昨日、突然島田を拒否した。そして今日、宗谷からの言葉一つで島田に会いたくなった。

人の言葉と心は不思議だ。言葉一つで心はころころ変わる。

昨日自分から避けておいて、今日になったら声をかけに行くなんて、なんだか感情の起伏が激しい奴だとは思われないだろうか。

むしろ、都合の良い奴だと思われる可能性もある。

やはりもう少し時間がたってから謝りに行くことにしようか。

無事に棋士の皆さんへうなぎの注文を届け、一階のロビーで自分のお昼を食べていると、いち早く食べ終わったらしい神宮寺が近づいてきた。



「今日も美味かったなあ、ごちそうさん。あれ?島田は?」
「今日島田さんいるんですか?」
「さっきまでいたぞ?結衣子ちゃんが来るからいるもんだと思ってたんだけどなあ」



ずきりと心が音を立てた気がした。今日は島田が将棋会館にいる日だったのか。

いつもならば将棋会館にいれば一緒にお昼を食べたり、どこからか現れて話に付き合ってくれたりするのに。

「結衣子が来るかもしれないから待っていた」という時もあるし、午前中のみで帰ったということは考えづらい。

もしかして、昨日の自分の態度のこともあって帰ってしまったのだろうか。

考えたくもないことばかり考えてしまう頭をブンブンと振り、悪い考えを頭から追い払う。

とにかく島田と話をしてみよう。そうしないと何も始まらない。





そう思っていたのはたしかだったのだが、島田と会えないままもう一週間。

家にいる時間が合わないのか、玄関を訪ねてみても開かないことばかり。

時間が経過するにつれ、話をしてみようという意欲はなくなり、代わりに気まずさばかりが膨れ上がっていく。

話はしたい、けれどここまで会えないとなると島田は相当怒っているのではないか。

どうしたら話をしてもらえるのだろう、会って謝るためにはどうしたらいいのだろう。

気づいたら、そんなことばかり考えている自分がいた。

一方の島田もなるべく結衣子と会わないような生活を始めてから一週間が経ち、ため息をつくことが多くなっていた。

最初は向こうから避けられたとはいっても、ほとんどこちらから避け続けているようなものだ。

家にいるときでも玄関の鍵を閉めて居ないように装ったり、休みの日もなるべく家にいないようにしたり。

会って話をしたい、その気持ちはもちろんあるけれど、それ以上に自分が何を言ってしまうか。自分が何を言われてしまうのか。

その怖さが何よりも勝ってしまっていた。





「最近、全然島田さんたち一緒にいないけど二海堂たちは何か聞いてんの?」
「それがなにも……兄者はなんでもないよ、と言うばかりで」



二人の様子がどうにもおかしいということは周りの人間も徐々に気づき始めていた。

結衣子が配達にやってきていても、島田は彼女に会おうとせず、彼女もまた気まずそうに足早に去って行ってしまう日々。

人々は首をかしげるばかりだったが、だれも直接本人たちに聞いてみようという勇気は持ち合わせていなかった。

ただ一人の男を除いては。

その男は、今の事態がどうしても納得いかなかった。自分のことではないのに、どんどんと自分が惨めになっていくような気がしていた。

二人のためになんとかしなければならない、という気持ちからではなかった。

自分のために動かなければと思った。そうでなければ、あまりにも自分が虚しいから。

彼女に話しかけるのは久しぶりだった。

もしかしたら、久しぶりに話す内容ではないかもしれなかったが、それでも声をかけずにはいられなかった。



「……結衣子さん、島田さんと何かあったんですか?」
「松本さん……?」



懐かしいとすら思うほどに正面から見ていなかった彼女の顔は、ずいぶんと憔悴していた。

目の下には隈を作って、顔色は青白く、目はわずかに充血している。

いっそ痛々しく見えるその姿に、松本はぎゅっとこぶしを握り締めた。

もう見ていられなかった。一度は彼女に目を奪われていた自分にとって、こんな彼女を近くで見ているのはもう耐えられない。



「俺は、あなたにそんな顔してほしくありません。原因は島田さんですよね」
「……」
「今から島田さんを呼びます。話し合ってください。……内容によっては、俺が島田さんを殴りますから。なんで結衣子さんにそんな顔させてるんだって」



いつもおちゃらけていて、島田と付き合いだしてからはほとんど話すこともできていなかった松本の今までに見たことがないほどの真剣な顔に、結衣子は息を呑む。

どうしてそこまでしてくれるのか、そう聞きたかったけれど、それを聞いてしまったら失礼になることもわかっていた。

小さくうなずく結衣子の反応を見て、松本はここにはいない島田へと連絡を取り始める。

一部始終を見ていた将棋会館二階の休憩室の面々も、みな話をするのも忘れて二人に見入っていた。

決着の時が迫っていた。





自身のスマートフォンがポケットの中で静かに振動した。

今日は結衣子が配達に来る日だとわかっていた島田は、将棋会館近くの喫茶店で時間をつぶしていた。

彼女が立ち去った後に将棋会館に寄ろうとそう思っていた。

自分が臆病な人間だとはわかっていた。彼女との正面からの対話を避けている。

拒否されるのが怖かった。離れられるのが怖かった。他の誰かのもとに行ってしまうのが怖かった。

一度近くに来てくれた彼女を手放して、前のような一人の状態に戻るのはどうしても避けたかった。

すべて、自分のため。

ここ最近、何度ついたかわからないため息をこぼし、スマートフォンを取り出す。

届いたメッセージを確認した途端、島田は顔色を変えた。

彼女と向き合う時がやってきたのだ。

/ 次