短編ログ | ナノ
たとえばの話に手が届きそう

※学生松

「彼氏がねぇ」
「そうそう、それでね」

放課後の教室で友だちの話を聞いていた。彼氏がどうとか、好きな先輩がどうとか。お生憎、現在の私には縁遠い話題である。正直どうでもいいって思ってしまう私は、割りとドライなのかも。

「ねえ、苗字さんこっちきて」
「あ、うん」

すると、廊下から呼ばれた。返事をしてちらりとそちらを見れば、クラスメイトが立っていた。今日は委員会活動もないし、部活も休みだし…何の用件かな。友だちは自分の話を止めると、私の顔を見てニヤリと笑った。

「名前ちゃん、先生にお呼出しぃ?」
「ヤバ!なんかしたかな?ちょっと行ってくるわー」
「はいはいー」
「いってらっはーい」

間延びした、友だちの適当な返事。私はそれにひらひらと手を振って、クラスメイトの男の子の後について廊下に出た。階段を上って、上って、上って。ってあれ?職員室はこの階じゃないんだけれど。私はてっきり、職員室に呼び出しだと思っていた。それに、何先生が呼んでいるのかも知らされてないし。あれ?
些細な疑問がふわふわと心の中に湧いてきた。私には、先生に呼び出しを受けるような問題が思い当たらない。提出物はバッチリで、テストもそこそこ。素行も悪くはないし、学校の外でも悪さはしていない。
ただ少しだけ、スカートの裾の長さが規定より短いけれど、友だちのスカートだってみんなちょっと折ったり切ったりして短いのを履いているし、私ひとりが呼び出されて注意されることなんてないはずだ…と思いたい。

そんな些細な疑問がちょっとずつ重なって、前を歩く男子生徒にとうとう不信感を覚えた。私は本当に、先生に呼び出されたのだろうか。もし仮に先生の呼び出しがなかったとして、彼は私をこんなところに連れて来てどうしたいのだろうか。いや、ちょっと待って…彼は私にちょっと来て、とは言ったけど、先生が呼んでるとは一言も言ってないぞ。友だちが先生に呼び出し?ってニヤッて笑ったからそのつもりで教室を出てしまっただけで…あれ?

そこまで考えたところで、すうっと身体が冷えていく感覚に私は陥った。目の前の男子生徒は、確かに私のクラスメイトだ。声にも聞き覚えがあるし、怠そうに歩く背中だって、いつも目にする彼の後ろ姿以外のものには見えない。とりあえず、現時点で彼は、私のクラスメイトだった。

目的地を知らされないまま歩くのは辛い。いつもより階段が長く感じられるし、放課後だというのに、今日はやけに人気がないように感じられる。そんなことはないのに。今日だって、昨日までと同じ騒がしい放課後の時間はずなのに。

声を、かけてみてもいいのだろうか。そう思うものの、なぜだか喉が張り付いてしまっていて声が出ないのが困りものである。変に緊張しているのもあるし、ただのクラスメイトに対して、ほんの少しの恐怖心を抱いてしまっているのも関係しているのだと思う。
私の恐怖心なんて、彼にとっては迷惑以外の何ものにもならないのだろうけれど。それに、彼のことを全く知らないという訳ではない。だって、彼とは小学校が同じだ。係り活動が一緒だった記憶もある。中学は家庭の事情というやつで、私は彼と違う学校へ通うことになってしまったけれど、高校入学と共にまた同じ学び舎へ通うことになった。
私と彼の関係性を一言で述べるならば、クラスメイト。この表現が今の私と彼の間柄を表現するのに、最も相応しい言葉なのだろう。すこしだけ燻る気持ちが私にはあるわけだが、私も彼もそれ以上とそれ以下を望んでいないからだ。

三年という月日は、長いようで短い。私にとってみれば、あっと言う間だった。私の性格は人に好かれるようで、新顔の私を向こうの彼らは笑顔で受け入れてくれた。ませていたことも認めるし、はやく大人になりたいなんて思って、背伸びをしたオシャレに、お化粧も知った。先輩に憧れて、同級生と恋もして、それなりに楽しく過ごしていたけれど、六年間の厚みに比べれば、中学生なんてその半分しかない。
私自身、違う土地で暮らしたことによって変化があったと思う。けれど、再会を果たした目の前を歩いている彼の変容には、私の変化なんてほんの僅かなものに思える。だって、彼は変わり過ぎだ。私が知らない三年間のうちに、彼に、そして彼らに何があったのだろうと勘繰らせるほどに、彼を含むひとつだった彼らは六つになっていた。

