籠屋本編 | ナノ

三.菊花百景
111.



「ゆっくりで、いいから……」
「いやすまン羽鶴、責めたわけじゃなくてフツーに聞いたンだけど俺ぁどうもそのまま聞いちまうみたいでよ……」
「朝日ちゃんはお茶を飲むのに忙しかった!」
「視線が集まるとかあっとなりますよね」
「白鈴それフォローになってないンじゃ」
「えっ羽鶴さんの受け取り方次第でどうにか……!」
「鈴ちゃん丸投げ〜!」
「はつる、息してるか……」
「あ、はい、うん……ありがとう……」

 わりかし騒がしい中で口を挟む隙を無くしていた羽鶴に気持ちの余裕を寄越した香炉は変わらず無表情のままちんまりと座って茶を啜っている。どのように生きればこのような観察眼と配慮が身につくのだろう。自分の周りはすごいなぁ……と、途方も無いことを思いながら羽鶴はぽつりと言った。

「大瑠璃と宵ノ進のところに鉄二郎さんが行くらしいんだけど、二人が休んでるから邪魔したい」
「おお……見事に言葉を選ばねえな……」
「そういうの苦手で……ああいや、今度にしてほしいんだけどさ」
「鉄二郎さんの状態にもよりますよねそれは……」
「おいおいお前らすばめ屋の若だからな? お得意さンだからな?」
「はつる、やめとけ……」
「若の助本人か虎雄様にお願いしたらいいじゃん〜! 回りくどいことされたら怒ると思うよ〜!」
「誰だ若の助って」
「多分テキトーにあだ名付けたンだ気にすンな」
「ていうかもうお部屋行ってるんじゃないかなー」
「ううむ……」
「ありゃりゃ、鶴ちゃん悩んじゃった」
「あーもー俺と様子見に行くか羽鶴〜、ほれお膳片して行くぞ!」
「危険域に踏み込むとは二人ともやりおる!」
「朝日本当に風邪治ったンか?」

 朝日がキラキラした笑顔でダブルピースしている。私は行かないがやめとけとは言ったぞ、と現看板が暗にも何も告げているのだが、香炉と朝日の制止を羽鶴が聞かぬので立ち聞きになろうとも連れて行って落ち着かせる他あるまい、と内心で煙管を嗜みながら煙の輪っかを浮かべた雨麟なのである。
 待っている間もきっとこんこん悶々鬱々としている様子が浮かんでしまって、羽鶴が見た“何か”の影響が大きいのだろうと一人思うも、やはり心配で。できごとの感じ方は個々に違えど、虎雄に覚悟を決めろと言わせる程の物事が爪痕ひとつ残さぬ筈がないのだ。
 お膳を厨房へ返した羽鶴に先程までいた部屋の場所を訊ね、座敷を出て隣を歩く雨麟はふわふわの銀髪が普段よりも床を見て歩く様子に胸の内がもやもやした。放っておけばいいものを、首を突っ込んでしまった。引き寄せ刀を倒そうという羽鶴との内緒話に後悔など無いのだが、おそらくは関係している事柄を覗いた時点でだいぶ傾いてしまっている。染まる、と言った方がしっくりくるのかもしれない。この何にも知らないようで時に頑なな、人らしい子供が他者に影響される度、新雪を踏まれた心地になるなどど。
 無言のまま二人は大瑠璃と宵ノ進が休んでいる部屋へと向かった。秋の夜とはいえ、籠屋の中は暖かい。けれど、纏う空気が冷えているような気がした。廊下の先、灯りの浮かぶ障子の先は静まり返っている。
 雨麟は障子に映らぬ手前の壁にそっと背を預けて座り込んだ。隣に立ち耳をそばだてる羽鶴は気づいているだろうか、いや、いらぬ心配なのだろう。
 朝日の言う通り既に虎雄と鉄二郎がいるらしく、よく通る二人の声が障子越しに聞こえてきた。

「その化け物、引き寄せ刀を潰せば宵ノ進は自由になるんだな」
「だから物騒だから落ち着きなさい。アンタ何焦ってんのよ。ああ今のは忘れて頂戴、散々話したもの」
「俺にオカルト絡みの心当たりがあるんだが、助けにならねえかぃ」
「そいつが死ぬかもしれないよ」

