籠屋本編 | ナノ

三.菊花百景
109.



 羽鶴が書き物をしている間、膝上の黄朽葉色の髪をふわふわと撫で付けながら夕暮れ時を見遣る大瑠璃は、ひやりと肌を撫でる秋風に一度瞬いた。膝上の幼馴染はじんわり温かく、その温もりと重みとが愛おしかった。触れれば温かく、互いに熱が移りなおのこと撫で付けては、すぐさま心地を秋風にさらわれて。
 昨夜の雨で冷えた庭をなぞる夕日に知らず撫でる白い手が止まる。できるだけ傍らにいてやらねばと思ってしまう。硝玻のように奪われてしまうくらいなら。
 すばめ屋の若は過保護だと言う。未だ虎雄と話し込んでいるだろうあの男は助ける為に動いていると言うが、取り繕ってきた強がりを剥いで何を助けるのだろう。少し落ち着けと喧嘩になったはいいが、これだけ長引く話し合いから生まれる策とやらが幼馴染を追い詰めないものであるのを祈るばかりで。

 待たせる間が長過ぎた。普段はそうかぃじゃあ今度と引いて待った鉄二郎が我を通して居座るなど、昔幼馴染を無断で遊びに連れ出した折に謝罪の後、今後も関わる事を許されるまで帰らないと虎雄に言ってのけた他に思い当たる場面が無い。あの頃は、こちらへ連れられて来てからそう慣れてもいなかったから虎雄も気が張っていたのだと思う。ああ、その頃とは違うのだけれど。漠然と、物事が押し進んでゆく居心地の悪さがあった。

「鶴、閉めてくれる」
「うん」

 障子を閉めた羽鶴が卓袱台の上に散らばっていた紙を揃え鞄にしまうまでの間身じろぎひとつせずにいた大瑠璃は、密やかに息を吐く。この膝上の温もりは、誰のものでもありはしないのだけれども。

「補習は終わったわけ?」
「うん大体。わからないところはわからなかったって聞くから」
「そう。香炉が待っているから座敷へ行くといいよ鶴。こっちは多分すばめ屋の馬鹿が来るからね」
「大瑠璃今日は食べないの? 宵ノ進も寝てるし話は今度にしてもらったら?」
「おお……鶴がまともに話すとは……」
「お前僕をなんだと思ってるんだ。こう、なんだかよくわからないけど今宵ノ進を起こして色々話してもすこーんと抜けて聞いてないような気がする。なんか寝かせといてやりたい」
「まあ、引き寄せ刀が絡むとね。知ってる? 鶴。身体は言葉を聴いているんだって。眠っている間も。何を思って触れているのかも憶えているのだって。善い言葉、善い声音、善い感情ばかりを思い出せるようになるといいね」
「僕がしたことは真逆な気がする。でも、あれは押し込めてたらもっと違う形で出て来た気もする。良いことをしたつもりもないけど、僕は、そうだな。宵ノ進がしんみりするの見てられないからできることをしてみようって思った。あんまりうまく言えないけど」
「存在しているだけで充分なのにね。変わらないものなど無いけれど。向き合う機会は必要だった。宵が受け入れる形で。ただ、いつまでも……」

 そばにいてやれるだろうか。

 大瑠璃が顔を背けて咳き込んだ。片手で口元を押さえて背を揺らす。治まらずに次第に激しくなる様を、伸び揃いかけた黒髪が遮り羽鶴は慌てて近くへ寄って膝を折った。

「大瑠璃、誰か……ううん医者……!」

 よろけながら駆け出そうとした羽鶴の視界に伸びた白い手が映った。長い指が制服のシャツに皺を寄せ、羽鶴を側に引き戻す。

「おまえ誰も呼ぶなってか……!?」

 咳き込み続ける大瑠璃の、白い指がシャツを引く。ああ、誰が、誰なら知っている。普段ならば呼ばずともすっ飛んでくるような膝上の板前は起きる気配もなく、無理に起こせば今どうなるかわからない。朝日は寝込んでいる。大瑠璃は、雨麟や香炉、白鈴に話すだろうか。

「そうだ、店長……!」

 虎雄はどこかの部屋で鉄二郎と話しているはずだ。

「いい、から」

 掠れた声でさえしっかりと意思が乗る。大瑠璃の黒い眼は尚の事、決め事を譲る気は無いようだ。
 投げ掛けようとした言葉をひとまず仕舞うことにして、羽鶴は小さい咳をしながら呼吸を整えようと努める大瑠璃の前に座り直した。離れた白い指に、先日の怪我を思い起こす。湯呑みで指を切った時は小言は言えどおとなしく手当てされたやつが止めるのだから、言い分があるのだろうと静かに待った。

 大瑠璃は、たまに咳をしていなかったか。

 ぶわりと胸の内に憶測が広がる。じりじりと上り詰める不安を掻き消すようにして、羽鶴は膝枕されたまま身じろぎひとつしない板前に視線を移した。
 幼馴染。咲夜の話や先の血濡れの面の姿を思うに、彼らは幼くして離れ離れになったらしいが、その余所者からすれば僅かと言える間にこの芯が梃子でも揺るがぬ大瑠璃に幼馴染と言わしめるほどの心の通った相手。そう思うと、何も言えない。見るからに大切にしている間柄に不用意に入り込んで一線を引かれることを恐れていた。おそらくここの優しい人たちは、気に留めたところでそれを伝えてくれる上、他者を蔑ろにはしないのである。

「鶴、誰にも言わないでくれる」

 声量の落ちた大瑠璃が静かに言った。色白の肌は夕暮れも相まって影が降りたように映った。

「うん。でもすごく辛そうだったから、もしそうなった時はどうすればいい? ほっとけは無しで」
「はあ。生まれつきだからどうしようもないのだけれど。杯から薬をもらっているから鶴がすることはないよ。治まるまで待つだけだからね。うわ、むくれないでくれる。ああもう、倒れでもしたら虎雄か宵を呼んでくれる」

 大瑠璃は内心で盛大な溜息をついた。この類の強情に付き合ったばかりでできればしばらく遠慮したいと思っていたところにもう一人いた。幼馴染と対面していた時もこの強情が発揮されたようであるから、おそらくは無自覚で、それゆえに面倒である。伝えるのは簡単だが、浸透はしないだろう。何より会話するにも気力がいる。

「わかった。ねえ、もう大丈夫なの? お水とかいる?」
「大丈夫だから。香炉の所へ行っておいで」

 大瑠璃にやんわりと追い出される形で羽鶴はしぶしぶながら鞄を持って部屋を出ることとなった。




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