再会を果たしたとひとくちに言っても、彼を含む六人の兄弟はこの辺りでは有名で、私は彼のことを、より正確に言えば彼らのことをしっかりと記憶していた。六つ子の中の彼としてみれば、私なんて存在は有象無象のうちのひとりで…。
親しくなったと思っていたのは私だけだった。三年の時を経てしまえば、私のことなんて忘れてしまったように、彼に苗字で呼ばれてしまったのだから。人と人とのつながりはあっけないものだと知らされた。もちろん、それ以降は私も忘れたふりをして彼のことを苗字で呼ぶようになったけれど、少しだけ寂しい思いを抱いているのは許してほしい。あと、今ちょっとだけ君が怖いよ。
「あの、」
やっと出た声は、小さかったが、ここは足音の響く廊下である。狙ったかのように人がいない。私の声は、確かに空気を伝って彼の耳に届いたはずなのに。彼は私の声なんてまるで聞こえなかったみたいに歩く足を止めない。もう一度声をかけてみたらどうだろうか。もしかしたら、本当に聞こえていなかったのかもしれない。
私はもう一度声帯を震わせた。しかし、彼は歩みを止めるどころか、さらにスピードを上げてしまった。これは、黙ってついて来いという意思表示なのだろうか。非常に分かりにくい上に、無視は良くないと思う。それとも試されているのだろうか。三回目の声かけになれば、一回目よりもスムーズに声が出るようになった。けれど、彼は早歩きのスピードを保って私の前を進んでいくだけ。

本当に、私はなんのために呼び出されたのだろう。私は、何も言わない彼の後を付いて行くだけだった。次第に恐怖心も薄れて、逆に腹が立ってきた。私は何の義理があって、この男に付いて行っているのだろうか。私にはもう、彼に付いて行った先で名も知らぬ先生が待っているとは、到底思えなかった。
しかし、何の理由もなしに彼が私を呼び出したとは考えにくい。私はからかわれているのだろうと思った。ただしこのときの私は苛々で正常な判断を下せていなかったことを自白しておく。

でなければ、もしかしたら、目の前の彼はその容姿を活かしてクラスメイトに成り済まし、私を悪戯の標的にしたのかもしれない、と思い付くこともなかっただろう。六つ子の特性を活かした手の込んだ悪戯だ。彼らのうちのひとりが、自分以外の誰かに成り済まして、クラスメイトを騙して遊ぶというゲームなのかもしれない。誰かが成り済ましたひとりを、その人だと勘違いをしてほいほいと付いてきた人間を嗤うためのゲームに私は巻き込まれているのかもしれない。あ、なんかムカッときた。

私を舐めるなよ。三年のブランクがあったかもしれないが、私の観察眼は健在じゃ!心の中だけで叫ぶと、私は足を止めた。私の足音が聞こえないことに気付いたクラスメイトは数メートル先で立ち止まって、ぐるんと慌てたように振り返った。じっとその顔を睨むように見つめる。そしてすうっと息を吸って言ってやった。
「なにがしたいの、一松」
すると途端にマスクで隠れた相手の顔が、中心から真っ赤になった。え、なんでそうなる!予想していた反応の斜め上のリプが返ってきて、怒りの感情をどこへ向ければいいのか分からなくなってしまった。変に焦った私は、思わず彼に駆け寄っていて、俯く顔を下から覗いた。
あれ。これ、あの一松だよね?真面目を捨て去り、超ネガティブ人間に成り果てたあの一松だよね?くそつまんなそうに授業受けてて、自己否定の呪いにかかってて、排他的で閉鎖的な…一松くん?



彼は名前が言い当てた通り、松野家四男の松野一松だった。
うそだ、なんで。僕の名前…名前ちゃん、僕のこと覚えてたの?頭の中、すごく混乱してる。顔が熱い。恥ずかしさと喜びとで、名前ちゃんの方を見ていられなくなった僕は、俯いて目を逸らすも、彼女の方から自分に近付いて来られて、尚かつ彼女を視界に入れたくなくて俯いたのに、逆に下から覗き込まれて、僕はもうどうしたらよいのか分からない。
一松は、高校生になった今も、きちんと自分個人を識別し、名前を呼んでくれた彼女に言葉では言い表し尽くせぬほどの感動やら喜びやら嬉しさを抱いていた。その気持ちが顔を染めることによって現れ、僕の期待以上の強い視線が自分を射抜いていることに感情が昂った。

