少しだけ足早に。


 流れる景色ばかりを見ていた。
 景色といっても、とっくに日が落ちた中で見えるのは人工的に作られた灯りだけ。それに人通りの少ない路地裏を歩いているので、肝心なところから逸らしたままの目に映るのは昼でも夜でも変わり映えのしないコンクリートが多かった。
 夜の少し冷えた空気の中、ほんのりと暖かい右手。そこからむず痒い疼きが全身に広がっているようで臨也は無意識に身震いしていたらしい。
「寒いのか?」
 右手と繋がっている左手の持ち主から問われ、その意外に冷静な響きになんとなく負けた気分になる。どうも調子が狂っていけない。この声は駄目だ。特に今日は。
「違うよ。……寒くなんかない」
 それだけ言うと、繋いだというより握りしめた手を強く引いた。
 暗闇の中で痛いくらい眩しいネオンに装飾された建物。立地を考えて頭の中の地図を開けばここが一番近かったので真っ直ぐにここを目指した。
 ほぼ人とすれ違わずにストレートに来れたけど、その短い時間でも治まるかと思えた熱は逆に高まり、唯一触れている手のひらが汗でぬるついてしまってる。この男相手に、そんな些細なことが恥ずかしくなる時が来ると思わなかった。
 ──躊躇したら駄目だ。
 少しでも我に返れば、この恥ずかしさやら悔しさやら怖さやら色んな感情が混ざって、いつも通りナイフで切りつけて逃げ出してしまいそうだった。
 足を踏み入れた、外観は派手なラブホテルも中は案外落ち着いていて、この手のホテルにしては明るく綺麗に纏まっている無人の受付で手早く部屋を選ぶ。週末ということもあり、ほとんどの部屋が埋まってしまっていたが、値段の高い部屋はやはりというか何というか空いていた。
 どれだけの設備か知らないがお高い部類に入るだろう。だが、この程度の値段なら臨也には何の問題もない。問題があるのは静雄の方だったようで。
「おい、ちょっと待て。高すぎんだろ」
 それまで黙って為されるがまま付いてきたのに、ここにきてこれだ。確かに静雄の価値観からすれば無駄に高いだろう。下手な普通のホテルと比べたって高い部類に入る。
 だが問いたい。じゃあどうするのだ。
 この部屋以外では最低ランクの部屋になってしまう。最近はラブホテルだって綺麗に造られているけど、臨也は本来シティホテルの方が好きだ。衛生面やサービスなども考えるとそれも当然で。
 だからせめて高い部屋で、と思っていた。
 気持ちが焦っていたのもある。妙に落ち着いている静雄と違い、こちらは手汗どころか、ありとあらゆるところに汗が滲んでいるようで、気付いてからとにかくシャワーを浴びたくて仕方がないというのに。
 むっとしたまま、言葉は無視して一番高い部屋のボタンを押した。
「あ!てめえ!」
 臨也の瞬発力は静雄にも劣らない。もともと捕まりさえしなければ怪我を負うことも少ないのだ。
 何か言いかけた静雄を力いっぱい引くと、スウィート部屋がある階へ繋がる方のエレベーターへ押し込んだ。多少なりとも抵抗されたら静雄の力には敵わない。すんなりいったということは、結局この男だって流されているのだ。こんなホテルの入り口で男同士言い争っているのは得策じゃない、と踏んだだけかもしれないが。
 渋い表情で回数表示を目で追う横顔を盗み見れば、後者の可能性が強く感じられて胸に諦めのような複雑な感情が入り混じる。
 臨也は流されてても良かった。むしろ雰囲気に流されてしまえばいい。どうせ戻れないところまできてしまった関係なら最後まで降りたくない。この男と一緒に居て冷静になるなんて、どだい無理な話なのだ。

 狭い個室が上へ移動する間、会話はなかった。
