「聞いて驚くなかれ、古今東西のあらゆる――鉄道模型だ」

前方の座席から嘆息が漏れた。マニア垂涎の稀少模型だとしても、海辺の別荘と秤にかけた場合の傾きは知れている。バカじゃないの、と佳奈子が容赦なく追撃した。

「バカとはなんだバカとは! 電車が嫌いな男子がいるか? プラレールに熱中したことがないのか?」

「あたし男じゃないから」

憤慨する翼に「お前が鉄オタとは知らなかったわ」と湊。一応フォローするように「乗り物は俺だって人並みに好きだし、まぁ一回くらい見てみてもいいかなと思うけど」

「やはりNゲージが多いのか?」

かりんの隣から発された声に、翼の肩がぴょんと跳ねる。そわそわと振り返った彼は吃りながら何度も頷いた。

「あ、ああ。諸外国でメジャーなHOゲージもあるが、日本で買い集めたものが主だから大半はNゲージだ」

「寝台特急はあるか?」

「有名どころだとトミックス製の24系トワイライトエクスプレスに北斗星、カトー製のあけぼの、富士、初期あさかぜ辺りか」

「そうか」と凌也は満足そうに答え、誰にともなく「見てみたいな」と呟く。これには湊と遥も思わず顔を見合わせた。

「なにあんた、そっち系好きだったの?」

「寝台特急が好きなんだ。昔、お年玉でカシオペアに乗ったこともある」

「そういえば先輩、小学生の頃はよく踏切や駅に電車を見に行ってましたね。SLのお披露目会でも写真をたくさん撮ってましたし」とかりんも懐かしそうに微笑んだ。

「博物館は都内にあるのか?」

尚も尋ねる凌也に、すっかり顔を綻ばせた翼がスマホ画面を見せる。

「そうだ。後でこのホームページのURLを送ろう。ジオラマも本格的で入館料はそれなりに取っているんだが、君たちは特別だ。事情はスタッフに伝えておくから帰省のついでにでも寄ってくれ」

「ありがたいな。来月にでも時間を作ろう」

「よかったですね先輩。あの、僕も行ってもいいでしょうか」

「もちろんだとも。電車に詳しくなくても楽しめるぞ」

トントン拍子で決まっていく予定に「鉄道同盟結成ね」と佳奈子が何とも言えない表情で運転席に囁いてくる。

「感化された守山がそのうち、完全コンピュータ制御の模型とか造り始めるんじゃないか」

「そうなったらあたしはホモの小人人形を造って寝台に乗せたるわあ」

「乗せんな。でもいいな寝台特急。俺も遥と乗ってみるかな」

海水浴の疲労で参っているのは遥だけらしい。シートベルトに左頬を支えられ、うつらうつらと舟を漕ぎながら車内の会話を聞いていた。

程なくして高台にある海鳴荘に到着した彼らは、スライドドアから転がるように飛び出していく。陸側のガレージに車を収め、まずは各自荷物を手に周囲をぐるりと回ってみた。建物自体は白一色のシンプルな造りだが、裏手の海側にはムード満点のヤシの木があちこちに植えられている。デッキ付きの中庭からは青々とした真夏の海を臨むことができた。柵で囲まれた庭の片隅にある階段から直接海に下りていけるらしい。とはいえダイビングや潮干狩りがメインの静かなスポットなので、遊びたいのならば昼間に訪れた海水浴場へ赴くのがベストか。
陸側に戻って玄関を解錠し、間口の広いエントランスでスリッパに履き替えた。右手の階段は途中で折れて二階に伸びている。一階は陸側に水回りと個室がいくつか、海側は庭先に面したアーリーアメリカン調のLDKが占めている。階段を上ると二階にも独立したトイレと浴室が備えられ、海の見える窓際はちょっとしたラウンジになっていた。LDKが床面積をかなり取っている分、個室の数は二階の方が多い。海側の寝室は書斎から一続きになった一階の一部屋のみで、ここがオーナールームらしい。翼はこちらを使うのだろう。
家中を探検しながらあれこれと考えた結果、二階のツインとシングルを湊と遥及び佳奈子が、一階のツインを凌也とかりんが使用することになった。荷物をどっと下ろして、海辺の簡易シャワーで落とし切れなかった汚れをざっと流してから各自休もうと決める。各階の浴室を順番に使い、遥はペットボトルの茶を飲み干してベッドに寝転ぶ。もうすぐ湊も戻って来るだろう。重い瞼を下ろして、清潔なリネンに頬を擦りつける。さすが夏風家の別荘とあって、安いビジネスホテルにありがちなザラザラでバリバリの寝具とは無縁らしい。よく眠れそうだ。
海鳴荘の管理人には海水浴へ向かう前に挨拶を済ませてきた。会ったのは年配の男性で、夫婦でこの辺りの別荘をいくつか管理しているそうだ。奏様からお話は伺っております、と人の良さそうな彼は丁寧に応じてくれた。先程確認した水回りも衛生環境は申し分なく、彼らへの手土産にもう少し金をかけるべきだったかと湊がこぼしていたのを思い出す。土産にも大変恐縮した様子だったので、遥自身は気にも留めなかった。
やがてその彼はタオルを手にドアを押し開け、迷わず遥のベッドに腰を乗せてきた。

