オーナーから送られてきたメールは、すぐには気づくことができなかった。
夏風邪を引いてしまった日の夕方。
かろうじて病院には行けたものの、買い物をする元気はなく部屋には食料がまともにない。
そのことをわかってくれていたのか、「お見舞いとしてご飯になりそうなものを持っていく」とメールで伝えてくれていたオーナー。
喫茶店が終わった夕方以降に届けるから、という言葉にそれまで横になって待っていた早智であったが、気が付けばカーテンの隙間から漏れる光がオレンジ色になっていた。
そろそろオーナーがやってくる頃かもしれない、と体を起こそうとするものの、体中の鈍い痛みがそれを許さない。
なすすべもなく横になっていると、視界の端で何かが光っているのが見えた。
かろうじて視線だけをそちらに向けると、メールの受信を知らせる光。
手くらいなら伸ばせるだろうとゆっくりと手を動かし、携帯を手に取る。
送信元は、やはりというべきかオーナーだった。
夏風邪一つ程度のため、友人や家族には連絡はしていない。
[今日のお見舞い、宗谷君が持って行ってくれることになったから。夕方以降に持って行ってくれるはずよ]
うまく働かない頭で、その文章を何度も読み込む。
その動作を繰り返した後に、早智は一言だけ呟いた。
「…宗谷さんが?」
次の瞬間、待っていたかのように早智の携帯が震えた。
今度は着信を告げる光である。
ディスプレイに光っているのは、「オーナー」という文字。
メールの返信が遅れたことを心配しているのだろうか。
通話ボタンを押し、片耳に携帯電話をゆっくりと押し付ける。
不思議と向こうから声は聞こえてこなかった。
いつもならば、元気なオーナーの声が聞こえてくるというのに。
風邪によって渇ききった喉のまま、早智は口を開いた。
「オーナー?すみません、メール今気づいたばかりで…」
「……お大事に」
不意に聞こえてきた声に、思わず息を止める。
想像していなかった人物の静かな声。
一体、なぜ彼がオーナーの携帯から電話を掛けてくるのだろう。
お見舞いをするために一時的に借りていたのだろうか。
それとも、なにか別の理由があるのか。
熱に浮かされて頭がうまく働かない中で考えられることを一つずつ整理しようとするも、言葉に出すことができない。
何か言いださなければ、しかし何と言えばいいのだろう。
口を小さく開けたまま止まっていれば、電話口の向こうから車のクラクションが聞こえた。
そして同時に部屋の外からも同じような音がくぐもって聞こえ、重たい身体を強引にでも引き起こした。
もしかして彼は、すぐそばにいるのだろうか。
「…宗谷さん?」
早智が呟くと同時に、通話が終了したことを知らせる切断音が彼女の耳に鳴り響く。
なぜ返事をしてくれないのだろう。
タイミングが悪かったのか、それとも早智が声を掛けたことにより何か不都合があるのだろうか。
自分の思うままにならない体をなんとか引きずり、玄関の扉をゆっくりと開く。
ガサ、とドアの向こうで音がした。
適当なサンダルを履いて出てみれば、食料や飲み物が入ったレジ袋が脇に置かれていた。
「宗谷さん!」
コツンコツンと階段を下りる音が響いていたが、その音の主を確かめることはできなかった。
もう一度、精一杯の声を張り上げてみるもその音が止まることはない。
ある一つの可能性が、早智の頭に浮かんできた。
初めて会ったあの時も、たしかに彼はそうだった。
一度出てきた可能性が彼女の頭の中にこびり付いて離れなかった。
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