話しかけた住人の声の大きさに比例するごとく、周りの人間が大げさにも思えるほどの勢いで結衣子を振り向く。

先ほどまで和やかに話していた雰囲気はどこへやら、である。

ついでに事実を知らなかった将棋協会会長も振り向き、口をあんぐりと開けている。

マズイ、と二人は直感的に思った。

そしてお互いにアイコンタクトを交わすも、そのしぐさを見るや否や周りの人々は二人にそれぞれ詰め寄る。

あっという間に背中合わせにされた二人に対し、周りの訊きたいことは一致していた。



「開、いつの間にこんな別嬪さん捕まえた?」





信じられないほどのスピードで飛んでくる質問の数々。

故郷のおばあさんたちは、手を取り「若いっていいわねえ」とひっきりなしに彼女の手を触っていた。

そしておじいさんの方は、自分に詰め寄って「結婚とはどういうものか」という終わりなき疑問を熱く語っていた。

今でも思い出せる、あの光景。

人間将棋の帰りの新幹線の中で、島田は頭を抱えて呟いた。



「……すまん、あんな目に遭わせるつもりじゃなかった」
「いいですよ、島田さんの故郷の人に会えて私も嬉しかったですから」



彼女は笑顔でこう言ってくれるが、実際のところ何を言われたのだろう。

島田の知る限りでは「結婚」やら「嫁と姑」やら、あまりにも先走ったことを周りのおばあさんたちは言っていた。

本当にそんなつもりじゃなかった。

結婚とかを意識させるような、今はまだそんな早い段階ではないことはわかっている。

ただ将棋を知ってもらいたかったから…

そう周りの人々にも言ったのだが、反応は全員同じだった。



「そんなこと言って開、軽い気持ちの彼女ならここに連れてこねえべ?」



軽い気持ちの彼女などいたことはない、と反論したいところだが、今回の論点はそこではないだろう。

実際のところ、彼女はどう思ったのだろう。

結婚という単語を聞いて、一気に冷めてしまってはいないだろうか。

まだ出会ってから1年経っておらず、さらに言えば付き合ってからは1か月ほどしか経っていない。

そんな状態でそんな重たい言葉を言われたら、そりゃあ誰だって…



「いろいろ島田さんのいいところも教えてもらったんですよ」
「…いいところ?」
「はい、『開はこういうやつだ、ああいうやつだ』って教えてもらったんです。結婚はまだまだ先の話ですからって流しちゃったんですけど」



私の知らない島田さんが知れてよかったです、と笑う彼女。

ちょうど外に見える風景は山形の田園で、めまぐるしく変わっていくその風景は自分の心情と重なるものだった。

まだまだ先の話、ということは、少しは可能性があると考えてもいいのか。

先ほどまでの沈んだ気持ちはどこへやら、島田は自分が結衣子の横顔をただただ見つめ続ける。

その視線に気づいたのか、結衣子はちらりと島田を見、それから反対側の窓へと視線を移した。

「また連れてきてくださいね」と小さくつぶやきながら。



「……ああ」



結衣子から視線を外し、島田もまたしばらくの眠りにつこうと目を閉じる。

素早くつないだ手は、暖かかった。

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