「広くていい部屋だな。セミダブル二つでも余裕じゃん」

今まさに眠ろうとしているさなかに、この声量だ。眉間に皺を寄せた遥は寝返りを打って背を向け、深呼吸につとめる。その背に遠慮なく体を添わせてくる無礼者はどうにかならないものか。

「一緒に寝よ」

「出てけ」

そっけなくあしらってもまだ温もりは失せない。信用してよ、と肩に触れた手に思わずびくりと竦んでしまった。

「こんなとこで何もしないって。何も……何もできないんだよおおだって人んちだもんん」

「うるさい!」

元から細い堪忍袋の緒がぶちりと切れた。振り返りざまに手の甲で頬をべちんとぶてば、恋人は掃除機に追われた犬のようにキャンと悲鳴を上げて飛び退いた。忌々しい奴だ。

「…お休み」

すっかり意気消沈した彼はすごすごとツインルームを後にした。何はともあれ、ようやくありつけた休息にほっと安堵の息を落とす。瞳を閉じれば疲労困憊した体がどんどん沈み込んでいく。エアコンの緩やかな風が前髪を優しく揺すった。

同居しているにも関わらず、湊に会うのは実に十日ぶりだった。彼は昨夜遅くに、慌ただしく実家から戻ってきたのだ。地元での用事を詳しく説明された気もするが、あまり覚えていない。法事と友人の結婚式、それと優太に関する諸々の――プールの引率や草野球チームの応援など――を、とにかくまとめて済ませたらしい。遥も盆に数日帰省したので行きは湊と一緒だったが、帰りはさっさと単独で帰った。関西在住の両親がこちらへ向かっていると綾子から伝え聞いたためだ。とんだ親不孝者と罵られそうだが会いたくないものは仕方ない。ガミガミ怒る姉及び、共に帰ろうと電話で泣き喚く恋人を無視して在来線に飛び乗った。ここ数日は涼しい室内で静かに過ごしたものだ。というわけで、本日の恋人が昼間からベタベタ甘えたがる理由がお分かり頂けたことだろう。
しかし彼が口にした通り、この海鳴荘は紛れもなく他人の、それも財閥一家の所有物だ。粗相を働いた暁には翼に害があるとみなされ暗部に消されてもおかしくない――は冗談として、やはり倫理的にアウトであるのは間違いない。そもそも仲間と遊びに来ているのだから、そういう目的なら二人きりでホテルに泊まれという話だ。いくら脳内ピンクな湊青年でも、その辺りを弁えてくれなくては遥が困る。
さすがに変な気は起こさないだろう。用事に忙殺されて寂しかった気持ちも、心がある程度満たされれば体までは求めてこないはずだ。
すうと深く息を吸い込んだ。牡羊座の遥はやがて眠りにつく。明日の星座占いが最下位であるとも知らずに。


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