 扉が開き、赤いランプが点滅している部屋へ誘導されるように入ってからも何を言ったらいいかわからない。ただ、やっと上げれた顔が、こちらを見ていた静雄と真正面からぶつかって肩の力が抜ける。
 自分でも知らず緊張していたのだと知り、思わず声に出して笑ってしまった。
「……何笑ってやがんだよ」
「いや、うん……はは」
「笑ってんじゃねーっつーの」
 途端、目が据わった静雄もいつも通り。こうでなくては面白くない。自分たちらしく、ない。
 笑いながら見渡した部屋はかなり広い。
 入ってすぐに大きめのラブソファと対面にこれまた大きなテレビ、ラブホテルらしく電子レンジやケトルなど一通り設置されている。冷蔵庫の中身も手早く確認してみたけど、有料なのは当然だったがそこそこ揃っていた。
 あちこち感嘆の声を上げながら見て回る臨也を、最初こそ苦虫を噛み潰したような顔で眺めていた静雄だが、次第に興味が湧いたのかテーブルに置いてあるサービス表やフードメニューをぱらぱらと捲りだす。
 その横にいくつも並んでいたリモコンのひとつを手に取ると、カラオケのリモコンだとでも思ったのか適当にボタンを押した。すると。
「おお」
「あーすごいねえ!」
 パーテーションで仕切られた奥にキングサイズのベッドが鎮座していて、そこから斜めに見上げる角度から、なんとホームシアターのスクリーンが下りてきた。
 さすがに高いだけある。満足してうんうんと一人頷く臨也は、こういう風にホテル等の設備を確認して騒ぐのが好きだった。もちろんいつも一人で。
「どこ行くんだ」
 何事にもリズムがあるよね、と、目が覚めたように鼻歌でも歌ってしまいそうな気分でバスルームに向かうと、早速火を点けた煙草を咥え後を付いてくる。こちらも剣呑さは影を潜め、軽い足取りだ。
「お風呂入るからお湯溜めないと。汗かいたから気持ち悪いしさ。あ、入浴剤の種類多いなあ!どれにしようかな?シズちゃんはどれがいい?俺はあんまり匂いの強いの好きじゃないんだよね。なんか香料きついと肌に悪そうな感じ。トイレの芳香剤じゃあるまいしさ、やっぱり柔らかいふわっとしたのがいいなあ俺は」
 とりあえず適当に温度を調節して湯を張りながらアメニティをごそごそ探った。最近はこういう細かいところに手をかけて女性客を集めているので、さすがに色々と種類が豊富だ。タオル類まで全て個包装されているのは値段の高さゆえなのだろう。
「サウナも広いねえ!結構綺麗だし檜のいい匂いがする」
 バスルーム自体もかなりの広さだったが、併設されていたサウナも随分と余裕のある空間が広がっていて、テンションが上がりっぱなしだ。
 ──こういうの好きなんだよねえ。あっちにあったマッサージチェアも良さそうだったな。
 臨也がまたしても一人で騒いでいるのを放置して、風呂場まで無駄に広いな、と、キョロキョロと物珍しげに辺りを見渡していた静雄は、楕円形のだだっ広い浴槽の隣にある銀色のマットに目を止めた。
「なんだこれ」
「ローションプレイ用のやつだよ。その上で塗って遊ぶの」
 あまり興味がないものだったので投げやりに使用法を伝える。すると、へえ、と、ほんの少し目を瞠って、ご丁寧に洗面所にまで置いてあった灰皿で煙草を揉み消した静雄に、アメニティを引っかき回していた腕を捉えられた。
「え、ちょっ、何してんの!?」
 そのまま着ていたシャツを捲り上げられ、子供にするように強制的にバンザイの姿勢にされて、するっと取り払われる。しかもそのままポイっと無残にも床に投げ捨てられた。