 大瑠璃の声だ。既に引き寄せ刀の事も知れている。虎雄は相当骨が折れたろう。

「宵もおまえが巻き込まれてしまうのが怖かったんだよ。解った上でそう言うの」
「でも、俺は助けてって言われた。宵ノ進の話や、あん時の様子からするに、その宵ノ進はもういねえ。おかしいと思ってた事の辻褄が合っちまった。俺との思い出も忘れてた。怪我する度にそうだったんだ。何が引き金になるのかはわからねえが、自分を追い詰めて最後に人格が死んだ。……その化け物が、そう仕向けてるんじゃねえのか。今まで何度も橋から飛び降りたのも、そうじゃねえのか。その化け物に関わるなって言われたってよ、その間に宵ノ進が削れちまう。それは俺には耐えられねえ」

 返答が無かった。言葉に詰まる大瑠璃が珍しいように思えた。

「姿が見えねえ化け物なら、姿を見ねえで潰せばいいんだ」
「強引な所、少しは直したらいいんじゃない」
「でもよ、実際そうだろう。こういう類は手を出しちゃあいけないってよく言われてるだろ、だから俺の心当たりにその辺のガードを頼むってえか。その上で俺にできることをするんだ」
「なんだか完全にその心当たりが死ぬ気がするんだけれど」
「そこは聞いてみるけどよ。だってよ、これ完全に呪いの類だろ? 橋から飛び降りたり、怪我させられたり……本人を衰弱させ……」

 鉄二郎の話を遮るようにして、静かな秋の夜、庭の向こうから叫び声にも似た嗤い声が響いた。
 その嘲笑に身震いした雨麟と羽鶴のすぐ横の障子が勢い良く開くと眼を大きく開いて外を見遣る鉄二郎が二人に気がついた。

「……今のがその化け物かぃ」
「俺らは知らン、声も聞いたこと無かった」
「すみません、僕がどうしてもって頼み込みました」
「ここ全員化け物に嗤われたことになるんだが」
「アンタら、寒いから来なさい。あいつは籠屋の外だから、そう縮こまらないの」

 二人が中へ入るのを待って、鉄二郎が静かに障子を閉めた。大瑠璃の膝上では変わらず宵ノ進が眠ったままで、虎雄と鉄二郎分の座布団が出してあるばかりだった。虎雄が動こうとするのを制した雨麟が押入れから二人分の座布団を引っ張り出して敷いてくれたので、促されるまま羽鶴は雨麟の隣にちょんと座した。

「今ここにいる全員、化け物に関わったことになるよな?」
「そうね、あからさまに嗤ってたわね。アンタ今日も泊まっていきなさいね、日が暮れたから外は危ないわよ」
「昴とできる野郎共に任せてきたから明日帰ればなんとかなるがよ。すまねえ俺の我儘で」
「だいぶ長い話し合いだわァ。今度良いお酒教えて頂戴」
「もちろん。はあ〜あ寝てる宵ノ進も可愛いなぁ。嫁に欲しい」
「本人が寝てるから話が進むのよね。この子起きてたら話題が逸れていくもの」
「嫁に」
「やらん」

 ぴしゃりと言い放った大瑠璃はやや不機嫌である。

「それで、今のやつに目をつけられたならどうすればいいわけ」
「夜に出歩かないことよ。それ以外はわからないわ」
「わからないと言やぁ、何であの医者と旅行に?」
「気休めよ」
「気休めだね」
「夜他の場所にいて無事帰って来れるならうちにも泊まれるんじゃねえのかぃ?」
「夜出かけないって制限付きなのよ。それに準備がいるのよ。アンタさらっと持ってこうとしないで頂戴」
「鉄二郎さん宵ノ進が好きなんですか?」
「おうよ、嫁に欲しい」
「鶴やめてあげて」
「? うん……?」

「まぁともかくも、鉄二郎の心当たりとやらを期待しないで待ってるよ。ちゃんと危ないのは説明しなよ」
「わかったわかった! じゃあ俺は今日ここで寝」
「ふざけてないで客間行けや」
「はァ〜やっと解放されるわァ〜! はい解散!」

 虎雄がその図体に似合う大きな手をぱちんと鳴らして長い話し合いは漸くお開きになった。羽鶴が首を傾げる中、香炉と朝日が止めてくれた理由を噛み締めた雨麟が浮かない顔をしているのを、大瑠璃の黒い眼が静かに見ていたのだった。




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