僕は小学生の頃から、トト子ちゃんとはまた違った雰囲気の名前ちゃんになぜか惹かれていたんだと思う。知らないうちに好きになっていて、その思いを自覚したのは中学生になってから。僕の思いつきもしないような事情で、名前ちゃんが中学にはいなくて、名前ちゃんがいない生活ってこんなにも苦しくて味気なくてつまらないんだって分かった。
なんやかんやで僕は、高校生になっても初恋といものを拗らせている。まさか僕が、こんな女々しいやつだとは思ってなかった。

小さい頃は名前で呼んでたけど、期待を裏切られるのが嫌だという気持ちと、照れくささがあって、高校でまた一緒の学校に通えるようになってからは苗字って苗字で呼んでるけど、ほんと自分から呼び始めたことなのに彼女からの苗字呼びはかなり落ち込む。ほんと身勝手だよね、僕も自分が嫌になるよ。
でも名前ちゃんにしてみれば六人のうちのひとりで、当時は名前を呼んで識別してくれていたけど、今はどうかわからない。覚えてもらっている自信ないし…。
もしかしたら自分のことを忘れてしまったのではないかという恐怖心は時間が経てば立つほど膨れて行った。それに素直に思ったことを口にできるような人間には育たなかったので、同じ学校にいても拗らせた想いを募らせることしかできなかった。

それで今、二年生になり、同じクラスになると心が躍ったが、日に日に自分の中で抱える想いの重たさ苦しさつらさに耐えられなくなり、ついに行動を起こしてしまった。それが、イマココの状態である。
発作的かつ衝動的に放課後、教室で友だちと過ごしていた名前ちゃんを呼び出した。彼女を呼び出したはいいものの、その先のことをほとんどなにも考えていなかった。むしろ、こんなにもあっさり自分に付いてくる彼女が不思議でたまらなく、そしてまた同時に愛おしく、改めて好きであることを自覚させられて、自分のことで一杯いっぱいになっていた。
だから、彼女の声かけにも応じることができなかった。自分の後を付いてきていた足音が聞こえなくなったのにやっと気付いた僕は、不安になり勢い良く彼女の方を振り返った。
『なにがしたいの、一松』
と、自分の名前を彼女の唇が零したとき、全身に電流が走るほどの衝撃を受けた。うそでしょ、なんで。僕が誰か判別できるなんて、やっぱり名前ちゃんすき。
「えっ…!」
ぎょっとした名前ちゃんの声が聞こえる。それから、目元に押し当てられたハンカチ。視界がぼやけててよく見えない。ピンク色はトド松の色だからあんまり好きじゃないけど、猫の柄っぽいのが見える。洗剤か何か、うちとは違う甘い香りがする。名前ちゃんの匂い。
ほんと僕かっこわるい。呼び出した後のことなんて何も考えてなかった。名前ちゃんの前で泣くとか…とんとんと優しく顔を押さえられて、そっと背中に名前ちゃんの手が回った。密着感に僕は身体中が沸騰したみたいに熱くなる。

「落ち着いた…?」
「…うん……ごめん、ハンカチ…」
「いいよ、別に。なんか逆にごめん…私が泣かせたみたいだし。ほら、目的地に行こうよ。騙されたままついて行ってあげるから。悪戯か何かの途中なんだよね?」

「えっ、あ、ちっ違う!」

「えっ違った?なら、ごめん。てっきり私、悪戯の標的にされたのかなーって歩いてる途中で思っちゃって、だってほら、昔はよく別の兄弟に成り済ましてたでしょ?」
「…うん…でも、今は違う。僕は、その……名前ちゃんの前では僕でいたい、名前ちゃんには…その、僕が…他のどの松でもなくて、松野一松だって分かっててほしい、んですけど…」

「それってつまり、名前で呼んでってこと?」
「…昔みたいに、僕も。名前ちゃんのこと、名前で呼びたい、から…」

しどろもどろで、心臓ばくばく。絶対寿命が縮んだ。でも、名前ちゃんがニッコリ笑顔になって、僕の名前を呼んでくれたから、もう少し長生きできそうだと思った。

「改めてよろしく、一松!」

たとえばの話に手が届きそう

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20160125
20170930加筆修正
title by ゾウの鼻(http://acht.xria.biz/)

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