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 西明かりの時刻に


泣かせたみたいだったから、その涙を拭っただけで、僕はその行為自体に特に意味を持たせたつもりなど無かった。
ただ泣き時雨る彼女の姿を見ていると心がざわつき、落ち着きなど何処かに置き忘れてきたようだった、だから涙を一滴指先に伝わせた。

彼女は俯いていた顔を上げると、僕のその手のひらをそっと両手で包む。
僕は彼女の涙する理由も、ましてや手のひらを愛おしむように包まれていることの理由さえも分かりはしない。だってどれも口付けた後の不意の仕草に過ぎないのだから。


「どうして泣くの」
「わからない、……あなたが愛しいのかな、」


決して悲観などではなく、彼女はただ、透明な涙をぽろりぽろりと落とした。
先刻僕が口付けた唇は相変わらず桃色のままで、彼女の背に沈む夕陽だけが暗く紫紺に染まっていく。
西明かりが耳許に差し、揺らめく彼女の黒髪が、やけに艶やかに見えて瞬間どきりと胸が跳ねた。
鋭い空気が首元を突き刺すのが、僕と彼女を包むにしては違和感さえ残る気がする。


「もう一度、口付けてもいいかな」


彼女の白い頬に薄く涙の滴を這わせ、僕は彼女を抱きしめる。強く、強く抱きしめる。
僕と彼女の間には最早沈黙しかない。
耳朶、こめかみに瞼、額、頬とそれから。
小さな口付けを落としながら、僕は彼女を抱きしめる。


「うれしい、でもすこし、くるしいな」


愛おしく想われることがこんなに幸せなものだっただろうか、それをいたく思い知る。
僕が彼女を抱きしめる腕を緩めることはなく、口付けをもう一度だけ、そっと交わした。






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