 抵抗してもその都度がっちり押さえこまれ、あれよこれよという間に素っ裸に剥かれる。少し乱暴なのに迷いのない手つきは素早くて、恥ずかしいと感じる暇さえない。結構面倒な造りをしていたベルトのバックルが千切られ犠牲になったのだけは、あとで復讐してやると心に誓った。
「……俺はお風呂入りたいって……!」
「あー?だから風呂入んだろ」
「ちょ、うあっ……!」
 いつの間にか倒されていたマット。その上に放物線を描いて宙を飛んだ。
「……っつー!何すんのさっ……んむっ」
 厚いマットに救われはしたが、それでも大の男一人が勢いよく降ったら生易しい衝撃ではなく痛みが走る。下になった腕が特に痛くて放り投げられたまま摩って文句を言ってたら煩いとばかりに口を塞がれた。
 キスされてる、と、脳に到達するのは早かったのに他の理解が遅れてしまったのは仕方ないと思う。
 投げられる前にお湯を溜め始めていたので、バスルームの中は湯気が立ち込めてきていた。見えないわけではない。何せ一番確認したい相手は肌が触れているわけで。
 そう、肌が直接触れているのだ。
「んっ……!あ、ふぁ……ん」
 え、いつ脱いだの?投げてから?早すぎない?と、ぐるぐるしてる間にも口の中を舌でかき回されていて息が上がる。
 上がるのは息だけじゃない。暖かい肌が触れているところから熱もじわじわ上がってきて、引く余地もないのに腰を引こうと揺らしてしまったところを唇を離した静雄にまじまじと見られて最後にはカッと頭に血が上った。
「見るなよ!」
「見るだろ。これ」
「ひっ……!」
 空気に晒されて半勃ちになってることくらい気付いていた。でも、まさかそれをいきなり鷲掴みされるとは思わなかった。
「痛っ!シズちゃん痛いってば!」
 開いた両足の間に静雄が割り込んで上に被さっている状態で、下は柔らかいマット。マウントも急所も握られ、押し返そうとしても腕が震えてうまくいかない。
「ああ?ごちゃごちゃうっせーなぁ」
 面倒そうな響きで舌打ちのオマケまで付いたけど幹全体を掴んでいた大きな手のひらは緩められ、今度は敏感なくびれを囲われて親指の腹で先の割れ目にぐりぐりと刺激を与えられた。急な感覚に腰が跳ねる。
 ぷくりと先走りが溢れ、お、出てきたな、と言いながら静雄がそれを伸ばすように馴染ませていくと性器がグンと膨れ硬くなるのがわかって、恥ずかしさで憤死しそうだ。
 なんでこんなに抵抗がないのかわからない。確かに静雄は臨也と「セックスする」と言い切った。
 言ったからには男同士がどうするのか、仕事柄、耳に入って知識はあるのだろう。実際に経験がないのは臨也と同じで間違いないのに、躊躇いもなく同性の身体に触れてくる。
 女を抱いたことは、あるんだと思う。そこまで調べたことはないけど、特に水商売系の女には受けがよくて、本気で入れこまれてるという話は何度か耳にした。
 その時は、シズちゃんの好みってもっと家庭的な感じじゃないかな、と思っただけだったが、その後からなんとなく波江と一緒にキッチンに立つ回数が増えた理由は今は考えたくもない。それこそ恥ずかしさが倍増しだ。
「すっげ、ぐちゃぐちゃいってる」
 お湯を溜めてる水音に紛れて上下にペニスを擦るくちゅりという音はそんなに聞こえなかったのに、興奮した声で実況されては堪ったものじゃない。
 自分の身体がどうなってるかわからない不安。思わず閉じていた目を開ければ、自分の脚がはしたなく大きく開かれている。その間で浮いた腰を片手で支えた静雄が、あと数センチというところまで顔を近づけ臨也の濡れて赤く色づいた性器を弄っていた。
 視界に入った光景は暴力的で、殴られるよりも強い衝撃がくらくらと頭を襲って変な声が止まらない。
「ひ、ひぁあ、やっ!そこ、息がっ……!やあっ!」
 静雄の声も自分の声も耳に入れたくなくて、手で耳を強く塞ぐ。その分感覚は鋭敏になっていって、近過ぎる静雄の口から漏れる吐息が性器にあたって、くすぐったさに身を捩った。
 と、さらに深く身を屈めた静雄があろうことか竿のくびれを舌先でくるりとなぞったのだ。
「あ、やめっ……!ひっ!」
 僅かに口を開けて、裏筋を唇で吸うようにしながら上から下へゆっくりと熱い感触が下りてくる。それに反比例して背筋には腰から上へぞくぞくと快感が上っていって背中をぐぐっと反らしてしまった。
 それが腰を付き出す格好になっているのも、もうどうでも良かった。熱くて、汗でぬめった背中が滑って上手く体を動かせない。
「使う必要ねえくらい濡れてんな……」
 ま、でもせっかくだしな、と、面白そうに静雄が言った声も、力の入らなくなった腕は耳から外れていて聞こえていたのに。
垂らされたヒヤっとしたものも咄嗟に何だか判別はつかないほど、頭は馬鹿になってしまっていたらしい。
「……冷たっ!う、な、なに……?」
「これだろ?さっき塗って遊ぶっつったじゃねーか」
「それ用とは言った、けど、別にしたいって言った訳じゃっ、ないいいっ……!」
 プレイ用にと置いてあるだけあって大きいボトルにたっぷりと入っているローションを、水遊びでもするかのようにドボドボと撒き散らされる。冷たい液体は体温で溶けてすぐに肌に馴染み、とろりと全身に絡んだ。
 だいぶ量が減ったボトルは服同様に投げ捨てられ、カンカンとぶつかりながらバスルームの隅に転がった。反響した音が大きく響いて、いつの間にかお湯が止まっていたことを知る。
「シズちゃん、俺、お風呂入りたいんだ、けどお!」
「手前さっきから風呂風呂うるせーなぁ。あとで入るんだから同じだろ」
「同じじゃないっ……て!ちょっと、顔近付けないでっ!」
 重なった身体は肝心なところが触れ合ってない。
 静雄もタイミングを計っているのか、それとも本能で焦らしているだけなのか、どちらにしろ手で撫でまわされているだけでも距離が近いことには変わりない。
 展開が急だったせいで抵抗らしい抵抗もできなかったが、口を動かしているうちに頭も働きだして、細身の身体のわりに厚い胸板にぐぐっと手を突っ張った。静雄の身体にはローションは付いてないし、少し滑るのは爪を立ててストッパー代わりにする。
 立てられた爪で傷など付かないのに、首をぶんぶん振って顔を逸らせた臨也の態度が気に食わず、眉間に深い皺が刻まれた。唸るように声を絞りだして、静雄にとっては赤子の手を捻るのと同じレベルで弱々しい抵抗を一蹴。
「て、め、え、は、よおおおおっ!」
 往生際わりいぞ!と、ぞんざいに腕を上へ纏め上げられ、耳たぶを舌でぐりぐりと舐めてきた。力の入れようによって柔らかい部分が舌から逃げぷるんと揺れる。
 逃げれば追うのは当たり前。そのまま耳の穴に舌を差し込まれた衝撃で、触れないようにプルプルさせていた内股の力が抜けた。静雄の腰を挟みこんで下半身が密着する。
 静雄の硬い感触が敏感な部分や腹を擦り、また先端から先走りが漏れる。最早ローションなのか自身から出たものなのかわからない。
「ひぁっ……!う、え、シズちゃ……ガチガチ……」
「……わりーかよ」
 悪くない。全然悪くない。自分だけではないのも、臨也だとわかって反応している静雄も悪くない。
 俺のものだと。静雄は言ったのだ。だったら。
 ──この男だって臨也のものだ。



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